団体が乱立する日本のプロレス界で、圧倒的な強さと存在感を放つ新日本プロレスのオカダ・カズチカ。昭和プロレスに引導を渡し、ニューヨーカーをも熱狂させるストロングスタイルにエンタテインメント性をクロスしたハイブリッド・プロレスラーの正体とは? その野望とは?
プロレスラーには限界から先の姿を見せていく使命がある
「2022年はオレの年にします!」
’21年10月21日、日本武道館のリングでオカダ・カズチカが大声で叫んだ。ゴールドの髪。色鮮やかなパンツ。手には輝くトロフィー。大歓声のなか無数の銀テープが舞い、オカダを祝福する。
新日本プロレスは毎年G1 CLIMAXを行っている。選び抜かれた選手がリーグ戦で約1ヵ月かけ、日本全国の会場でシングルマッチを行って新日本プロレス最強戦士を決める。第1回が1991年に開催され、’21年で31回目を迎えた。
その覇者がオカダ・カズチカ。20選手が闘い、優勝決定戦に勝ち進み、飯伏幸太(いぶしこうた)を破って優勝した。
オカダが’22年を特別視するのには理由がある。現存する日本のプロレス団体で最も歴史のある新日本プロレスが旗揚げ50周年を迎えるのだ。
新日本は、1972年1月13日、アントニオ猪木によって設立された。そして同年3月6日、東京の大田区体育館で旗揚げ興行を開催。メインイベントは猪木対カール・ゴッチ。猪木は“プロレスの神様”と言われたゴッチにリバース・スープレックスでピンフォール負けを喫した。
この試合はプロレスラーのすごみを表現しながら闘うストロングスタイルを身上とする、新日本プロレスの原点と言われている。
それから半世紀を経て、ストロングスタイルに華麗なエンタテインメント性をクロスしたハイブリッド・プロレスラー、オカダがプロレス新時代を築こうとしている。
ラリアットを応用した必殺技のレインメーカー、191センチ107キロの大型でありながら打点の高いドロップキック……。オカダのファイティングスタイルには華がある。
そんなオカダ・カズチカはどんなバックグラウンドから生まれたのか。なぜ、彼のようなプロレスラーが誕生したのか。
15歳でメキシコ修行へ、身体と心を鍛え上げる
新日本のトップ争いの舞台へのオカダの登場は鮮烈だった。
’12年1月4日の東京ドームで、メインイベントの後、新日本プロレスのトップの象徴、IWGPヘビー級王者だった棚橋弘至に挑戦を表明した。IWGPヘビー級ベルトは、猪木、長州力、天龍源一郎、武藤敬司らがその腰に巻いてきた歴史あるタイトル。
棚橋は、当時、人気も実力も一番の新日本のトップレスラー。一方、オカダは前年にアメリカ武者修行から凱旋したばかりで力は未知数。約4万人はオカダにブーイングを浴びせた。
ところが2月12日、大阪府立体育会館でオカダは棚橋を倒し、IWGPヘビー級王者になる。
’87年、オカダは愛知県安城市で生まれた。小学校4年生までは、クラスメイトと毎日のように野球をするふつうの男の子だった。独立心が芽生えたのは小学校5年生のころ。自分の意思で親元を離れ、長崎県の五島列島のひとつ、福江島へ移住。島で一年半、野山を駆け、海で泳ぎ、そこで基礎体力が養われた。
中学は愛知へ戻ったが、高校進学を選ばず、神戸にあったプロレス学校、闘龍門に入門する。オカダは10代の時から人とは違う道を好んだ。自分の道は自分で切り開いてきた。
闘龍門とは、メキシコスタイルの闘い方をするプロレス団体。関節技や投げ技など基本を大切にしながら、派手な空中戦も展開する。
そんな闘龍門の寮で暮らし、一日に500回のスクワット、300回の腕立て伏せ、ランニング、受け身の稽古を積んだ。
「スクワットも腕立て伏せもきつくて、ノルマを果たせませんでした。すると連帯責任で、練習生全員が最初からトレーニングのやり直しになります。仲間たちに迷惑をかけていることが何よりもつらかったですね」
床には汗で水たまりができ、身体から水分が失われる。休憩時間にトイレへ行くと便器の中でゆらゆら揺れている水を飲んでしまおうとすら思った。
「でもプロレスラーになる以外、僕にできることは何もないと思っていました。闘龍門を辞めて高校へ行ったら、中学時代の友達の1学年後輩になってしまう。それに、プロレスのほかにやりたいことはありませんでした」
15歳ですでに退路を断っていたのだ。若くしてプロレスしかない環境に自分を置いていた。
「スクワットは、身体だけでなく、心を強くしてくれました。やがて身体ができると一日に1000回やるようになりましたが、そんなにたくさんやらなくても下半身は鍛えられます。500回で十分です」
では、なぜ1000回もスクワットをやるのかーー。
「心が鍛えられるからです」
人は自分で自分の限界を想定する。未体験の苦しみを感じると、これ以上は無理だと思う。
「でも、ここが限界、と思った時点から、実は、人ってまだかなり頑張ることができるんですよ。コーチにやらされる1000回のスクワットがそれを教えてくれました」
今も試合で関節技を決められ、1分、2分……と時間が経過する。痛い。意識が遠のいていく。
「ギブアップしようか……」
タップすれば、負けが決まり苦痛から解放される。
「でも、待てよ……」
自分に問いかける。
「限界を感じたところから、実際はまだ頑張れるよな……」
スクワット1000回の体験が蘇る。自分がまだできることは身体が知っている。
「プロレスは、技をかけられる側だけでなく、攻めている側も疲れてきます。そこに隙(すき)が生まれる。耐えて逆転勝ちした試合はいくつもあります」