PERSON

日本酒と日本の未来に挑む闘争者:山本 典正

平和酒造 代表取締役社長
山本 典正

斜陽産業といわれる日本酒業界で高成長を続ける小さな酒蔵が和歌山にある。しきたりや常識を打ち破り、実家の老舗酒蔵を改革。“アイデア”と“人間力”で挑戦し続け、日本酒『紀土-KID-』で世界にその名を轟かせた平和酒造4代目──山本典正。ヒットの裏に見え隠れする経営者像を追った。


異端的ポジションを取って闘わないと、業界にとって面白くない!

朝8時。瓦屋根から突きだした蔵の煙突から真っ白な蒸気が立ち昇っている。それは毎年、秋から春にかけて行われる酒づくりの狼煙だ。蔵の中では、銀色の大きな桶の中に高野山系から貴志川へとつたう清らかな水が張られ、水面がキラキラと輝いている。精米した酒造好適米を洗米機にかけ、小袋にわけて桶の中へと浸していく。蔵人から得も言われぬ緊張感が伝わってくる。秒単位の洗米時間、徹底管理された水温度、すべてが計算尽く。浸漬は数分。秒単位で時間調整をし、0.1%単位で水分量をコントロールする。翌朝、甑(こしき)で蒸しをおえると杜氏(とうじ)が手をそえ、時に蒸米を口へと運び米の状態を確認。粗熱をとった米を白い布へ小分けにすると、蔵人たちは仕込みみタンクを目指し駆ける。そして口々に数字を叫ぶ。それはもろみの温度を表しているという。ある若い蔵人が温度計を手に「杜氏は経験と勘で温度がわかる。僕はまだこれがないと…」と笑顔で教えてくれた。

酒づくりは通常、杜氏が率いる技能集団によって行われる。蔵元と杜氏は都度契約で、プロ野球に例えれば、球団と監督+選手といった関係に似ている。製造工程のノウハウは秘密主義が一般的で、有名な杜氏ともなればいくつもの蔵を渡り歩くことも珍しくない。

創業1928年、和歌山県海南市にある平和酒造もそういった酒蔵のひとつだった。4代目社長の山本典正さんは、’04年に実家の酒蔵へと戻るといくつもの改革を断行してきた。

季節労働者だった蔵人を、大学新卒にターゲットをしぼりこみ社員として採用。杜氏には酒づくりのノウハウを開示してもらいマニュアル化。それをもとに若手社員にも1年目から酒づくりの醍醐味を味わせるため“責任仕込み”と称し、ひとりが数本の2tタンクを担当する仕組みをとる。タンク1本でおよそ300万円の商品になるからミスは許されない。蔵人は酒づくりの一から十までを手がけることで技術の向上とともに、責任感、やりがいを感じられるのだ。

’05年、和歌山産の果実を使ったリキュール『鶴梅』を皮切りに、’08年には日本酒の『紀土』をリリース、いずれも大ヒット作となった。’20年には念願かない、世界最大級のワイン品評会「IWC(インターナショナル・ワイン・チャレンジ)2020」のSAKE部門で『紀土 無量山 純米吟醸』が1401銘柄のなかから最優秀賞“チャンピオン・サケ” に選出。この年の“サケ・ブリュワリー・オブ・ザ・イヤー”の栄光とともに、史上初の2冠を達成。グローバル展開も果たし、欧州を中心に世界30ヵ国で愛飲されている。

こう書けば、すべてが順風満帆の成功ストーリーに見えるが、ことはそう単純ではない。

酒づくりに適した風光明媚な土地柄にある平和酒造。全国約1400ある酒蔵のなかで珍しく大学新卒を採用。17名いる社員の平均年齢は31歳。自社の敷地と休耕田をかりて酒造好適米の山田錦を自社で生産、『紀土あがら』シリーズに使用する。また、リキュール用のゆずや南高梅など醸造家自ら生産を手がける。

7日間、4人が去る蔵で味わう挫折

「関西には江戸時代から続く神戸の灘と京都の伏見、日本酒の名産地がふたつあります。うちは代々、伏見の下請けとして細々とやってきた。父の代で下請けからの脱却を模索して、パックの日本酒と梅酒の大量生産をやり始めた。僕が実家に戻ってきた17年前には生産量の99.9%がパック酒でした」

ビジネスの転換のために必要なものは、いわずもがな旨い酒だ。4つ年上の若い柴田杜氏(蔵で酒造りの責任者をつとめるリーダー)と二人三脚で自分たちの酒を探し始めた。その一方でこんこんと説得し、杜氏にはブラックボックスともいえる酒づくりのプロセスを開示してもらった。

さらに若手が育つ、人づくりのための協力体制を敷いてもらう賛同を得た。流通形態としては、これまで付き合いのあった卸問屋を通さず、信頼のおける小売店のみでの販売を開始する。安売りやブランド毀損を避けるためだ。

先代やベテラン杜氏からの猛反発、従来の慣習などいくつもの壁を、時間をかけて乗り越えてきた。当初はやりがいを感じられない先輩社員たちのネガティブな感情が蔵の中に蔓延していて、若い社員が1週間で立て続けに4人辞めたこともあった。誰も助けてはくれない。自分で自分を鼓舞するしかなかった。

それが今では毎年1、2名の新卒採用枠に2000人もの応募が集まる。全国でおよそ1400ある酒蔵のなかで珍しく、大学の新卒だけを採用する、平均年齢31歳の若い酒蔵になった。一方で現状の日本酒業界へ警鐘を鳴らす。

「この業界は1973年をピークに4分の1の規模に衰退し、50年間で75%が消滅。酒蔵の数も、売上金額も当然縮小している。コア競争かコスト競争の二極化。僕から見れば酒蔵って近代化が遅れているんです。日本酒はプロダクトも関わっている人たちも魅力的で、伝統産業という切り口でも面白い。なのにいいかたちでモノづくりできる環境を整えて、マネジメントする。そんな経営者として当たり前のことをやれている酒造会社が少ないのではないかと。それで新しい蔵元像を表現したいなと思ったんです」

山本さんと杜氏の柴田英道さん(左)が約4年の歳月をかけて生みだした『紀土』だったが、’08年当時はまだ未完成。ある催事に参加したところ、30社あるなかで平和酒造の日本酒は明らかにレベルが低いことに気づき、絶望感を味わったこともあるという。そこから杜氏との二人三脚で改良と研鑽をし続けた。「山本はオフェンシブで行動力と発信力がある。酒だけでなく組織としてもいいかたちができました(柴田さん) 」

「世界一の美味しい酒をめざして」

実は小学校5年生から日経新聞を読み続け、いつかは経営者になるのだと思い描いていた。大学卒業後、ベンチャー企業に入社したのも起業家精神を触発されてのものだったと話す。

「今思えばブラック企業そのもので滅茶苦茶な働き方でした。でも、楽しかったし、周りもやる気に溢れていた。いつかは起業したいという思いも強かったのですが、人脈もないし、お金もアイデアもない。0を1にすることは難しいけれど、実家の蔵を1から10にすることはできるんじゃないかと思い戻ってきたんです。酒蔵ってIT企業みたいに急成長できるモデルでもないし、伝統産業という側面があるので変わらないでほしいっていう周囲の思いもある。でも、もっと自由でいいし、ベンチャー精神を持ったような取り組みだってできる。何より優秀な働き手が集まってくれて、実現したい夢をかなえる場をつくりたい」

この言葉にあるとおり、女性醸造家の高木加奈子さんは、この酒蔵でビール醸造責任者として’16年に『平和クラフト』を生みだした。入社後わずか4年でのことだったという。

「高木さんは東京農工大を卒業して就職活動中に、クラフトビアブリュワリーへ行くか悩んだうえで、うちにきてくれた。でも実は私、当時は大のビール嫌い(笑)。彼女が何度も何度もおいしいビールを利き酒の場に持ってくるんですよ。それでクラフトビール事業を立ち上げた。そもそも個人の個性を活かしながら可能性、発展性を探っていく。そういった挑戦ができることが嬉しい」

’20年6月には、女性醸造家の柿澤夏紀さん主導のもと、平和酒造初のアンテナショップ『平和酒店』を和歌山市内にオープン。店内にはバースペースが設けられ、毎日交代で醸造家が店に立ちお客様との会話をまじえつつ、『紀土』や『鶴梅』、そして生の『平和クラフト』が味わえる。「誰よりもこの空気を喜んでいるのは、私自身ですね」と山本さんは破顔する。

自身、体系立てて経営を勉強したいと、社長業の傍ら’19年に京都大学大学院でMBAを取得。「とても大変でしたがその期間で僕と平和酒造とのかかわり方も変わったなと。時間をかけられなくなった分、いい意味で社員に任せる範囲が増えました」

平和酒造の看板商品。写真左から『平和クラフト ペールエール(¥360) 』『鶴梅 完熟720ml(¥1,000)』『紀土 無量山 純米吟(¥2,300) 』と、IWC2020“チャンピオン・サケ”の受賞トロフィー。

目指すのはあくまで人中心の酒づくり

ノウハウの伝承には積極的に最新のツールを使う。

「ただ誤解しないでほしいのは、うちは酒づくりにおいて自動化やIT化をするつもりはないんです。あくまで人間中心でありたい。人間の力を増幅するためのツールとして効果的に使っているだけで。むしろ人の感性のこもったモノづくりをしたい」

最後に山本さんに、おいしい酒とは、と問うてみた。

「いい音楽やいい絵が人によって違うように、おいしい日本酒っていろいろだと思うんです。しかし僕は“おいしい”といえるものは絶対的にあると信じている。それは人間が持っている感性、感情が表れつつもミスのない完璧なものじゃないかなと。つまり、洗練されていながらも、感情を揺さぶられるもの。それを具現化したいんです。決して天才が酒づくりをしているわけではなくて、お客さんと変わらない普通の人たちがうちでは懸命につくっている。要は酒づくりにどれだけ真剣になれるか。IWCでの“チャンピオン・サケ”受賞は、ここにいる社員全員で摑みとったもの。17年間続けてきたことが正しかったと証明されたんだと思います。そしてもっともっと世界で勝負したい」

蔵人たちから伝わる躍動感、そしてモノづくりを楽しむ熱量は、どうやらこの人を酒母として醸成されているようだ。

同郷出身の予約困難店 すし職人が語る山本典正

「蔵元の方は、不思議とつくるお酒と同じ性格の人が多いんです。『紀土 無量山』は、香りは強くなくキレすぎない。食事に寄り添うようなお酒。地元の先輩である山本さんには多くのお客様をご招待いただいてますが、そのお連れの方の魅力を引きだし、寄り添う方です」とは今や予約困難店の、地元和歌山の魚や酢にこだわる「すし良月」若大将 前岩和則さん。

※ゲーテ2021年4月号の記事を掲載しております。掲載内容は誌面発行当時のものとなります。

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