変わりゆく自分の物欲を“リフレイン”する
「フェラーリなんかもういらない」と言っていた時期もあったのに、最近、自分が乗るためのクルマやバイクが欲しくなって買っている。
昨年から、楽曲制作の拠点をハワイに作る準備を進めていて、現地で過ごす時間が増えるからと、向こうでクルマやバイク、釣り船まで買い揃えていた。ところが、新型コロナの感染拡大で、ハワイに行くことができなくなってしまった。それで、こちらでもクルマにバイクにキャンピングカーにと、次から次へと買っている。
80歳、90歳になっても、バイクを乗り回しているおじいちゃんになれたら、それはそれでかっこいいと思うけど、常識的に考えて、僕が自分で運転できるのなんてあと10年ぐらい。だったら今のうちにと思って、大きな買い物をどんどんしていたのだけど、請求書が届き始めて「やばい。使いすぎた……」と少し反省もしている。そんな反省なんて、すぐに忘れちゃうんだけど。
僕が住んでいる家の近所に、ランボルギーニを持っている人がいるらしく、近所を走り回る。ものすごくうるさい。近所迷惑。僕はもうそんなことはとっくに卒業したと思っていたけど、やっぱりランボルギーニのエンジン音っていいんだよね。
最近は、SUVが流行っていて、ポルシェやランボルギーニ、ロールス・ロイスまでもSUVを出している。最初は何でこんなスタイルのクルマを出すのだろうと思っていたけど、だんだん面白さがわかってきた。ロールス・ロイスのSUVなんか、正面から見るとまるっきりロールス・ロイスの顔なんだけど、横から見ると、国産車のSUVのように見える。そのギャップが楽しい。
YouTubeを見ていたら、ランボルギーニ・ウルスのマンソリーチューニングが欲しくてたまらなくなった。うるさいし、いかついし、威圧感がある。高速を走っていて、あんなクルマが後ろから走ってきたら、すぐに道を譲る。
ノーマルのウルスでも、価格は普通の乗用車の10倍ぐらいする。それをマンソリーがチューニングするとさらに数倍になる。僕が買えば、SUVでもまずはシャコタンにするし、内装も徹底的にいじる。ランボルギーニじゃ満足できない、ランボルギーニ・マンソリーでも満足できない、ランボルギーニ・マツウラになるまで徹底的にいじる。それが楽しい。
高校生の頃にバイクやクルマが好きになって、当時から徹底的にいじっていた。どういう風にしようかと考えて、チューニングしていく。できあがると、今度はこうしたいと思い始めて、また変えていく。どんどん、自分のバイク、クルマになっていくのが楽しい。
でも、高校生だからお金がない。チューニングするといっても限界がある。それがエイベックスを創業して上場し、お金ができると、高校生の時にはできなかったことをやり始めた。フェラーリに夢中になって、まるでミニカーを集めるように買い集めて、どんどんチューニングしていった。
ところが、社長になりCEOになると、それをぱたりと止めてしまった。自分のクルマは所有せず、社用車だけという時期が長く続いた。僕も、そういう趣味は卒業したと思っていた。
CEOだった頃は、確かに忙しかったけれど、趣味の時間が取れなかったわけではない。でも、できなかった。24時間、頭の中ではエイベックスのことばかり考えていて、自分のことを考える時間はまるでなかった。それが、CEOを退任して、楽曲制作に専念することになった。自分のことを考える余裕が生まれ、そうすると、趣味でやり残していたことがまだまだたくさんあることに気がついた。高校生の頃にバイクとクルマに目覚めて、当時はできなかったことを、会社が上場した時に実現した。そして今は、上場した時にやり残したことをやっている。多分、80歳、90歳になっても、僕はそれまでの人生でやり忘れていたことをやって生きていくのだと思う。
楽曲制作に専念するというのも、楽曲制作は僕の原点だから、そこに戻りたいとずっと考えていた。実際にやってみると、やり残していたこと、やり忘れていたことがたくさんあることに気づく。僕のベースになっているのは、昔のダンスミュージックの知識。でも、それを若い作曲家チームに話すと、彼らはそれを新しい感覚、新しいテクノロジーで今の音楽にしてくれる。古い知識と新しい感覚が出合って、そこから今までになかった音楽が生まれてきている。楽曲制作をさんざんやってきて、もうやりつくしたと思っても、まだその先があることに気づかされた。制作作業はどんどん進み、もう70曲以上のストックができている。
でも楽曲を作ることと、それを売ることはまた別の話。売るためには、才能を発掘し、時代を変えるアーティストを育てなければならない。これに関しては、もうやり切ってしまった感じがする。浜崎あゆみのように、時代を動かしてしまうようなアーティストというのは、作ろうと思って作れるものではない。偶然や奇跡といった要素が必要で、それらすべてがガチッと噛み合った瞬間に起きることで、僕ひとりの努力だけではどうにもならない。あの頃は、僕もまだ無垢でピュアだったし、浜崎は絶対に売れる、この楽曲は絶対に流行ると信じ切れていたから、情熱のすべてを注ぎ込むことができた。そこに偶然と奇跡が重なった。これを狙って起こすのは不可能なことだと思う。やり切ったというよりも、あんなことが、そう何度も起こるはずがないよなという感覚。
でも、まあ、わからない。もしかすると、明日、ものすごい才能と出合ってしまうかもしれない。やり残していたこと、やり忘れていたことに気づかされるのかもしれない。