世界的文豪、ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ。作家のドリアン助川さんは言う。ゲーテの言葉は「太陽のように道を照らし、月のように名無者を慰める」と。雑誌『ゲーテ』2010年1月号に掲載した、今こそ読みたいゲーテの名言を再録する。
なんじが終わりえないことが、なんじを偉大にする
――『ゲーテ格言集』より
終わりのないことに手を出すのはやっかいだと思う。永遠にゴールに達しないマラソンを走ってみたいと思う人はいるだろうか。いつまでも終わらない仕事があったとして、だからこそ燃えるという人は果たしてどれくらいいるだろう。でも、ご心配なく。そうした仕事を始めた場合、人生の方が先に終わってくれる。それがなにごとであれ、終わりは必ずくる。
さて、終わりを睨みつつ、六十歳の誕生日から新しい外国語を学び始めたとしよう。まわりはきっと言う。今さらなんのために? 役に立つとは思えないよ。
その人たちは、人間の脳がなにを求めているのかを知らないのだ。役に立つかどうかなんて脳にとっては些細なこと。いくつになっても脳が一途に求めるもの、それは未知だ。
未知こそが脳の御馳走なのだ。知らなかった外国語を学ぶことによって、年齢にかかわらず新しい脳神経系が発生することは科学的にも証明されている。脳に未知を与え続けること。それのみが闊達に生きるための方法となる。
あなたの一日に未知はあるだろうか。
食べつけないものをオーダーするのが面倒になりだしたら、決まった道ばかり歩くようになったら、同じことばかり口にするようになったら、懐メロばかりに浸り始めたら、過去を振り返るような言動が増え始めたら、脳はすでに終わりを迎えつつある。未知という御馳走をたっぷり与えなければならない。
実は、外国語を学びに行かなくとも、言葉ひとつでそれはできる。たとえば「八百屋が黒いバナナを売っている」を「バナナが黒い八百屋を売っている」と遊んでみる一種の詩的作業だ。後者の方、このねじれたイメージを頭のなかで充分に味わって欲しい。これこそ未知の種であり、詩とは本来、脳に未知を与えるための人類の工夫であったと気付く。
高齢に至ってなおゲーテが盛んだったのは、日々の詩的創作によりいっそうのめり込んだことが大きい。老齢になり、公務から解放されたことで彼は自由な時間を得た。そこに創作をぶち込んだのだ。
言葉は彼に未知と、その森に果てがないことを教えた。終わりのない森だからこそ、自らが果てるまで彼は前進し続けた。
――雑誌『ゲーテ』2010年1月号より
Durian Sukegawa
1962年東京都生まれ。作家、道化師。大学卒業後、放送作家などを経て'94年、バンド「叫ぶ詩人の会」でデビュー。'99年、バンド解散後に渡米し2002年に帰国後、詩や小説を執筆。'15年、著書『あん』が河瀬直美監督によって映画化され大ヒット。『メキシコ人はなぜハゲないし、死なないのか』『ピンザの島』『新宿の猫』『水辺のブッダ』など著書多数。昨年より明治学院大学国際学部教授に就任。