師匠か、恩師か、目をかける若手か、はたまた一生のライバルか。第5回は、関西を拠点に活躍する経営者と指揮者ふたり。
藤岡 関西の慶應OBの集まりで「中等部出身の人がいるよ」と教えてもらったんです。関西では珍しいので。付き合いはもう10年以上になりますね。
駒村 関西フィルを盛り上げようという挑戦で必死の頃だったね。気持ちが先走って言葉がついてこないくらい熱かった(笑)。
藤岡 何もかもが東京一極集中って、おかしいじゃないですか。なんとか、それを変えたかった。それが使命だと思っていました。
駒村 東京にいれば、あんなに無理をしなくてもよかったろうに。でも、僕も大赤字だった大阪が本社の危ない老舗を選んだ男だから、親近感が持てた。
藤岡 しかも、お互い東京生まれ東京育ちの江戸っ子で(笑)。
駒村 苦しいところから飛んだり跳ねたり、同じようなリズムできたかもしれないね。
藤岡 本当に感謝していることがあります。それは、ずっと一緒に頑張ってきた人物が僕の元から離れていってしまった時のこと。僕の最大のピンチでした。メールしたら、「人生、まぁそんなもんよ」と一行だけ返信が来て。
駒村 たくさんの言葉が必要ない時もあるから。
藤岡 すごいなぁと思いました。あの言葉には本当に救われたんです。もうひとつ、覚えているのが、燕尾服を新しくした時、真っ先に気づかれたことです。
駒村 おぉ、ちょっとカネが入ったのかな、と思った(笑)。
藤岡 なんでわかったんですか。そこまで読まれてたのか(笑)。
駒村 芸術家には、いかにも芸術家、という乙に澄ますタイプの人もいるけど、君はまったく違う。誰に会っても10年くらい前から知っているような空気をつくるし(笑)。そこまで言うか、ってくらいのことを言っちゃうんだけど、とにかくいつも突き抜けて明るいから許せてしまう。
藤岡 それだけが僕の取り柄ですから(笑)。
駒村 でも、テレビで番組を持つようになったりして、一時(いっとき)に比べると、ずいぶんおとなしくなったなぁ。酒を飲んで酔っぱらうと暴言癖があったのに(笑)。
藤岡 人のことは言えないじゃないですか(笑)。
駒村 3年ほど前だったか、若者が行くような店で、ふたりでワインを何本も空けてベロンベロンに酔っぱらったことがあったなぁ。もう、わけがわからなくなって。あれは楽しかった。
藤岡 毒舌もふたりでいっぱい吐きました(笑)。
駒村 うん。ああいう飲みを、またやろう(笑)。
森下仁丹 代表取締役社長 駒村純一(左)
1950年生まれ。慶應義塾大学卒業後、三菱商事入社。同社イタリア事業投資先Miteni社長を経て、2003年森下仁丹へ。06年より現職。会社をV字回復に導く。
関西フィルハーモニー管弦楽団 首席指揮者 藤岡幸夫(右)
1962年生まれ。慶應義塾大学卒業後、英国王立ノーザン音楽大学指揮科に入学。関西フィルハーモニー管弦楽団首席指揮者。公式HP:http://fujioka-sachio.com/