2009年から’15年の約6年半、のべ500日以上をかけて、47都道府県、2000近くの場所を訪れた中田英寿。世界に誇る日本の伝統・文化・農業・ものづくりに触れ、さまざまなものを学んだ中田が、再び旅に出た。
断崖の突端にひっそり佇む小さな絶景
中田英寿の旅のスケジュールを見ると、たまに「どうしてこんなところに?」と思うような目的地が記載されている。徳島の場合、「祖谷渓(いやけい)の小便小僧」がそうだ。軽く検索してみると、どうやら断崖の突端に小便小僧の像があるらしい。確かに面白いとは思うがわざわざ見に行くほどのものなのだろうか……。直前の訪問地から小便小僧までは、1時間半ほどかかる。あいにくの雨模様のなか、祖谷渓の険しい山道を運転、首をかしげながら「小便小僧」を目指した。
吉野川上流にある祖谷渓は、岐阜の白川郷、宮崎の椎葉村とともに日本三大秘境として知られる地だという。この日もそうだったように降水量が多く、樹木が生い茂っている。これまで旅で全国各地の山道を走ってきたが、そのなかでも屈指の険しさ。曲がりくねった道を上ったり下ったり。夕刻が迫っていること、雨がふり、さらに霧も立っていたことから、「小便小僧のためにわざわざこんなところまで来なくても」という思いを抑えられずにいた。そしてようやく目指す小便小僧に到着。そこだけやや広くなった道にクルマを停め、小便小僧を見る。すると思いもかけない感動のようなものが湧き上がってきた。
「山水画のような景色だね」
中田がいうように、目の前の景色は日本のものとは思えなかった。ちょうど雨が上がり、切り立った崖の下にある吉野川から立ち上った霧が谷に立ち込めていた。黒々と生い茂る木々と断崖と水煙。色がなく、音もない幻想的な雰囲気だ。そして崖の突端に突き出した岩の上に立っている小便小僧。この不思議な光景は、かつて旅人や地元の若者が度胸試しとして崖から小便をしていたというのが由来になっているという。単なるウケ狙いの“珍景”だと思っていたが、実際に目にしてみると絶景のなかで見事なアクセントになっている。
「ね、しょうもないと思っていても、自分の目で見てみるとぜんぜん違う印象になるでしょ」
首をかしげていたことを見透かしていたように中田が笑う。確かにそのとおりだ。この記事の写真を見た人も多くが「しょうもない」と思うかもしれない。だが、この小便小僧は見る価値がある。こんな景色は、他にない。かつてこの突端で用を足した人の度胸にも感服する。日本にはまだまだこんな驚きの景色が隠れている。だから旅はやめられないのだ。
「に・ほ・ん・も・の」とは
中田英寿が全国を旅して出会った、日本の本物とその作り手を紹介し、多くの人に知ってもらうきっかけをつくるメディア。食・宿・伝統など日本の誇れる文化を、日本語と英語で世界中に発信している。2018年には書籍化され、この本も英語・繁体語に翻訳。さらに簡体語・タイ語版も出版される予定だ。
https://nihonmono.jp/