経営者、アスリート、教育者、歴史上の偉人など、成功者と呼ばれる人は困難に直面した時にどのように考え、行動してきたのか。それを知ることはきっと、一度きりしかない人生を自分らしく生きるための学び・教訓となるはずだ。学校では教えてくれない、人生で本当に大切なこととは? 『毎週1話、読めば心がシャキッとする13歳からの生き方の教科書』より、一部を抜粋・再編集して紹介する。第4回の語り部は、上智大学名誉教授・渡部昇一(わたなべしょういち)。【その他の記事はコチラ】
吉田松陰が本を読み続けた理由
安政元年3月28日、吉田松陰が牢番に呼びかけた。その前夜、松陰は金子重輔(かねこじゅうすけ)と共に伊豆下田に停泊していたアメリカの軍艦に乗り付け、海外密航を企てた。
しかし、よく知られるように失敗して、牢に入れられたのである。
「一つお願いがある。それは外でもないが、実は昨日、行李(こうり/荷物入れのこと)が流されてしまった。それで手元に読み物がない。恐れ入るが、何かお手元の書物を貸してもらえないだろうか」
牢番はびっくりした。
「あなた方は大それた密航を企み、こうして捕まっているのだ。何も檻の中で勉強しなくてもいいではないか。どっちみち重いおしおきになるのだから」
すると松陰は、
「ごもっともです。それは覚悟しているけれども、自分がおしおきになるまではまだ時間が多少あるであろう。それまではやはり一日の仕事をしなければならない。人間というものは、一日この世に生きておれば、一日の食物を食らい、一日の衣を着、一日の家に住む。それであるから、一日の学問、一日の事業を励んで、天地万物への御恩を報じなければならない。この儀が納得できたら、是非本を貸してもらいたい」
この言葉に感心して、牢番は松陰に本を貸した。すると松陰は金子重輔と一緒にこれを読んでいたけれど、そのゆったりとした様子は、やがて処刑に赴くようには全然見えなかった。松陰は牢の中で重輔に向かってこういった。
「金子君、今日このときの読書こそ、本当の学問であるぞ」
牢に入って刑に処せられる前になっても、松陰は自己修養、勉強を止めなかった。無駄といえば無駄なのだが、これは非常に重要なことだと思うのである。人間はどうせ死ぬものである。いくら成長しても、最後には死んでしまうことに変わりはない。この「どうせ死ぬのだ」というわかりきった結論を前にして、どう考えるのか。
松陰は、どうせ死ぬにしても最後の一瞬まで最善を尽くそうとした。それが立派な生き方として称えられているのである。
天地に恥じない生き方
この松陰のような考え方は西洋の偉人にも見られる。
こういう話を読んだことがある。
人間が死んだらどうなるか、あるいは、復活した場合にどういう形で復活するか。ある聖人がこの問いに対して、それは肉体的に最高に達したときの状態、精神的に最高に達した時の状態であるに違いないと答えている。なんら確証があるわけではないから、信じるより仕方のないことなのだが、私はそう信じるべきではないかと思うのである。
「どっちみち老人になればヨレヨレになるのだから、体なんか鍛えてもしょうがない」
「どうせ死ぬ前は呆けたりするのだから、勉強してもしょうがない」
確かに究極においては「しょうがない」ことだろう。そう考えるのは間違ってはいない。しかし究極まで行くと、そもそも生きることに意味がなくなるのではないか。
そう考えると、意味がないから何もしないというほうがどこか間違っているわけで、むしろよく鍛え、よく精神を高めることに努め、死んだら死後の復活、あるいは霊界において、最高の形になるに違いないという信念を抱いて生きるほうが、より良い生き方ができるのではないかと思うのである。
吉田松陰が死んでからのことをどう考えていたかはわからない。だが、少なくとも生きている間は天地に恥じないように、何かに努めなければならないという心境だったのであろう。
それは生きている間は、一日の食事を摂って、一日の着物を着て、一日の住み家にいるわけだから、そのことに対して恩返しをしなければならないという考え方から出てきた心持ちであったようだ。