「芸術は爆発だ」の言葉で知られる芸術家・岡本太郎。芸術によって社会の課題に挑み、生涯を通じてあらゆるものと闘い続けた岡本太郎の残した言葉は、今を生きる人々の胸に突き刺さり、前へと進むパワーを与えてくれる。『ありのままに、自分らしく生きる 岡本太郎の言葉』(リベラル社)より、一部を抜粋・再編集して紹介する。【その他の記事はコチラ】
(二者択一の岐路に立たされた時)私はためらわずに危険な方を選び、人生を闘おうと決めた。それは「死の本能」の命ずる道だ
戦後、岡本太郎が自分の芸術を求めて自由に発言し創作をしていた頃、親しい友人や、好意的なジャーナリストからこんな忠告を受けたことがあります。
「あなたのようなことを言ったりやったりしたら、西洋なら別だが、日本では通らない」
悪意はなく、岡本のことを思っての真剣な忠告でしたが、岡本はこう答えます。「消されるなら、それで結構。とことんまで闘うよ」
岡本はパリ時代に大学に通って哲学を学び、ジョルジュ・バタイユをはじめ多くの仲間とさまざまな問題について話し合っています。
そんな会話を通して岡本が決意したことの一つが「あれかこれかという場合、自分にとってマイナスだな、危険だなという道を選ぶ」という生き方です。目の前にこちらを行けば安全で成功が約束されている道と、危なく、失敗するのではという2本の道がある時、岡本は後者を選ぶというのです。
安全な道と危険な道のどちらかで迷うのは、後者こそが自分の行きたい道だからです。だとすればそちらを選び、結果など気にするなというのが岡本の生き方でした。
些細なことにノーと言う人間でなければ、大きな問題に対してもノーと言えない
小さな問題に対し、「このくらいは」と軽んじる人がいますが、現実には小事と思ったことが積み重なって大事になることもあれば、実は大事の前兆だったというのはよくあることです。小事だからと侮らず、どんな時にも同じ態度、同じ配慮を持って対処してこそ、大事を引き起こすことがなくなるのです。
大きな問題に対して、大変なので放っておけないと、しっかり構えてノーを言う人はいますが、では日常の、ごく些細な問題に対しても同じようにノーを言えるかというと、「このくらいは」と我慢する人が多いのではないでしょうか。
岡本太郎はそれではダメだと考えていました。岡本は自動改札などが誕生する以前、切符を買って、改札口で鋏(はさみ)を入れてもらうというシステムが大嫌いでした。いつも憤りながら電車に乗っていました。ほとんどの人にとってこれは決められた当たり前のものでしたが、岡本はこうした些細なことにもノーという人間でないと、大きな問題に対してもノーと言えなくなると考えていました。
どんな些細なことでも納得のいかないものはノーと言う。それが岡本の生き方であり、だからこそ社会に対しても堂々と発言することができたのです。
健康法などは考えないことが、かえっていちばんの健康法になっている
岡本太郎は1911年に生まれ、1996年に亡くなっていますが、80歳を過ぎても創作意欲が衰えることはなく、展覧会出品などの活動を続けていました。
少しくらい体調が悪い時でも大きな声で元気に話すため、周りの人からは「いつも元気ですね」と言われたといいますから、「岡本太郎=いつも元気」というイメージを多くの人が持っていたようです。
実際、岡本によると「じっとしていられないタチ」で、ちょっとそこに行く時もせっかちに歩き、階段の昇り降りも駆け足でした。創作活動は体力も使ううえにスポーツも大好きで、仕事が夜どんなに遅くなったとしても、朝の6時半には起きたといいますから、まさに健康そのものと言えます。
当然、「健康の秘訣を教えてほしい」と聞かれることもよくありましたが、岡本自身は「食事は食いたいものを平気で食う」し、とりたてて健康法について考えることはありませんでした。身体のことなど頭であれこれ考え、思い悩まなくとも、自然が要求するまま素直に生きていれば、健康でいられるというのが岡本の考え方でした。
酒と煙草―(中略)人間生活に必要ないといえば、必要ない。むしろ害の方が問題になる悪役だが、しかし人間の離れ難い友である
昨今は、煙草を吸える場所が大幅に減ったことで、喫煙人口は著しく減っているようですが、酒の方は好みの変化はあれ、変わらずに楽しむ人は多いようです。
「私は何といっても愛酒家の方だ」と言う岡本太郎が、本格的に酒の味を覚えたのはフランスに渡ってからです。
子どもの頃、理科の実験で使うアルコールの匂いが好きだったというように、元々酒好きの素質はあったようですが、パリに渡るまでは飲む機会はほとんどなかったのです。しかし、芸術家たちの自由で楽しいパーティーに呼ばれて出席するうちに、酒の「腕前はみるみるあがった」と、岡本は振り返っています。
以来、戦後のお金のない時間には安い酒を飲むなど長く酒と付き合っていますが、高い酒だから感激するというわけではなく、欠乏している時の酒には想像を絶した旨味があり、そのうまさはどんな醸造法でも、つくり出すことはできないとも話しています。
一方、煙草に関しては、酒ほどのこだわりはないようですが、「初恋=香り漂う煙草の匂い」が思い出されると話しているように、「男はタバコと酒によって大人の世界へ入る」というのが岡本の考え方でした。
世の中がつまらない、と言うのは、自分がつまらないことなのだ
「喜怒哀楽」の4つのうち、難しいのが「怒」ではないでしょうか。何かに起こっても、そのままぶつけるのが難しいこともあり、つい我慢することも少なくありません。一方、岡本太郎は「私は怒る、大いに怒らねばならない」と言い切っています。
「怒る」といっても、岡本の言うのは、足を踏まれたとか、日常のうっ憤や、自分の弱みをつかれた時の恨みではありません。あるいは、上に対して言いたいことはいろいろあるけれども、上に言うと睨まれるからと我慢して、それを下の人間や取引先にぶつけることで溜飲を下げる、そんなつまらない憂さ晴らしでもありません。
はけ口がないからと、酒を飲んで愚痴を言うことでもありません。最近では自分の抱えた怒りのはけ口にと、SNSで見知らぬ誰かを攻撃しまくる人もいますが、もちろんこれも岡本の言うところの「怒り」ではありません。
岡本によると、怒るべき時に怒ることをせず、妥協し、変に納得してしまうからこそ、世の中はつまらないものになるのです。人間一人はたしかに非力かもしれないけれど、言うべきことを言い、怒るべき時に怒ってこそ、人生は生きるに値するものになるのです。