人生を取り憑かれた、熱狂的コレクターの偏食ぶりを拝見。まずは午前零時、神楽坂のとあるレストランの個室では、スニーカーをおかずに夜ごもり。熱々な“快食”が始まっていた。
夢にも思わなかったスニーカーブームの到来
昨今の熱狂的スニーカー人気。そのルーツをたどると、1990年代に端を発した東京ストリートカルチャーとの関わりは切っても切れない。原宿エリアを中心に、ナイキのセールスとしてコラボ企画やさまざまなプロジェクトに携わってきた仕掛人でもあるデッカーズジャパンの高見 薫さんは、スニーカーシーンにおける生き字引的な人物だ。自宅を改装してつくった特注の棚には、高見さん夫婦が所有する約600足ものコレクションが整然と並ぶ。
今でこそスニーカーは世界的な市民権を得ているわけだが、高見さんが奔走していた’90年代はまったく別の世界だった。
「当時はスニーカーをファッションとして理解してくれる人は社内でさえわずかで、仕事場に履いていくなんてもってのほか。コラボモデルのプレゼンひとつ提案するのも苦労しました」
日本でもスーツにスニーカーを組み合わせるのはさほど珍しいことではなくなった。現在のスニーカー人気について高見さんは続ける。
「まさか、これほどの世界的ブームが起こるなんて夢にも思いませんでした。私が所有するスニーカーの多くはどれも仕事から生まれた仲間とのつながりで自然と集まったもの。すべてに思い入れと、ストーリーがあります。最近よく履くスニーカーも物語があるものです」
スニーカーの仕事を通じて高見さんが得た最大の収穫は“人とのつながり”だという。
「ここにあるスニーカーは私にとって履歴書のような存在。その一部には、世に出回っていないモデルもありますが、今のトレンドには被らないのでプレ値はつかなそうです(笑)」