ウイスキーを愛する人ならば、生涯で一度は行きたいと願うスコッチウイスキーの聖地、アイラ島。毎年5月末から6月頭にかけて島が熱狂に包まれるのが「アイラ・フェスティバル」だ。そこで発表される至極のアイラウイスキーを求め、この辺境の島を訪ねた──。
アードベッグの根幹を揺さぶる今回の冒険
変革は辺境の地から生まれるという。
アイラウイスキーを育むアイラ島は、スコットランドの北西、ヘブリディーズ諸島の最南端に位置する辺境の島。大西洋から吹きつける強風がもたらす不安定な天候は、島を孤高の存在にする理由のひとつだ。
600㎡の広さに、人口およそ3000人。海沿いに9つの蒸留所があるのを除いては、大きな建物はあまり見当たらない。スコッチウイスキーは、ウイスキー消費量の約60%を占めるが、アイラウイスキーはそのうちの6%程度。それでも高い知名度を誇り、どこよりも特徴的なウイスキーを生みだし続け、多くの人々を魅了している。
そんなスコッチの聖地であるアイラ島が年に一度、島をあげての盛り上がりを見せるのが、ウイスキーと音楽の祭典「アイラ・フェスティバル」だ。もとはゲール語とその文化を広げるために始められた祭事は、各蒸留所のオープンデーが加わったことで、現在では世界中から人を集める大きなイベントとなった。毎年5月の最終週から6月の最初の週にかけて開催される「アイラ・フェスティバル」には、各国の熱心なモルトファンが集結。期間中に発表される限定商品を求め、なかには海辺にテントを張って滞在するファンもいるなど、島に点在する蒸留所をホッピングして楽しむのが恒例だ。
島が祝祭ムードで溢れるなか、毎年とりわけ話題となるのが、アイラ島で圧倒的な存在感を放つアードベッグ。潮の香りに包まれたスコッチはフェスティバルの最終日を「アードベッグ・デー」とし、この日に世界各地でユニークなイベントを行うことで知られている。そして蒸留所では、毎年エッジの効いたテーマを設定し、ファンの熱狂を呼んでいる。
今年のテーマはいつにも増して挑戦的だ。無敵のアードベッグを生みだすべく、製造上のあるものを取る勝負に出たのだ。
ピュリファイアーのない蒸留器で誕生した「ヘビー・ヴェーパー」
スモーキーでありながらエレガント、“究極のパラドックス”とも称されるアードベッグだが、それを実現しているといわれるのが、アイラ島では唯一の蒸留装置“ピュリファイアー(精留器)”の存在。そして今回のテーマは、そのピュリファイアーが消えた世界を描くものだ。
ファンの驚きは相当だ。なにせアードベッグらしさたる所以のピュリファイアーを外してしまったのだから。その、“事件”に挑むべく、今年の参加者のドレスコードは“ヒーロー”。思い思いの衣装を纏ったゲストの目的は、ピュリファイアーのない蒸留器で誕生した新商品「ヘビー・ヴェーパー」を味わうこと。その発表は歓喜で迎えられた。
「鉄の拳がヴェルヴェットの手袋を纏っているよう」とその味わいを評すのは、アードベッグの最高蒸留・製造責任者で、科学者でもあるビル・ラムズデン博士。今回の味わいのキーとなる部分を握る人物だ。
「蒸留器の本体とラインアームの間につけられたピュリファイアーにより蒸気を循環することで、重い味わいが繊細な味に変換されます。アイラ島のなかで最もピート(泥炭)を効かせたスコッチであるアードベッグにライムジュースや松脂、フェンネルのような感じがあるのは、このためだと僕は思っています。ピュリファイアーは古くから使われていたものですが、その機能は本当のところどんなものなのか、科学者としても興味がありました。それを知るには、外してみないとわからない。それを実現させたのが今回の『ヘビー・ヴェーパー』です」
樽に入れる前から、どんな味わいにするかを設計するのがビル博士のやり方だが、今回はそのセオリーに例外をつくった。蒸留した原酒を樽に入れて10年弱。満を持しての公開だ。
「樽はリフィルのバーボン樽を選びました。『アードベッグ10年』ではバーボン樽のファーストフィルですが、今回は製法での変化を最大化するために、樽の香りがつきすぎないものにしたんです」と語るのは、マスターブレンダーのジリアン・マクドナルド氏。
その味わいはセンセーショナルだ。口内に溢れるスモーキー感、焚き火のような暖かさ、と同時にドライフルーツがのったチョコレートケーキのような甘さ。強さがありながらも、ピート由来のヨード感やセイボリーさが感じられる。特筆すべきはその余韻。アニスやシナモンの風味のある、甘くスパイシーなスモーキーさはどこまでも続く。
「軸になっているのは『アードベッグ10年』なんです。これは高いレベルでのピートがありながら、ハーバル感もあり、余韻が長い。空気を吸い込むと草叢(くさむら)を感じます。炭のレイヤーやキャンドルのような煙もありますよね」(ジリアン氏)
数々の苦難を乗り越え復活した蒸留所
「アードベッグ10年」には蒸留所の特別な想いがある。1815年に設立したアードベッグ蒸留所だが、過去には幾度も閉鎖を余儀なくされた。復活を遂げたのは1997年にグレンモーレンジィ社による買収が行われたからだ。老朽化した建物を改装し、’98年に蒸留された原酒を数年おきにボトリング、熟成の過程を一般公開するなど、アードベッグはファンとともに再生の道のりを歩んできた。そうして誕生したのが新体制移行後に蒸留した原酒のみを使用した「アードベッグ10年」だ。もう二度と蒸留所の門戸が閉じることがないように。そうした想いから世界で130ヵ国15万人のコミッティメンバーが活動を支える。
こうした経緯もあり、アードベッグが大切にしているのはコミュニティだ。「アイラ・フェスティバル」のなかでもアードベッグらしさに溢れるのが、世界中から参加したウイスキーファンのみでなく、地元の住民や子供、犬にも開かれたフェスティバルでもあるというところ。蒸留所ではトラックの音楽ステージの前で踊る若者もいれば、海辺でグラスを傾ける老夫婦もいる。ウイスキーが地元に根付いていることを感じられる風景だ。
アイラウイスキーの香りはアイラ島そのもの
「ウイスキーを飲むことは私たちの人生と文化の大事な一部。何千年もの大地の歴史がグラスの中に入っているんです」
アードベッグ蒸留所のビジターセンターマネージャーのジャッキー・トムソン氏はそう語る。この言葉を理解するにはアイラ島にとってのピートの存在を理解するとよいだろう。
アイラウイスキー造りで欠かせないのは、大麦を乾燥させる際に使用するピート。その上を覆うのはアイラ島の美しい植物たちだ。初夏と初秋に紫の花を咲かせるヘザー、白い綿毛をつけるコットンフラワーは、その下に沼地があるという合図。この美しい植物や樹々が数千年の時を経て、炭化していく。それを掘りだして、乾かしたものがアイラに欠かせない燃料であったピートだ。不思議なことにピートは燃料にする前は香りはない。火をつけた時に初めて年を経たその香りが解放される。アイラの人にとって、ピートは島の風景であり、その香りを纏ったウイスキーは、島そのものなのである。
今回アードベッグが挑戦した「ヘビー・ヴェーパー」の強いピート香。それはアイラ島の自然が積み重ねた歴史だ。蒸留所の技術とアイラの記憶から生まれた一杯は、島の風土と人々の想いを伝えていく。