エグゼクティブはなぜこれほどまで腕時計に惹かれ、“推す”のか。認知科学の新概念「プロジェクション」をベースに分析する。【特集 神推し時計】
推し活の裏にある「プロジェクション」という心の働き
さまざまなブランドの腕時計を収集する、思い入れのある1本を愛用する、お気に入りの時計の写真をインスタグラムにアップし、その魅力を周囲に熱く語る……。
「そういった行為は、まぎれもない“推し活”です」と、認知科学の専門家・久保南海子さんは言う。
「『好き』は対象にただ愛情を注ぐ、受け身的な立場での愛好。一方『推し』は、対象を深く知るために積極的に情報を収集したり、魅力を周囲に広めたりといった能動的な行動を起こすこと。私はそう考えています」
さらに、推し活の裏には「プロジェクション」と呼ばれる人間の心の働きが隠されているとも指摘する。
「人間は自分を取り巻く世界から情報を受け取って自分なりの意味づけをし、その意味づけた世界のなかで活動をしている。外部の物理的な世界と自分の心理的な世界を重ね合わせる一連の心の働きを、認知科学ではプロジェクションと呼びます」
腕時計の本来の用途は、時間を知るための道具。それがある人にとって推しの対象となるのは、腕時計の歴史的価値や熟練の職人技、ブランドの哲学などを知ることによってそこに自分なりの意味づけをするから。その意味づけが重なれば重なるほど、時計という対象がより魅力的なものとなり、どんどんハマっていくというわけだ。
「動物は、目の前のものに対して人間ほど意味を重ねることができません。深いプロジェクションは人間の特異な能力であり、いわば人間らしさともいえます。このプロジェクションによって、人間は自分の内面を外の世界と結びつけ、その先に他者とのつながりも生まれます」
腕時計が好きという共通項があれば、初対面の人でも親しみを感じ、親密なコミュニティも形成されていく。推しは、自分の心を豊かにするだけでなく、コミュニケーションツールとしても有効なのだ。
腕時計は推し活に最適なプロダクト
仕事で成功を収め、経済的にも余裕があるエグゼクティブには、時計好きが多い。そこには何か理由があるのだろうか?
「腕時計は機能だけでなく、技術やデザインの素晴らしさ、ブランドにまつわる歴史など、語るべき物語がたくさんあります。時計愛好家にはそうした物語にロマンを感じている人が多い印象です。そうした腕時計が持つ物語をきちんと理解するには、受け手側の教養や知的好奇心、心の余裕もある程度必要になってくる。
また、いい時計を身につけているということは、自分のステータス、知性を示すことにもつながる。いわば腕時計は、成熟した大人の知的な趣味として受け入れられているのではないでしょうか」
仕事の成功や家族の記念日といった節目に腕時計を購入する人が多いのも、腕時計に自分の物語を重ねているからかもしれない。腕時計が持つ物語に自分自身の物語を加えることで、その時計は唯一無二の時計=推し時計となっていく。
「ひとりで楽しむもよし、それを他人と共有して楽しむもよし。これは腕時計に限らずですが、推しを持つことは自らを取り巻く世界の見え方をがらりと変え、日々の生活や仕事のモチベーションにもなります」
知れば知るほどに奥深い腕時計の世界。まさに時計こそ、推し活にふさわしい絶好のアイテムといえるかもしれない。
「プロジェクション」とは
認知科学の新たな概念で、人間は現実に存在する“あるもの”に対し、自分の考えや価値観などに基づいたイメージを投影する=新たな意味づけをする、という心の働きを指す。同じものを見ても、人によって捉え方が異なるのはそのため。プロジェクションは、自分の心の中と外の世界をつなぐ働きをしているともいえる。
この記事はGOETHE 2024年8月号「特集:神推し時計」に掲載。▶︎▶︎ 購入はこちら