2022年も高級ウォッチブランドから続々と届く新作情報。その中から、新鮮な驚きや価格以上の満足感が味わえる”活きのいい”モデルを厳選! 連載第99回は、オーデマ ピゲの「ロイヤル オーク フライング トゥールビヨン」を取り上げる。
世紀の聞き間違えから誕生したラグジュアリースポーツウォッチ
この数年、ステータスシンボルとしての存在感を増し、金融商材として注目度が高まっている高級時計の市場は、世界的に異常な熱気に包まれている。その中心に立つブランドがオーデマ ピゲであり、ラグジュアリースポーツウォッチの元祖的存在「ロイヤル オーク」は絶大な影響力を持っている。
来る2022年4月、「ロイヤル オーク」の50周年記念を迎えるオーデマ ピゲは、全48種類にも及ぶアニバーサリーモデルを発表した。ただ、残念なことに、需要と供給の折り合いがつかず、そのほとんどが入手が困難な状況にあるという。
ここでは、知られざるの誕生秘話を交え、「ロイヤル オーク」を取り巻く背景について触れていく。
1969年12月、セイコーから世界初のクオーツウォッチ「アストロン」が発売されたことをきっかけに、1970年代に入るとスイス時計業界は激動の時代を迎え、壊滅的な打撃を受けてしまう。機械式時計の産業は低迷する一方で、厳しい現状を打破しようとするムードも相まって、革新的なデザインが次々と生み出されていった。1972年に発表された「ロイヤル オーク」はまさしく時代の寵児であった。
1970年、当時のオーデマ ピゲのグローバルCEOジョルジュ・ゴレイへSSIH(現スウォッチグループ)から、イタリアで流行っていたスチール製の腕時計の製作依頼があったことをきっかけに「ロイヤル オーク」のプロジェクトが始動した。
デザインの担当として白羽の矢が立てられたのは、後に時計デザイナーの草分け的存在となるジェラルド・ジェンタであった。ジョルジュ・ゴレイは彼に「スチール製で革新的な時計のスケッチを一晩で完成させて欲しい」という無理難題を要求した。このやり取りは電話で行われたのだが、ここでジェンタが「革新的な“防水性能を持つ”スチール製の腕時計」と依頼内容を聞き間違えたことが、前代未聞のラグジュアリースポーツウォッチが生まれる結果へと繋がった。
同年6月には、4本のプロトタイプが発注されたのだが、スイスのケース専門メーカーのファーブル・ペレ社が、ジェラルド・ジェンタが考案したデザインをスチールで形成するのは難しいと判断したことから、素材にはホワイトゴールドが用いられた。完成したプロダクトは1971年にSSIHに送られ、プロジェクトにゴーサインが出された。
この年、ファーブル・ペレ社にオーデマ ピゲから1000個のスチールケースを発注する契約が結ばれた。1971年のオーデマ ピゲの総発注本数が237モデル、6237本であった記録からも、この発注が異例中の異例であったことが分かるだろう。
英国海軍の戦艦に由来する「ロイヤル オーク」という名称は1971年12月に決定した。名付け親は、当時のオーデマ ピゲのイタリア市場を担当していた代理人、カルロ・デ・マルキという人物だった。
「ロイヤル オーク」の革新的なコンセプトを具現化するために、オーデマ ピゲは前述のファーブル・ペレ社も含め、専門メーカーの協力を仰いだ。計154個にも及ぶ部品数のブレスレットの製作を担当したスイスの名門ゲイ フレアー社は、ロレックスのオイスターブレスレットを手掛けていたことも知られるウォッチブレスレットの名門の名門だ。搭載された薄型の自動巻きムーブメントCal.920(オーデマ ピゲではCal.2121と呼ばれる)の製造元は、オーデマ ピゲをはじめ、パテック フィリップやヴァシュロン コンスタンタンなどの一流ブランドにエボーシュ(汎用ムーブメント)を提供していたジャガー・ルクルトであった。
こうして紆余曲折を経て、1972年4月15日、「ロイヤル オーク」のRef.5402STが発売された。人々が驚かされたのは、アヴァンギャルドなデザインばかりではない。当時の広告に「ゴールドウォッチよりも高いスチール時計」と表現されているように、発売当初の「ロイヤル オーク」の価格は3650スイスフランと、当時のスチール製の腕時計では世界最高額であった。しかも、この時代の腕時計のサイズは35~36mm径が主流であったため、39mm径の「ロイヤル オーク」は非常に大きな部類であったため、人々は“ジャンボ”というニックネームを名付けた。
世界の超VIPを魅了する「ロイヤル オーク」
初年度のセールスは、全世界で計492本。特にフェミニンなデザインが好まれていたイタリアでの反応は厳しく、計89本にとどまった。その一方で、目の肥えた世界の超VIPが「ロイヤル オーク」に魅了され、いち早く購入したことが記録として残されている。彼らの審美眼が確かであったことは、今日の成功からも一目瞭然だろう。
先見性のみならず、「ロイヤル オーク」がずば抜けて優れていた点は、時代のニーズに対応できる柔軟性にあった。1976年にレディース向けの「ロイヤル オークⅡ」、イタリア市場の要望から1977年に誕生した35mm径のゴールドケース仕様のRef.4100はコレクションに進化を促し、新たな扉を開いた。この年の「ロイヤル オーク」のイタリアでの販売本数は計472本、2年後の1979年には、1737本と飛躍的に数字を伸ばした。その後も、様々な派生モデルをヒットさせたことで、いつしか「ロイヤル オーク」は“ラグジュアリースポーツウォッチ”と呼ばれる新たなジャンルを切り拓いたのだ。
誕生から約50年の月日がたった今もなお「ロイヤル オーク」の基本的な生産体制は変わらず、手間暇を惜しまず1点ずつ手作業で作り続けており、それでいて絶えず進化を続けている。50周年のアニバーサリーモデルから「ロイヤル オーク フライング トゥールビヨン」の3本を例に挙げてみよう。
このハイエンドウォッチを語る上で重要なポイントは、オーデマ ピゲが得意とする美観に優れたフライング トゥールビヨンを搭載していることに加え、ステンレススチール、18Kピングゴールド、チタンの3つの素材すべてに共通して、ブルーのダイヤルを用いている点にある。
ロイヤル オーク フライング トゥールビヨン
ステンレススチールと18Kピングゴールドでは、「グランドタペストリー」模様を施した文字盤に「ナイトブルー、クラウド50」と呼ばれる特別なダイヤルカラーを採用。現代的な素材であるチタンには、サンブラスト仕上げのスモークブルーを組み合わせることでモダンな表情を作り上げた。
「ロイヤル オーク フライング トゥールビヨン」も然り、50周年記念モデルに搭載されるムーブメントの多くは、特別な22Kゴールド製のローターが取り付けられている。
ただでさえ製造が難しい「ロイヤル オーク」の中でも、ハイコンプリケーションの希少性は群を抜いている。それゆえ、コレクターズアイテムとしての価値が年々高まっていることにも頷ける。購入が難しい状況は当面は変わることはないかもしれないが、記念すべきアニバーサリーモデルを通じて、来たるべきチャンスに向けて「ロイヤル オーク」への理解を深めてみてはいかがだろうか。
問い合わせ先
オーデマ ピゲ ジャパン TEL:03-6830-0000
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