北海道余市町。人口2万人に満たない町が大きく変わろうとしている。2018年、町長に当選を果たした齊藤啓輔は、ワインを戦略物資として捉え、海外に照準を合わせた政策で、世界へと歩みを進めている。齊藤が見据える未来には、小さな町のジャイアントキリングが描かれている。
世界が注目するワイン産地、余市
小高い丘の緩やかな斜面を歩く。
10月も半ばになると冬の気配が漂い始める北の大地も、この日は穏やかな陽の光が葡萄畑に降り注いでいる。朝露に濡れた地面が光る。齊藤啓輔は羽織っていたジャケットを脱いでTシャツ姿になると、一面に広がる葡萄棚の中へと姿を消した。
北海道余市町にとって、10月はワイン葡萄の収穫期である。町内に点在する16のワイナリーは慌ただしい時間を過ごす。この日、齊藤が訪ねた平川ワイナリーも御多分に漏れず、収穫の真っ只中。広大な葡萄畑では、あちこちでボランティアの面々が熱心に葡萄をもぎ取っている。齊藤の姿を見つけた醸造家の平川敦雄氏も、挨拶代わりに軽く右手を上げると「後ほどに!」と言って、笑顔で彼方へ駆けていく。小春日和は、収穫日和でもあるのだ。
齊藤は葡萄棚の間隙(かんげき)にしゃがみこんで、目の前の完熟した果実をもぎってはコンテナの中へと仕舞う作業を繰り返している。
「2022年は当たり年ですよ、きっと」嬉しそうに齊藤がつぶやく。
ワインは余市町を活性化させる最大で最強で唯一無二の武器である。齊藤がそう発信し続けて4年。「余市=ワインの町」の萌芽(ほうが)は開花の季節を迎えようとしている。
ワインで一点突破。その先にある未来
2018年、齊藤は北海道余市町の町長に就任した。36歳の時だった。「縁も所縁(ゆかり)もなかった土地ですよ」と笑う。
生まれたのは北海道の北東に位置する紋別市渚滑(しょこつ)。余市からは300km以上離れたオホーツク海に面する小さな町で、少年期を過ごした。
「町には同じ世代の子供が10人くらいしかいなくて、僕は誰とも話が合わなかった。早くここから出たい。ずっとそう思って暮らしていました。もっと言えば、北海道から飛びだしたいという思いを持っていました」
義務教育を終えると齊藤は故郷を離れた。函館ラ・サール高校で寮生活を送り、高校卒業後は早稲田大学への進学を機に、東京へと居を移した。
「早くここから出たい」という思いを15歳の時に、「北海道から飛びだしたい」という願いを18歳でかなえた。
「自分で決めたことは、どんな些細なことでも実現に向けて突き進んでいく。そんな性分なんですよね。子供の頃から、ずっと変わらないです」
今、齊藤が突き進んでいる先に見える景色は、余市町の未来、である。
「ワイン、ワイン、ワインと言い続けているのは、この町の未来を明るくするためです。10年先、20年先、もっと先を考えた時に、きちんとした像が思い描けない町にはしたくない。子供たちが希望を持てる町じゃなければいけない。魅力のない町だったら、人は出ていくしかないわけです。余市はそんな町じゃないでしょ、こんなにポテンシャルのある素敵な町ですよ、だからワインで一点突破しましょう。ずっとそう言ってますね」
そもそも余市町は、齊藤が町長の職に就く7年前にワイン特区の認定を受けている、北海道初のワイン特区だった。ワイン葡萄の産地として長きにわたって国内のワインメーカーに良質な葡萄を提供し続けてきたものの、当時、町内にワイナリーはふたつしかなく、盛り上がっているとは言い難かった。2014年にNHK連続テレビ小説『マッサン』がスタートしたこともあって、どちらかと言えば、ウイスキーの町としての顔が前面に出ていた時期でもあった。
「あの当時、戦略も政策もないなかで、町にワイナリーが増えた要因として特区の成果はもちろんあります。でもそれ以上に、ドメーヌ タカヒコの存在が大きい。僕自身も曽我さんが余市にいなければ、大きな旗を振れなかったかもしれないし、マーケティングやブランディングの方法も変わっていたと思います」
2009年、曽我貴彦氏が余市に移住をして、町で2番目となるワイナリーを立ち上げた。2012年からは自社畑での葡萄造りを開始。ワイン界で知られた醸造家が余市でワイン造りをスタートしたことで、余市の名が知れ渡った。
新規で開業するワイナリーも増え始め、齊藤が町長に当選を果たしたのは、そんな時だった。
「二度と北海道には戻ってくるつもりはなかったんですけどね」冗談ではなく本当に――まじめな顔で齊藤はそう付け加える。
ここにしかないもの。どこにもないもの
大学を卒業した齊藤は、就職先に外務省を選んだ。海外へ視野を広げた仕事がしたい。そう希望していた齊藤にとって、願ってもない職場だった。ただ一点、勤務地を除いては。ロシア方面を担当することになって、齊藤は再び北海道の地を踏んだ。
「外務省時代はずっとロシア方面を担当していました。北方領土担当の時は、2週間に1回は現地へ行くことになる。そうすると、どうしても北海道は切り離せないわけです」
まさか仕事で戻ってくるとはね、と言いながらも、ストレンジャーとして目にした北海道は、子供時代とはまったくの別物に見えたと齊藤は言う。80ヵ国以上を回った経験値もあった。大人の目線で見ると、北海道はポテンシャルに溢れていた。
「やり方しだいでは、これからぐんぐん伸びていく可能性をめているのに誰も何かをやろうとしない。それは国の仕事だから、という感じ。残念だなと」
2016年、齊藤は地方創生人材支援制度に応募して、北海道天塩(てしお)町の副町長に就任する。気がつけば、北海道の未来を考える自分がいた。離れようとすると北海道が引き寄せてくる。そんな感じだったと言う。
「実際に北海道で暮らすようになると、やっぱりそのポテンシャルに驚かされるわけです。自然、食、観光。ここにしかないもの、どこにもないものが揃っている。でもね、僕がいろいろと提案しても、自分たちで動こうという気概がなかなか感じられないわけです。中央からの指示待ちです。なんでやらないんだ。どうしてもっとポテンシャルを活かさないんだ。当時はずっと怒ってましたね」
1970年代、人口が増加フェーズにあった当時は、中央からの援助で地方を発展させていく方法論は確かに有効だった。2000年代に入り、状況が大きく変化した今、同じやり方が通用するかといえば、答えはノー。それでも北海道は知名度と素材だけである程度の人を集めることができた。胡坐(あぐら)をかくには十分な素地があった。永劫安泰な保証はどこにもないのに、未来に思いを馳せないことが齊藤にはもどかしかった。
誰かが嫌われ者になってでもやらなければならないことがある
「余市町の町長選挙に立候補しないか?」
2018年、懇意にしていた議員から声がかかった。齊藤は然諾(ぜんだく)した。出馬を決意した理由は「義憤(ぎふん)にかられて」。歯がゆさが募って、自分がやろうと奮い立ったという。
「モデルケースをつくる。そこから横展開していく。結果的に面として広がっていく。僕の考え方は、町長になってからずっと揺るいでいません。志半ばですけどね」
最初に余市をぐるりと回った時、齊藤はピンときた。ここならワインが戦略物資になるなと。
「ワインは世界の共通言語であって、国際教養でもあり、外交戦略物資なんです。例えば首脳同士の会食になると、外交官がどんなワインを出してくるのか、みんな注目しているわけです。僕自身、大使公邸で会食をやる時は、ワインのアレンジを任せてもらうこともあって、若い頃からワインに接する機会も多かった。好んで飲んでもいました。でも、初めから北海道とワインを結びつけていたわけではないんです。余市だから、ワインだった。他の土地に行けば、もちろん違う戦略を立てます」
齊藤にとって、ワインは唯一の趣味といってもいい。自宅にはワインセラーを備え、常時200本以上のストックがある。ワインエキスパートの資格を有し、知識も経験も豊富だった。義憤にかられた齊藤が決起する場所として、余市は願ってもない町でもあった。
「誰かが悪者になってでもやらなければならないことってあると思うんですよ」
齊藤は言う。本当は悪者じゃないんですけどね、と続ける。
「僕が町長になったことで、これまで当たり前だったことが当たり前じゃなくなる。役場の仕事は特にそう。僕はルーティンを嫌いますからね。前のほうが楽だったと言う人は当然います。悪者っていうよりも、嫌われ者っていったほうがいいかな」
ワインに尽力することも、町では反対意見もある。
「どこの自治体も、見回せば成長産業は必ずあります。そこに集中投資をして戦略的にやっていけば必ず伸びる。でもやろうとしない。なぜか。理由は明白ですよ。ひとつの産業に力を注げば、他の産業から必ず言われます。なんであそこばっかりと。誰もが票を失うことを恐れるからドラスティックなことはできない。自治体が似たり寄ったりの政策になるのはそのせいです」
ワイン一点突破のブランディングとマーケティング。町長に就任して以来、成長産業に投資をして伸ばしていくことが町の成長に繋がると齊藤は言い続けている。ぶれることはない。ワインに投資を続けることに対して、疑問を投げかける声があることも承知している。町民には対話を通じて丁寧に伝えてもいる。が、ワインばかりに金をかけるなという声が耳に届く。
「町長は選挙で選ばれるので、当選しなければ事は起こせません。最終的には町民の判断です。自分たちはなんとかなるさという思いの大人が大多数を占めたら、子供たちの未来はどうなるのか。現状維持すらままならない状況で、ルーティンをこなすだけでは衰退しかないわけです。見たくない現実を見せられると、誰だって嫌になりますよ。でも、悪者になってでもやらなければいけないことはあると思うし、子供たちの未来が明るくなるのであれば、どう思われようと関係ないですけどね」
とはいえ齊藤は、ワインだったら何でもオッケーの姿勢をとっているわけでもない。余市ではドイツ品種のケルナーを栽培し続けてきた歴史がある。ケルナーの生産者も多い。そんななか、ケルナーからシャルドネやピノ・ノワール等に品種変更すれば、1.5倍の補助金を出すという施策をうった。
「もちろん反発をくらいますよ」齊藤は苦笑いを見せる。
「今、世界の潮流はブルゴーニュにあって、ケルナーはドイツ本国でも作付を減らしています。余市の土壌にはシャルドネもピノ・ノワールも合っている。だったら、売れる品種に変えたほうがいい。品種転換をすることで、収穫も増えて所得も上がりますよと説明はします。でも簡単には事が運ばないですよね」
そう言った後、「結局、何を言われてもやりますけどね、僕は」と、齊藤は揺るがない姿勢を見せる。
未来のために変える。町のために変わる
齊藤の仕事は過去を否定するものではない。未来を肯定することだ。未来が明るくなれば、大変な仕事も簡単な仕事も関係ないと言い切る。決断の基準は、町の将来のためになるかどうか。その一点に尽きるという。
「検討しますとは言わないです。検討しますって、やらないと同義語の都合のいい言葉なんですよ。戦略的決定を下すことこそが自治体の長の仕事。それができないんだったら、僕がここにいる必要はないわけです」
20代だった齊藤は、ロシア語圏を歩きながら、外務省の先輩たちの背中から多くのことを学んできた。外交の武器は武力か経済力だ。どちらも持ち合わせていない日本が対等に渡り合える術は、マーケティングやブランディングを磨くことだった。それができなければ、世界で勝ち残れない。だから必死だった。その思いは今も変わらない。
ワイン葡萄の収穫時期になると、余市の町には道内のあちこちから、はたまた日本全国からボランティアが駆けつける。齊藤が立ち寄った平川ワイナリーにはニセコのホテルから、スタッフたちが勇んで手伝いに来ていた。余市のワイナリーを目指して、全国からワインラバーが集まってくることを齊藤は誇らしく思っている。
齊藤の政策に人口の流入は入っていない。頭のなかにはフランスはブルゴーニュ地方のヴォーヌ・ロマネ村がある。人口わずか300人の村は、良質なワインを造り続けることで、おおいに潤っている。
ワインで一点突破。齊藤が考える余市の未来は、現状の力を最大限に発揮することで、人と町が幸せであるということ。そしてその先には北海道の明るい未来が待っている。
齊藤啓輔の3つの信条
1.ブランディングとマーケティング重視
余市のワインで世界に進出を考えた時、ターゲットをどこに置くか。北海道の食との共通項を見出せば、答えは明白。ヨーロッパのなかでも北欧に定め、トップティアを狙う。
2.すべては子供たちの明るい未来のために
判断基準は子供たちの未来にとってプラスかどうか。現状を基準に考えない。子供たちが未来に希望を持てる社会になるのであれば、悪者になることも嫌われることも厭わない。
3.ワインは国際教養であり、戦略物資である
相手にどんなワインを出すかで、その人の重要度が推し量れるほどに、ワインは重要な意味を持つ。国際言語としても通用するワイン。自治体の長として、知識はあって然るべき。
Keisuke Saito
1981年北海道生まれ。早稲田大学を卒業後、外務省に入省。在ロシア大使館、在ウズベキスタン大使館、在ウラジオストク総領事館、外務省ロシア課を経て、内閣総理大臣官邸へ出向する。2018年外務省を退職。余市町長選挙に立候補して当選を果たす。2022年再選を果たす。