短期集中連載「安藤忠雄が走る理由」。第4回となる今回は、ゲーテ2019年7月号より当時77歳の安藤忠雄特集を蔵出し。安藤忠雄の盟友である、ファッションの帝王、ジョルジオ・アルマーニ。革新的な表現でトップを走り続ける両者。互いに惹かれ合うその友情関係に迫る。
ANDOはアーティストであり、ともに創作するパートナー
1998年、大阪の安藤忠雄建築研究所にミラノから電話がかかってきた。電話の主はファッションの帝王、ジョルジオ・アルマーニ本人。それはブランドのショーの舞台となる施設の設計の依頼だった。
すぐにミラノに飛んだ安藤は、アルマーニと打ち合わせを行った。そのなかで安藤に期待されたのは「建築の永遠性」だったという。その時のことをアルマーニはこう振り返る。
「私が初めてANDOの作品に触れたのは、1997年に東京を訪れた時に手に入れた日本の建築に関する書籍からでした。ANDO建築の特徴である幾何学的な設計、コンクリートという素材、そして彼が空間の性質を際立たせる要素として光を使っていることに大きな感銘を受けたのです。彼の建築は力強さと同時に詩のようなもので満たされています。ANDOと初めて会った時、私たちは言葉が通じませんでしたが、お互いにスケッチを描くことによる視覚的な会話で意気投合しました。そして私は気づいたのです。彼はアーティストであり、ともに創作するのにふさわしいパートナーである、と」
そして2001年に、安藤による「アルマーニ/テアトロ」が完成。それはミラノ市内にある古い工場を再生させた劇場だった。レンガ造りの建物の内部にコンクリートの建築を埋めこんだ建物は、エントランスをくぐってから、奥の劇場に入るまでのアプローチが演劇的。コンクリートに囲まれた柱が林立する長い廊下を抜けると、突如、天井高のある圧倒的大空間が出現する。さらに劇場の内部構造は可動式ゆえ、さまざまなショーや展示に対応すべく自在に変化。そのできばえに、アルマーニは期待していた以上だったと喜んだという。
安藤は言う。
「私が考える“再生”とは、単に旧いものを残すことでもなく、それを新たなものとしてつくり替えるものでもない、新旧が絶妙なバランスで共存する状態をつくりだすことです。そこに生まれる新旧の対話、過去から現在、未来へと時間をつなぎ、場に新たな命を吹きこむ─あるものを生かしてないものをつくるのです」
こうして芽生えた20年以上も続くアルマーニと安藤の友情は、今年ひとつのカタチとして結実した。それがミラノにある「アルマーニ/シーロス」で催されている展覧会『Tadao Ando. The Challenge』だ。「アルマーニ/シーロス」は、「アルマーニ/テアトロ」に隣接する文化複合施設。ここで現在、安藤忠雄の個展が開催されているのである。
『挑戦』と題されたその展覧会は、一昨年に東京「国立新美術館」、昨年はパリ「ポンピドゥー・センター」で開催されたもの。安藤の建築の初期代表作「住吉の長屋」から始まり、30年以上関わり続けてきた「直島の一連のプロジェクト」、ヴェネツィアの「プンタ・デラ・ドガーナ」、そして現在進行中のパリの「ブルス・ドゥ・コメルス」までを紹介する。水と光、自然の要素を取りこんだ幾何学的構成による数々の建築を通して、建築家・安藤忠雄が歩んできた挑戦の軌跡と未来への展望に迫っていく。
企画したのはアルマーニ本人。自ら「ポンピドゥー・センター」での展示を見に行き、今回のミラノでの巡回展を決定した。
「パリでの展覧会は、なぜ私が20年前、ANDOと仕事をすることを望んだかを思い出させてくれるものでした。その展示は非常に親しみやすいもので、会場には建築に興味がある人はもちろん、そうでない人も、また、子連れの家族など、本当にさまざまな来場者がいることに衝撃を受けました。ANDOは建築を心に話しかける共通言語にすることができるのです。そして、それは私がファッションでやりたいこと。私はこの展示を見てすぐに、私のファッションの常設展を行っている『アルマーニ シーロス』で、同時に展覧会を開催したいと思いました」
アルマーニさんから楽しく生きる、美しく生きるということを学んだ
ミラノでの展示は、スケッチやドローイング、模型、映像、図面などの資料を駆使して、50以上のプロジェクトを紹介。なかには、初めての公開となる「アルマーニ テアトロ」の模型もある。また安藤の創造の原点でもある旅のスケッチと、安藤自身が撮影した写真も同時に展示されている。東京やパリでの展覧会とは異なり、ひとつながりの大空間ではなく、部屋ごとに分かれているため、その分、展示に集中し、没頭できる。
設営にあたっては、アルマーニ自ら何度も訪れ、配置や照明について指示。模型の細かいところがよく見えるようにスポットライトの当たり方も調整した。その熱の入れようは、普段開催されている企画展ではなかなかないものだったという。
「私が建築の道を志した1960年代は、ちょうどイタリアン・モダンの全盛期です。機能主義を超えた“デザイン”の美しさ、面白さに感動し、夢中になって追いかけました。今なお衰えることのない、その創造精神にはいつも刺激を受けています。そんなデザイン大国イタリアの中心、ミラノで、自身の建築思想を人々に問う─この素晴らしい機会を与えてくれたアルマーニさんには、ただただ感謝の気持ちしかありません。私はイタリアの人々から楽しく生きるということ、そしてアルマーニさんから美しく生きるということを学びました。アルマーニさんの美を最後まで徹底的に追求する姿勢、自分がつくったものに対しての誇りと責任感には頭が下がります」
そう安藤が言えば、アルマーニはこう言う。
「周りの人たちは、私たちのことをお互いにせっかちだと言いますが(笑)、私たちには共通点がいくつもあります。まず何かを組み合わせることで、新しいものをつくることが好きだということ。日々、生産的であろうとハードに働くこと。そして、自分たちの作品に情熱を持っていることです。今回の展覧会は私にとってもチャレンジでした。私は、いつかまたANDOと仕事がしたい。今度は彼に新しいチャレンジを提供したいと思います」
20年以上にわたって親交を続けるアルマーニと安藤。ファッションと建築という異なる分野で世界のトップを走り続けるふたりが手がける作品は、派手でも豪華なものでもなく、いたってシンプル。そして、その精緻なフォルムは、着る者、訪れる者の背筋を伸ばし、人を甘やかすことがない。だが、そこには燦々と光が溢れ、日常の生活を彩るのだ。
安藤は常々「永く残る建築をつくりたい」と言うが、それは決して物理的な意味ではなく、人々の心に永く生き続ける建築ということ。ふたりの作品は、心に訴えかけ、人生を豊かにしてくれるのである。
Tadao Ando
1941年大阪府生まれ。独学で建築を学び、’69年に安藤忠雄建築研究所を設立。世界的建築家に。現在、世界中で進行中のプロジェクトは50を超える。プリツカー賞、文化勲章をはじめ受賞歴多数。
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