時代を自らサバイブするアスリートたちは、先の見えない日々のなかでどんな思考を抱き、行動しているのだろうか。本連載「アスリート・サバイブル」では、スポーツ界に暮らす人物の挑戦や舞台裏の姿を追う。今回は3時間超えの熱戦を制し、悲願のウィンブルドン初優勝を達成したプロテニスプレイヤーの国枝慎吾に注目したい。
悲願の生涯ゴールデンスラム
ついに最後のピースが埋まった。英ロンドンのオールイングランドクラブで2022年6月27日から7月10日に開催されたテニスのウィンブルドン選手権の車いすの部男子シングルスで第1シードの国枝慎吾(38歳・ユニクロ)が初優勝。車いす男子史上初めて全4大大会とパラリンピックを制する生涯ゴールデンスラムを達成した。
「夢が叶い、これで完結したなと思った。いつでも、すっきりとやめられると思ったのも事実。勝てれば、この後の大会は全部負けてもいいと思ってやっていた。それぐらい気合は入っていた」
初戦の準々決勝で世界ランク6位のトム・エフべリンク(29歳・オランダ)に6-1、6-7、6-1のフルセットで勝利。準決勝は世界ランク7位の前回王者ヨキアム・ジェラール(33歳・ベルギー)を6-2、6-1のストレートで破った。
決勝では第2シードのアルフィー・ヒューエット(24歳・英国)に3時間20分の激闘の末に4-6、7-5、7-6で逆転勝ち。地元で大歓声を浴びるヒューエット鋭いリターンに苦しみながら、何度も崖っぷちからカムバックした。「もう駄目かもという思いと、まだまだいけるという思いが頭の中で闘っていた」。第2セットは4-5の第10ゲームで0-30から巻き返し、3ゲームを連取した。最終セットは5-6の第12ゲームを0-30から奪取。タイブレークでも先行を許したが、4-5から6連続得点で終止符を打った。
4大大会シングルスで28度目の優勝。ダブルスと合わせると通算50度目の頂点となった。シングルスでは全豪オープン11度、全仏オープン8度、全米オープン8度、パラリンピックも3度('08年北京、'12年ロンドン、'20年東京)の優勝を誇るが、'16年に車いす部門のシングルスに門戸を開いたウィンブルドン選手権だけはタイトルから見放されてきた。
全豪、全米のハードコートや全仏のクレーと比べて、芝は車いす操作が重くなり、チェアワークが難しい。加えて、バウンド後の球足が低く滑る芝は、パワーがある外国勢に有利。チェアワークに長け、球種やストロークを中心に試合を組み立てる国枝にとっては長所を生かしにくいサーフェスだった。
苦手の芝を攻略した裏には"芝の王者"からの助言があった。昨年大会で初戦敗退後、所属契約を結ぶユニクロのイベントで、ウィンブルドン8度の優勝を誇るロジャー・フェデラー(40歳・スイス)と共演。「グラスコートでどうプレーするべきか?」と質問をぶつけると「すべてのポイントを攻めるべき。ミスをしても後悔しない。それが大事だ」と返された。このアドバイスで開眼。今大会はミスを恐れずに責め続けて、悲願のタイトルを手にした。
ウィンブルドン初優勝。その先に目指すものとは
ゴールデンスラムとはテニスが正式競技として五輪に復帰したソウル五輪が開催された1988年にグラフ(ドイツ)が全4大大会と五輪を制した際に生まれた言葉。国際テニス連盟が定めるテニスの主要大会である全豪オープン・全仏オープン・全英オープン・全米オープンの4つのトーナメント大会(=グランドスラム)に加え、4年に1度開催されるオリンピックも制覇することをいう。同一年に全て優勝する年間ゴールデンスラムの達成者はグラフだけ。生涯ゴールデンスラムもS・ウィリアムズ(米国)、アガシ(米国)、ナダル(スペイン)を加えた4人しかいない。車いす部門では昨年、女子のデフロート(オランダ)が史上初の年間ゴールデンスラムを成し遂げている。
国枝が人生最大の目標だった東京パラリンピックを制してもモチベーションを維持できたのは、ゴールデンスラムがあったからに他ならない。優勝後の会見では「とても特別な瞬間だった。東京パラリンピックは僕のキャリア最大のハイライトだったが、それと同じくらい大きなもの。本当にこのタイトルが欲しかった。僕はもう38歳で、これが最後のチャンスかもしれないと思っていたので、本当に嬉しい。これまで獲得したなかで最高のグランドスラムタイトル。一番難しかったグラスコートなので」と充実感を滲ませた。
9歳の頃に脊髄腫瘍を発病し車いす生活となり、11歳で車いすテニスを開始。「俺は最強だ!」を座右の銘に車いすテニス界の頂点にのぼりつめた。昨年の全米オープンから4大大会で4大会連続の優勝。8月29日開幕の全米オープンでは、同一年に全4大大会を制する年間グランドスラムが懸かる。国枝は「現役への意欲を保てるか?」との質問を受け「そうだといい。次に何を目指すかはゆっくり考えたい」と語った。ゴールデンスラムの余韻に浸りながら、時間をかけて次に進むべき道を思案する。