PERSON

2022.01.02

【オカダ・カズチカ】「下っ端だったことをつらいと思ったことはない。それが今の僕をつくった」──新刊『「リング」に立つための基本作法』Vol.3

2022年に創立50周年を迎える新日本プロレス。団体を牽引するプロレスラー、レインメーカーことオカダ・カズチカが自身のポリシーやプライベートを綴った『「リング」に立つための基本作法』が発売中。そのなかから一部を抜粋して紹介する。

オカダ・カズチカ氏

人とのコミュニケーションは後輩体質で

ずっと下っ端だった。

子どものころは、5つ年上の兄に毎日泣かされていた。両親は共働き。昼間は兄と、兄の友だちに遊んでもらっていた。小学生時代、兄たちはどこへ行くのも自転車。小さい僕はひたすら走る。田んぼに囲まれた道を走って、兄たちの後を追いかけた。

でも、ふり返ると、ずっと面倒を見てもらっていた気がする。兄は僕をけっして置いてきぼりにはしなかった。いつも遊んでくれていた。

あの子ども時代に、僕の“後輩体質”が育ったのではないだろうか。そんなふうに思う。

中学を卒業した僕は、高校進学を選ばなかった。理由は単純。プロレスが好きだったからだ。就職も選ばなかった。修行をして、プロレスラーになりたかったのだ。

進路に選んだのは、闘龍門。メキシコの日本人ルチャドール養成学校だ。ルチャドールとは、ルチャリブレ(メキシカンスタイルのプロレス)のプロレスラーのことだ。

今、僕が闘っているのは新日本プロレスのリング。でも、僕が中学生のころ、2000年代前半にテレビで見た新日本には華やかさを感じなかった。誰もが黒いパンツ。いわゆるストロングスタイルで、格闘技色が強かった。

一方、ルチャリブレはエンタテインメント性も豊かだ。動きが速い。関節技や投げ技も多用するけれど、派手な空中殺法が魅力的だった。コスチュームも華やかで、マスクマンばかり。

闘龍門でトレーニングを積むと、メキシコのリングで闘える。そこにも魅力を感じた。

闘龍門の同期入門は30人。一ヵ月でどんどんやめて、すぐに8人になった。15歳の僕は最年少。

トレーニングはもちろん厳しい。スクワットは毎日500回。腕立て伏せも300回。160段の階段のランニングを15往復。練習生もコーチも一緒にやる。コーチは現役のプロレスラーなので、自分のトレーニングも必要なのだ。

スクワットも、腕立て伏せも、誰かが途中で挫折すると、練習生全員がやり直し。連帯責任だ。最年少の僕は100回くらいで力尽つきて、みんなに迷惑をかけた。それでも、誰一人僕を責めなかった。

メキシコ修行を経て新日本プロレスに入ったのは19歳のとき。ライガーさんの紹介だった。闘龍門で4年経験を積んだとはいえ、メジャー団体の新日本では、道場で生活する新弟子扱い。また下っ端だ。

スクワットや腕立て伏せ、朝から夜まで道場生4人の交替制で、ちゃんこ番や洗濯、電話番をやった。

このように、これまでの僕の歩みは下っ端時代が長い。

「つらかったでしょ?」

とよく聞かれる。

もちろん、トレーニングはとんでもなくきつかった。でも、一番下であることをつらいと感じたことはない。むしろ、いいことが多かったと思う。

ずっと下っ端だったからこそ、年下体質というか、後輩体質が自然に身についていった。それが生きていくうえでは強みだとさえ感じている。

ずっと下っ端だと、怒られないようにいつも上の人たちの様子をうかがっている。すると、人と人との微妙な距離の取り方がわかる。

相手がはるかに年上でも、たとえばプロレス界のレジェンド的な存在でも、懐に入ることができる。甘えられるのだ。

「ごはん連れて行ってください!」

先輩や年上の方に、僕は躊躇なく言える。

ご馳走する側は、おそらく、なにかと遠慮する後輩よりも、がつがつ食べる後輩のほうがかわいい。

「ここはオレが持つから」

先輩が言ったら、僕は即座に反応する。

それは、30代になった今も変わっていない。

「ご馳走さまです! すみません、実は財布を出すつもりはありませんでした!」

先輩は苦笑いしながらも、また誘ってくれる。なにかにつけ、気にかけてくれる。かわいがってくれる。

僕は人の好意には甘えることをモットーにしているのだ。

ただし、その場は遠慮なく甘えるけれど、どこかで必ずお礼をするように心がけている。そこには感謝の気持ちに加え、サプライズをしたいというエンタテインメントの部分もあるかもしれない。日を改めてご馳走させていただく。

僕が支払いをすると、相手の人は驚いた顔になる。

「オリンピックの年は僕に持たせてください」

そう言う。

4年に1回は僕に払わせてください、というかなり図々しい申し出に、みなさん笑いながら応じてくれる。

こうした人間関係を築けたのは、下っ端時代が長かったからだと思う。

闘龍門でも、新日本でも、僕の下はなかなか入ってこなかった。だから、ずっと僕が下っ端だった。それが僕を人懐っこい性格にしたのだと思う。

ただし、ただ甘えているだけではダメ。本当の意味でのお礼はリングの上で活躍することだからだ。プロレスで評価されていなければもちろん相手にされない。目一杯練習をして、試合でも自分ならではの存在感をつくっていかなければ、相手にされない。

闘龍門時代、15歳の僕はスクワット500回や腕立て伏せ300回がなかなかできず、連帯責任で、年上の人たちを巻き添えにした。申し訳なかった。悔しかった。だから、トレーニング後も寮の廊下で、一人でスクワットや腕立て伏せをやって、筋力をつけていった。みんなは僕の努力をいつも見守っていてくれた。

本気で努力する姿を見ているからこそ、先輩たちはかわいいヤツだ、と思って目をかけてくれる。

 

『「リング」に立つための基本作法』

『「リング」に立つための基本作法』
オカダ・カズチカ
¥1,600 幻冬舎
なぜ強いのか、なぜ特別な存在であり得るのか……。オカダがトップに昇りつめるにあたって、強く意識したこと、自分に課していることを、心と身体、両面から率直に綴る。老若男女、誰もが自らの「リング」に立つためのヒントになる、オカダ流人生の極意の数々。アントニオ猪木や天龍源一郎との遭遇、闘い、教えられたことの記述も興味深い。
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オカダ・カズチカ
1987年愛知県安城市生まれ。15歳のときにウルティモ・ドラゴンが校長を務める闘龍門に入門。16歳でメキシコのアレナ・コリセオにおけるネグロ・ナバーロ戦でデビューを果たす。2007年、新日本プロレスに移籍。11年からはレインメーカーを名乗り、海外修行から凱旋帰国した12年、棚橋弘至を破りIWGP ヘビー級王座を初戴冠。また、G1 CLIMAX に初参戦し、史上最年少の若さで優勝を飾る。14年、2度目のG1制覇。16年、第65代IWGP ヘビー級王座に輝き、その後、史上最多の12回の連続防衛記録を樹立。21年、G1 CLIMAX 3度目の制覇を成し遂げる。得意技は打点の高いドロップキック、脱出困難なマネークリップ、一撃必殺のレインメーカー。191cm、107kg。

PHOTOGRAPH=玉川 竜

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