まだまだ先行きが見えない日々のなかでアスリートはどんな思考を抱き、行動しているのだろうか。本連載「コロナ禍のアスリート」では、スポーツ界に暮らす人物の挑戦や舞台裏の姿を追う。
今季W杯で圧倒的なパフォーマンス
2022年2月の北京五輪に出場する日本勢で最も金メダルに近い存在のひとりであることに疑いの余地はない。スピードスケート女子の高木美帆(27=日体大職)が2021年11、12月に開催されたW杯第1~4戦で圧倒的なパフォーマンスを見せた。
1000mと1500mの2種目で日本スケート連盟が定めた順位基準を満たし、年末の日本代表選考会を待たずに、北京五輪出場権獲得を確実にした。2018年平昌五輪で銀メダルを獲得した本命種目1500mは1強の様相を呈しているが「五輪は全く別物だと思っている」と油断はない。
1500mはW杯第1~3戦の3レースを滑り全て優勝。標高約1400mで空気抵抗の低い米ソルトレークシティーで開催された第3戦は1分49秒99の好タイムを叩き出した。1分49秒台は女子では高木美帆しか足を踏み入れていない領域。自身が3季前に同じリンクで出した世界記録まで0秒16に迫った。
平昌五輪で銅メダルを獲得した1000mはW杯第1、2戦が2位で、第3戦が優勝。第4戦は1000m、1500mの出場を見送り、今季W杯で初めて3000mを滑った。3分55秒45で自身の日本記録を1秒64更新。格下のBクラスで1位となり、Aクラスでも3位に相当するタイムだった。今季W杯の個人種目は出場全7レースで2位以上。通算勝利数は15まで伸び、小平奈緒、清水宏保(ともに34勝)、堀井学(22勝)に続く日本勢歴代4位に浮上した。
順調な調整ぶりが際立つが「自分自身の全体的な評価はそんなに高くない。完成度というか、突き詰められたレースはそんなに多くないと感じている。ソルトレークシティーではいいレースができたが、それを上回るレースをしていかないと後退に転じる。この先どう取り組んで、その都度出てくる課題や壁を越えていけるかが重要になる」と自己採点は厳しい。
史上最年少五輪出場から12年
北京が自身3度目の五輪となる。2010年バンクーバー五輪にスピードスケート史上最年少の15歳で初出場。"スーパー中学生"として注目を集めたが、1500mは23位、1000mは完走した35選手中最下位に沈んだ。4年後の2014年ソチ五輪は代表選考会で落選。五輪期間中は初出場した姉・菜那らの滑りを地元のパブリックビューイングで観戦し、複雑な想いにかられた。挫折をバネに、2018年平昌五輪は1000mで3位、1500mで2位、団体追い抜きで優勝。金銀銅メダルをコンプリートして雪辱を果たした。
「バンクーバーは全てにおいて初めて触れることが多く、刺激の多い毎日だった。同年代の誰よりも早くトップの空気感、生活に触れることができたのは大きかった。ソチは選考会で結果を残せず、五輪に対する想いの強さを改めて感じるきっかけとなった。平昌は落選を経て自分と向き合い直し、人生を懸けることができた」
全てを出し尽くした平昌五輪の翌シーズンはモチベーション維持に苦しんだ。葛藤と戦いながら「自分の気持ちが北京五輪に向いた時にしっかり走り出せるように地道にやるべきことはやる」と練習を継続。W杯で世界のライバルと再び対戦することで、自ずとスケートに集中していった。2019年3月のW杯ソルトレークシティー大会で世界記録を樹立。2020年に新型コロナウイルスの影響で自身と向き合う時間が増え「五輪で戦いたい気持ちが再び芽生えてきた」と完全に気持ちが切り替わった。
4種目すべてで狙える表彰台
年末の北京五輪日本代表選考会では3000mにも出場する方針で、五輪本番は1000、1500、3000m、団体追い抜きの4種目に出場する可能性が高い。全種目で表彰台を狙える位置にいるが、高木美帆の境地はメダルや記録を超えたところにある。
「歴史に残ることにはそんなに興味がない。そこまでの過程にやりがいがあると感じている。世界記録を出した後も記録は更新し続けていくものなので、余韻に浸ることもなかった。いろんなことを成し遂げることにはあまり興味がないのかな。純粋に自分がこれをできたら格好いいなと思うところに進んでいく。そのなかに北京五輪もある。積み上げてきたことを五輪の舞台で最大限に発揮できたらどうなるのだろうという興味はあります」