新型コロナウイルス感染拡大の先行きが見えないなかで開催された東京五輪は、一体どんな大会だったのだろうか。現地で取材したスポーツニッポン木本新也記者が統括する。
史上最多58個のメダル獲得
57年ぶりに東京で開催された五輪には206の国と地域から約1万1000人の選手が参加した。国立競技場の建設計画の白紙撤回に始まり、エンブレムのデザイン盗用疑惑や新型コロナウイルスによる1年延期、組織委員会会長の女性蔑視発言による辞任、開会式の制作関係者の過去の問題発言などによる相次ぐ辞任。多くのトラブルに見舞われながら、過去最多の33競技が実施された。
自国開催の五輪で、日本は58個のメダル(金27、銀14、銅17)を獲得。2016年リオ五輪の41個を超えて史上最多となった。総数は米国、中国、ロシア、英国に次ぐ5番目で、金メダルに限れば、米国、中国に次ぐ3番目。大会中は7月24日の競技初日から一日も途切れること無く最終日の8月8日まで連日メダリストが誕生したが、競技によって大きく明暗は分かれた。
柔道は個人戦男女14階級で、史上最多の金9個を含む11個のメダルを獲得した。コロナ禍で選手を集めた合宿をできない中、定期的にオンラインでのミーティングを開催。1週間に1回のペースで、稽古の現状や体調などを情報交換し、海外勢の特徴や調子などライバルの動向も共有した。また「新技習得」をチーム全体のテーマに設定。各選手が海外勢のデータにない技を増やしたことで、得意技につなげる攻撃の幅が広がった。
金2、銀1、銅1を手にした体操ニッポンも個人総合と種目別鉄棒を制した橋本大輝(20=順大)というニューヒーローが誕生。難易度を示すDスコアは'19年と比べて6種目合計で2点近くアップしており、五輪が延期されなければ代表入りを逃していた可能性もある。個人総合で5位に食い込んだ北園丈琉(18=徳洲会)ら、この1年で急成長した若手が軸を担った。ROC(ロシア五輪委員会)にわずか0.103点及ばず銀メダルだった団体総合メンバーの平均年齢は21.5歳。'24年パリ五輪へ明るい未来を予感させた。
明暗が分かれた期待の競技
期待に反して結果を残せなかった競技もある。バドミントンは「金3個を含むメダル6個」の目標に遠く及ばず、スポーツ庁が強化費を重点配分する最上位格付け「Sランク」の5競技で唯一、金メダルなし。全種目で世界ランク5位以内という最強の陣容をそろえながら銅メダル1つに終わった。日本協会は当初、延期が決定した昨年3月から毎月強化合宿を行う方針だったが、各所属チームとのコロナ対応の認識の違いから相次いで中止になった。半年の空白を経て昨年9月から代表合宿は再開したが、同じメンバーで同じ練習が続き「マンネリ化」。実戦感覚やモチベーション維持の工夫は乏しかった。
競泳も目標の「複数の金を含むメダル10個以上」には遠く、金2、銅1に低迷した。2000年代の五輪では最少メダル数。入賞数は9で、1988年ソウル五輪以来8大会ぶりに1桁に沈んだ。午後に予選、午前に準決勝、決勝を実施する不慣れな日程に苦しんだことに加え、コロナ禍で事前に海外勢とレースをこなせなかったことも響いた。欧州勢は5月の欧州選手権でライバルの状態を把握しており、米国勢は国内の代表権争いが世界レベルに近い。日本は6月にジャパン・オープンなどをこなしたが、ドメスティックな目線を世界に向けられなかった。
メダル獲得数に一喜一憂する競技が大半を占める中、新採用のスケートボードは異彩を放った。女子パークでは四十住さくら(19=ベンヌ)が金、開心那(12=WHYDAH GROUP)が銀、スカイ・ブラウン(13=英国)が銅と10代選手が表彰台を独占。大技に挑んで転倒して4位となった岡本碧優(15=MKグループ)が健闘を称えられて世界各国の選手からハグされたシーンは国籍やメダル争いを超えたスポーツの原点を思い出させた。
近年の五輪は商業主義が加速して肥大化。コロナ禍の開催には賛否あり、分断も生んだ。準備期間を含めて数多くの問題が浮き彫りになったメガイベント。“大人の事情”で民意が離れつつある中、新採用競技で10代の選手達が純粋にスポーツを楽しむ姿は、ある意味シニカルだった。