どんなスーパースターでも最初からそうだったわけではない。誰にでも雌伏の時期は存在しており、一つの試合やプレーがきっかけとなって才能が花開くというのもスポーツの世界ではよくあることである。本連載「スターたちの夜明け前」では、そんな選手にとって大きなターニングポイントとなった瞬間にスポットを当てながら、スターとなる前夜とともに紹介していきたいと思う。第6回は東京ヤクルトスワローズの村上宗隆。【第6回 柳田悠岐(福岡ソフトバンクホークス)】
2016年5月12日・九州大会2回戦 佐賀商戦
6月16日、東京オリンピックの野球日本代表選手が発表されたが、選出された24人の中で最年少となるのが21歳の村上宗隆(東京ヤクルトスワローズ)だ。プロ入り2年目の2019年に36本塁打を放って新人王に輝くと、昨年は最高出塁率のタイトルを獲得。今年も現時点で両リーグトップとなる21本塁打を放つなど、4年目にして既にプロ野球を代表するスラッガーとなっている。
村上の名前が一躍全国区となったのは'15年夏のことだ。当時1年生ながら強豪九州学院の4番を任されると、夏の熊本大会初戦ではいきなり満塁ホームランを放つなどの活躍を見せて、チームを甲子園出場に導いている。しかし当時から今のような圧倒的なパフォーマンスを見せていたわけではない。筆者が初めてそのプレーを見た甲子園大会初戦の遊学館戦では、プロ注目の好投手である小孫竜二(現鷺宮製作所)の前に4打数ノーヒットと完璧に抑え込まれており、チームも早々に敗退。当時のノートにも「1年生にしては打席での雰囲気はあるが、タイミングのとり方に余裕がない」と書いている。この大会で2本塁打を放つなど大活躍を見せた同学年の清宮幸太郎(早稲田実→日本ハム)と比べると、対応力はまだまだという印象だった。
そんな村上のイメージが一新されたのが翌年春に長崎で行われた九州大会だ。通常、春の九州大会は4月下旬に行われるが、この年は4月14日に発生した熊本地震の影響で5月に延期となっている。村上を擁する九州学院が登場したのは5月12日の長崎県営球場での対佐賀商戦だった。この試合、村上は3番、キャッチャーで出場。第1打席で一・二塁間を鋭く襲う内野安打で出塁すると、第3打席では内角の厳しいボールをライト前に運びマルチヒットをマーク。しかしより強く印象に残ったのがこの2安打以外の3打席だ。第2打席では少しタイミングを外されたようなスイングのセンターフライに倒れているが、その打球はフェンスぎりぎりまで到達。対戦した投手もこのスイングであそこまで飛ぶのかと驚きの表情を見せていた。そして第4打席と第5打席はともに四球で出塁しているが、何とか際どいコースを攻めて打ち損じを狙うバッテリーの攻めに対してしっかりボールを見極めて奪ったものだった。
ちなみに第4打席は3点、第5打席は5点リードされた場面での打席であり、状況を考えても何とか打ちたい気持ちはあったはずだが、それでも打席で冷静さを失わないところに大物感が漂っていた。ちなみにこの試合での相手守備陣は村上の打席でセンターとライトがフェンス手前まで後退し、内野手も極端に右方向へ寄って守っていたが、2年生の打者にそのような"シフト"をとること自体、珍しいことである。それだけ村上のバッティングが突出していた証明とも言えるだろう。
セカンド送球で4度も2秒切り
そして村上が素晴らしかったのは打撃だけではない。キャッチャーとしても2.0秒を切れば強肩と言われるイニング間のセカンド送球では4度1.9秒台をマーク。しかも全力ではなく、コントロールを重視した送球でのタイムであり、まだまだ余力が感じられた。当時から187㎝、93㎏と堂々とした体格を誇っていたが、動きも軽快で、当時のノートにも「無駄な動きのない小さなテイクバックと鋭い腕の振りで、速くて正確なスローイング。フットワークの良さも目立ち、捕手としての守備も超高校級」と記している。プロ入り後すぐに内野手に転向したことが異例のスピード出世に繋がったと言えるが、捕手としても大きな可能性を秘めていた選手だったことは間違いないだろう。
今から再びキャッチャーに挑戦すべきとは当然思わないが、捕手としての大きな可能性に蓋をした分、更に打者として圧倒的な存在になってもらいたいという個人的な気持ちは強い。東京オリンピックでも、今後日本の4番は村上しかいないということを世界に知らしめるような活躍を見せてくれることを期待したい。
Norifumi Nishio
1979年、愛知県生まれ。筑波大学大学院で野球の動作解析について研究。在学中から野球専門誌への寄稿を開始し、大学院修了後もアマチュア野球を中心に年間約300試合を取材。2017年からはスカイAのドラフト中継で解説も務め、noteでの「プロアマ野球研究所(PABBlab)」でも多くの選手やデータを発信している。