嵐の相葉雅紀氏が有志と共同で贈ってくれた、粋な演出
楽天イーグルスの石井一久ゼネラルマネージャー(GM)兼監督にとって、その時計との出合いは、運命的だった。
プロ野球選手として22年。チームの編成を担うGMとして約2年半。石井氏は、勝負の最前線で戦ってきた。
ただこれまで、自分や野球以外の“何か”に頼ることはなかったと、あっけらかんと笑う。
「勝負だったり、特別な時に何かを身につけることがなくて。ゲンを担ぐこともないんです」
昨年11月。運命の歯車が動きだす。プロ野球初のGM兼監督に就任したことで、その1本はやってきた。
縁を結んでくれたキューピットは、嵐の相葉雅紀氏だった。
監督就任の祝いにと、彼がプレゼントしてくれたのは、1973年製のロレックス サブマリーナー。文字盤に赤で「SUBMARINER」と刻印されていることから、“赤サブ”と愛好家に親しまれる逸品だ。それを、相葉氏が有志と共同で購入し、贈ってくれたのだという。
1973年とは、石井氏の誕生年でもある。粋な演出だった。
「プロ野球の監督って、時計をつけているイメージがあるんですね。『僕もつけないといけないのかな?』と考えていた時にちょうどプレゼントしてくれて。文字盤のロゴも、楽天のチームカラーのクリムゾンレッドに似た赤で、すごく気に入りました」
人生で初めて、勝負の相棒を手にした瞬間だった。
「この時計をつけて、1年間、戦っていこう」
石井氏は、そう決意を固める。
人生の分岐点では苦しい道を選んできた
野球というより、仕事に全力を注ぐのがポリシーだ。
「仕事をやりだしたら徹底的に。完璧にこなしたいんですよね」
現役時代から、それは不変だ。
ヤクルト時代はエースだった。’97年にノーヒットノーランを達成。チームの5度のリーグ優勝、4度の日本一に貢献し、力を示した。2002年にはメジャーリーグに挑戦し、4年間で通算39勝と、輝きを放つ。
実績は残した。だが、石井氏にとってそれらは、未来の“完璧な仕事”への伏線でもあった。
「人生の分かれ道で、僕は必ず苦しい経験を積めるほうを選びます。その時は失敗でも、あとから成功に変えればいい。選んだ道を正解にする自信がある」
今にして思えば、’13年は石井氏にとって印象的な年だった。
西武で現役引退を決断したこの年。日本一に輝いたのは楽天だった。まだ東日本大震災の爪痕が色濃く残るなか、その戴冠(たいかん)は東北の希望となった。
「あの優勝って、日本の光だと感じたんです。それだけ衝撃だったし、本当に身震いしました」
’18年9月。石井氏は楽天から、GMのオファーを受けた。「あの感動をもう一度、実現させたい」。断る理由はなかった。
フリーエージェントとなった大物選手を次々と獲得し、球団内のテコ入れにも余念がない。豪快かつ繊細。その手腕が球団から評価され、今季からGM兼監督、すなわち、楽天の現場における全権を担う立場となった。今年1月には、’13年の日本一の立役者で、翌年からメジャーリーグで7年間プレイしていた田中将大の獲得も実現させた。
「中長期的に勝てる、骨太なチームを作っていきたい」
強力な布陣。GM時代から築いてきた土台が整いつつある今年、石井氏の大勝負が始まる。
「今度は監督として長い1年が始まります。そして、今年は震災から10年。チーム一丸となって、意味のある1年にします」
現役時代に栄光をもたらした左腕に、相棒が寄り添う。
監督がプロ野球の頂まで、一歩ずつ着実に進む。同い年の“赤サブ”も正確に時を刻む。
Kazuhisa Ishii
楽天野球団取締役ゼネラルマネージャー(GM)兼楽天イーグルス監督。1973年千葉県生まれ。’92年にヤクルトに入団、エースとして黄金期を支える。2002年から’05年までメジャーリーグでプレイし、通算39勝をあげた。’13年に現役引退。今季からGM兼監督としてチームを指揮する。
ISHII’S TURNING POINT
18歳 ドラフト会議で1位指名を受け、野村克也率いるヤクルトに入団。
28歳 メジャーリーグのドジャースへ移籍する。
44歳 楽天のGMに就任。西武から浅村栄斗を獲得するなど手腕を発揮。
47歳 楽天でGM兼監督に就任。ヤンキース・田中将大の獲得に成功。