Passionable(常熱体質)とは、Passionとableを組み合わせた造語。仕事や遊びなど、あらゆることに対して常に情熱・熱狂を保ち続けられる=”常熱体質”である。この連載では、中野信子が常熱的な歴史上の人物を脳科学の視点から解説する。第7回は伊達正宗の見事な自己プロデュース力について。
Key person:伊達正宗
お洒落といえばこの人。伊達男という言葉の由来にもなった仙台藩初代藩主伊達政宗、独眼竜という渾名でも有名です。本能寺の変の時は15歳、戦国の世にデビューした時は天下の趨勢はほぼ固まっていました。遅れてきた戦国大名です。にもかかわらず、独眼竜の名は戦国の雄として私たちの記憶に刻まれています。それは何故か、というのが今回のテーマです。
彼が豊臣秀吉と初めて会ったのは、北条攻めの時です。政宗は参戦を迫られていました。秀吉に逆らえば、伊達家は滅亡するしかない。一目散に駆けつけるしかないのですが、政宗は約束に四日も遅れます。激怒した秀吉に殺されても不思議はありません。諸将達も、固唾を呑んで見守っていたことでしょう。
その謝罪の場に、政宗は白装束で現れます。死者を葬る衣装を着て、言葉ではなくファッションで謝意を表明したのです。殺されないという計算のうえとは思いますが、それにしても命がけです。その場で死を命じられても、文句は言えないわけですから。けれどさすがの秀吉も毒気を抜かれ事なきを得ます。政宗は、そういうアピールの極めて上手な人でした。
朝鮮出兵のために伊達家の軍勢を京に送った時は、軍装を黒で統一しました。伊達の黒備えです。黒一色の装備には、独特の存在感があり、そのなかに、金の前立てや朱鞘がワンポイントで配された意匠は、当時の人の目から見てもかなりお洒落。都の人々は彼らのスタイリッシュな軍装に魅了され、そこから伊達男という言葉が生まれたとも言われています。
政宗は実際の関ヶ原の戦いでは、当初は百万石の領地を家康に約束されたのに結局は数万石の加増に終わるなど、目立った戦功を立てることはできていないのです。その政宗が400年後の今も戦国の英雄のひとりとして数えられるのは、ひとえに彼のこのプレゼン力の高さゆえあり、彼のイメージ戦略が400年後の今も生きているということでもあるのです。
この戦略はビジネスでも通用します。ファッションは上手に使えば人の心を動かす。政宗は、その機微をよく理解するセンスの持ち主だったのでしょう。
中野信子
脳科学者。1975年東京都生まれ。東京大学大学院医学系研究科脳神経医学専攻博士課程修了フランス国立研究所にて博士研究員として勤務後、帰国。現在は、東日本国際大学特任教授。脳や心理学をテーマに、研究や執筆を精力的に行う。著書に『サイコパス』、『脳内麻薬』など。『シャーデンフロイデ』(幻冬舎新書)が好評発売中。新刊『戦国武将の精神分析』(宝島社)が話題になっている。