世界的文豪、ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ。作家のドリアン助川さんは言う。ゲーテの言葉は「太陽のように道を照らし、月のように名無き者を慰める」と。雑誌『ゲーテ』2008年1月号に掲載した、今こそ読みたいゲーテの名言を再録する。
誠実に君の時間を利用せよ! 何かを理解しようと思ったら、遠くを探すな
――『ゲーテ格言集』より
たいていの人は目標という言葉を、さほど疑問も持たずに受け入れている。
子供の頃から、おそらくはもう何千回、何万回とこの言葉を押しつけられてきた。君の今年の目標は? クラスみんなの目標も決めておきましょう。ハーイ、先生。
子供ではなくなり、大人になってからも状況は変わらない。むしろ目標クンはパワーアップして私たちを押さえにかかるようだ。上司から、あるいは恋人の親から、「目標は?」と訊かれ、「ありません」と答えでもしたら、目の奥でバッサリと斬り捨てられるだろう。
大人社会に於いて、目標という言葉は正義そのものだ。目標さえ設定すれば全体を制することができ、組織も個人もまっしぐらに進めるものだとみな思っている。ある意味、これは正しい。どこに向かって歩こうとしているのか誰だって意識しておきたいし、特に集団の場合、進行方向の設定がなければ一歩も進めない。効率という概念にしても、目標までの道のりがあるから生まれる。目標がなければ、なにもかも成り立たない。
だが、誰もが当たり前だと思っていることは、しかもそれが正義や快感と結びつく場合は疑いを持った方がいい。
ある男が1年後に1億円を手にするという目標を設定したとする。彼はそれを達成するためにやみくもに働く。目標という、まだ手にしていない幸福のために、男は日々の生活など無視し、充足感があろうがなかろうが突っ走る。そして走って、走って、走り過ぎ、目標まであと少しというところで胸を押さえて倒れる。アーメン。合掌。アデュー。
彼は目標という遠くのなにかのために、人生の正体である今日という時間、それを犠牲にし続けた。
いつか勝つために今日を犠牲にしろ、などと言う人もいるが、犠牲にしていい一日などあるはずもない。たとえばこうした言葉は体育会系などでよく使われるようだが、本当のところ、アスリートが過酷な練習をもって一日を費やす時、それは犠牲にしているのではなく、反復のなかからまたひとつ新たなことを学び取っているのだ。きちんと一日を活かしている。
誠実に時間を利用するとは、今日、まさにこの時を感じて、生きていくことだ。目標はもちろん大切だが、日々ウインクを送る程度がいい。
――雑誌『ゲーテ』2008年1月号より
Durian Sukegawa
1962年東京都生まれ。作家、道化師。大学卒業後、放送作家などを経て’94年、バンド「叫ぶ詩人の会」でデビュー。'99年、バンド解散後に渡米し2002年に帰国後、詩や小説を執筆。'15年、著書『あん』が河瀬直美監督によって映画化され大ヒット。『メキシコ人はなぜハゲないし、死なないのか』『ピンザの島』『新宿の猫』『水辺のブッダ』など著書多数。昨年より明治学院大学国際学部教授に就任。