30歳から芸能界に足を踏み入れ、常に自然体で過ごしてきたタモリさん。予定“不調和”を愛し、動じず、すべてを面白がる。そんな人生の達人ともいうべき生まれながらのエンタテイナーの思考に迫る――。
『笑っていいとも!』が終わった時はすぐにヨーロッパへ
滝川 2009年から続いたこの連載も次のエッセイで最終回。最後のゲストはタモリさんにお越しいただきました。多彩な趣味をお持ちなので、どのお話からうかがおうかワクワクしていたんです。
タモリ 何でも結構ですよ。どんと聞いてください。
滝川 では思いついたところから……私タモリさんの「ジャズだね」って言い回しを時々真似しているんです。意味がありそうでないようなところが好きで。
タモリ 「ベイシー」というジャズ喫茶のオーナーにある日「なあタモリ、ジャズって音楽があるんじゃなくて、ジャズな人がいるだけだな」と言われまして。対して「ジャズだねぇ」って返したのが最初だったかな。意味は何もないです(笑)。
滝川 ベイシーには私も何度か行きました。音があまりにもよくてびっくりしたんですよね。
タモリ オーナーの菅原さんとは学生時代から50年以上の付き合いですが、スピーカーの位置や配線を1ミリ単位で計算しているんです。昔はとっつきにくい先輩で怖かったなあ。
滝川 ジャズな人というのもわかるようなわからないような。
タモリ 菅原さん曰く、向上心のない人、らしいですよ。
滝川 タモリさんも以前「向上心は未来を目標にしているから、今を生きてることにならない」と苦言を呈していましたね。
タモリ 僕はもともと向上心ないですから。精神年齢のピークは6歳でした。だから今でも、休日に個人的なブラブラをする際、電車の一番前に立ってよく見知らぬ子供と場所の取り合いをしています。おまえはまだ時間がたくさんあるんだから俺に譲れ、もっと大人になれよ、と思いながら、必死に手すりをキープする。
滝川 熾烈な戦いが目に見えるようです(笑)。先頭に立って、線路を見ているんですか?
タモリ そう、あとは架線っていう電気を送る線を見たり、地形を観察したり。新幹線でもずっと外を見ています。カーテンを閉められるとすごい腹が立つ。
滝川 そこまで(笑)。海外にはご興味はありませんか?
タモリ 行けるならどこにでも行きたいですよ。『笑っていいとも!』が終わった時はすぐにヨーロッパに行きました。パリやスペイン、ポルトガルを経由してモロッコへ。都市部の風景はテレビで見たのと同じであまり感動がなかったけど、モロッコはまた行きたいかな。
滝川 なぜモロッコへ?
タモリ 地勢的に、さまざまな民族音楽の集結地みたいなところなんです。イラクや中近東を経て北ヨーロッパへ行った一派や、イタリアからスペインへ行った一派、アフリカ北岸を通ってモロッコへ行き着いた一派、その三派があります。ただその時はラマダンで、一部しか聴けなかったんですよ。念願かなったのは2年後です。赤塚不二夫さんの娘さんが実はモロッコ音楽の大家で、日本に楽団を呼んで。渋谷で聴けるなら行かなきゃよかった(笑)。
滝川 そんな(笑)。
タモリ でも朝からカフェで酒が飲めたり、飛行機の出発が何時間も早まったり、想像を絶する文化で面白かったです。
滝川 私も行ってみたいな。他に気になる国はあります?
タモリ インドかな。常識が通用しなさそうなところがいい。
滝川 予想を超えてくれるかどうかが、ひとつの指標なんですね。テレビの生放送というのも予期せぬことが起きるものですが。
タモリ それが面白いんです。誰か失敗しやしないかといつも楽しみにしてる(笑)。遅刻もどんどんしてほしい。
滝川 ええー! 生放送は特に時間との戦いなのに、さすがの余裕ですね。
タモリ 『空飛ぶ!モンティ・パイソン』というイギリスのコメディ番組があって、その日本版で僕はデビューしたんですけど。「時間が余っちゃいました」と風景映像をただ映すだけの間があったりして、それはそれで面白いんですよ。そのくらい緩くていいんじゃないかなあ。
滝川 それを演出として見せられるかどうかは、やはり機転とキャラクターですよね。私には難しいかな……。怒ることってないんですか? 遅刻とか。
タモリ 昔1回、ゴルフで遅刻して来たやつに「なんで遅れたんだ! 仕事じゃないんだぞ!」って怒りました。あと自分は覚えてないけど、森脇健児と焼肉に行った時、肉を網に全部のせたのを見て激怒したらしいです。
滝川 並べただけで?
タモリ 焼肉とは食べたい時に食べたい肉を自分のペースで焼いて食べるものだろう、と。僕の宴会はお酌も禁止ですから。
滝川 こだわりがたくさん。
タモリ 仕事以外は厳しいです。
滝川 宴会といえばタモリさんのお料理レシピも有名ですね。生姜焼きとかオムライスとか、私もたまにつくります。
タモリ ただネットで出回っているレシピは違うのもあるんですよ。例えばピーマンの炒め煮は醤油辛くするんですが、ネットのはものすごく甘い。
滝川 あらら。それは訂正しなくていいんですか。
タモリ 皆さん美味しいと喜んでいるならまあいいでしょう。もともと6歳以降は自分のことも他人のこともあんまり気にしていないです。年をとってきてみすぼらしく見えないよう、ちょっと身だしなみに気をつけるようになったくらいかな。
テレビが変わっても自分は何も変わらない
滝川 最近テレビはネットの声を汲む番組制作が主流になってきて、その分自由度が下がっている気もするんです。そういう変化は意識されていますか。
タモリ あまりネットを気にしすぎる風潮はどうかと。僕はまったくネットを見ないですから。でもテレビを見る人が減り、制作側の雰囲気も変わってきていますよね。かつては、一般企業では務まらないダメ人間だけど、だからこそ時々突拍子もない面白いことを思いつく、という人がどの局にもいました。そういう人も、ほぼいないでしょう。
滝川 表現の自主規制もどんどん進んでいますよね。
タモリ 自分は昔から変わらず、特に何も意識してはいませんね。
滝川 タモリさんから番組へ進言することはありますか?
タモリ 数十年間はいっさい口を出さないようにしていました。小学5年生の時に、余興で「烏天狗 」というオリジナルコントをやったんですが、あまりにウケなくて。「自発的に行動を起こすと必ず失敗する」という長年のトラウマになったんです。
滝川 烏天狗。そんなに……。
タモリ 地獄のようなウケなさ。以来、烏天狗も自発性も封印していたんですが、ひょんなことから当時の同級生の大津くんに再会して『昔、烏天狗ってやったよね』って言われて。「ぎゃーキター」と身構えたら「面白かった」って。彼は脚本家なんですが「あれがシナリオを書くきっかけになったかも」って言ってくれたんですよ。
滝川 えっ、すごい!
タモリ それでトラウマが少し緩和して、初めて自分で基本を考えたのが『ヨルタモリ』でした。
滝川 本当にずいぶん長いこと気にされていたんですね。
タモリ わりとネガティブなんです。ハマるとなかなか抜けない。大津くんのおかげです。
滝川 トラウマを克服した今、また新しい企画が生まれる可能性もありますか?
タモリ どうでしょう。今は手いっぱいだけど。機会があれば。
滝川 楽しみです。最後に、連載のタイトルテーマにちなんだ質問をさせてください。タモリさんにとって「仕事」とは、どのようなものでしょうか。
タモリ うーん。ジャズだねぇ、というところでしょうか(笑)。連載で10年は長いよね。お疲れさまでした。安産祈願もたっぷりしておきましたから。
滝川 ふふ、嬉しいです。ありがとうございました!
Tamori
1945年福岡県生まれ。本名・森田一義。’75年にデビュー後、タレント、司会者として活動。長寿レギュラー番組を複数持ち、2014年に幕を下ろした『笑っていいとも! 』ではギネス記録保持。料理や船舶、鉄道、坂道、猫など多芸多才な趣味人としても知られる。