2009年から’15年の約6年半、のべ500日以上をかけて、47都道府県、2000近くの場所を訪れた中田英寿。世界に誇る日本の伝統・文化・農業・ものづくりに触れ、さまざまなものを学んだ中田が、再び旅に出た。
茶は最高のコミュニケーションツール
旅の第2弾は5月末、ふたたび九州へ。当初は第1弾が佐賀、第2弾は福岡を旅する予定だったが、「もっと佐賀を知りたい」という中田英寿の希望で第2弾は福岡と佐賀を行ったり来たり。こういうイレギュラーが起こるのも中田の旅の魅力だ。
福岡で訪ねたのは、八女茶で知られる八女市。この地域は特に"玉露の里"と呼ばれる高級茶の産地。日本茶に詳しくない人でも「玉露」という名前は聞いたことがあるのではないだろうか。玉露とは、茶摘み前に覆いを被せ日光を遮ることで、渋みのもととなるカテキンの増加をおさえ、旨味成分であるテアニンの含有率を多くする手間のかかる栽培方法ゆえに、最高品質といわれているお茶の種類。
煎茶とのもっとも大きな違いは、玉露は収穫の3週間ほど前から茶畑全体を日射しよけの覆いで囲うこと。茶の苦み成分となるカテキンは、光合成によって増加する。日射しを遮ることで光合成をしないことは、旨み成分であるアテニンを増加させることに繋がり、その結果、玉露は旨みの強い茶となるのだ。この日射しを遮る"かぶせ"は、煎茶でも行われているが、ほとんどは2週間ほど茶木そのものにひざしよけの布をかぶせるだけだ。長期にわたって茶畑全体を囲う玉露は、手間ひまがかなりかかる。
この玉露の里でも第一人者とされるのが、全国茶品評会で三度も日本一に輝いている星野村の宮原義昭さん。彼が作った玉露は、8g/1万円で販売されたこともあるという超高級品だ。中田が訪ねると、奥様、愛犬とともに日当たりのいい玄関先にテーブルを置いて出迎えてくれた。
「すごく気持ちのいい場所ですね。茶畑はどこにあるんですか?」
中田がそう尋ねると、宮原さんはニッコリ笑いながら答えた。
「ここですよ。この目の前の畑で玉露を作っています」
目の前には広めの家庭菜園ほどの茶畑。そこには収穫されたばかりで枝が目立つ茶木が並んでいた。
「茶畑というと日当たりのいい斜面にたくさんの茶木が並んでいるという印象でした。ここはかなり小さい畑ですね」
「でもとにかく土がいいんです。ここで丁寧に育てれば、おいしい玉露ができるんです」
茶を育てるのは「天地人」だという。天は日の光、地は畑の土、そして人。小さな畑ながら、宮原さんの畑にはそのすべてが揃っているのだ。
「遮光はどのように行うんですか?」
「うちでは囲いの上にわらを敷いて遮光します。天気によってわらの場所をかえたり、厚みを変えたりしながら、収穫の4日前からは99%まで遮光率を上げます」
天地人が育んだ玉露を奥様が煎れてくれた。ぬるめのお湯でゆっくりと煎れた玉露は色も鮮やかだ。玉露はごくごくと飲むものではない。少量をじっくり味わう。宮原さんの玉露は、ほんの数滴を口に入れただけで、驚くほどふくよかな旨みと甘みが口中に一気に広がる。煎茶とはまるで別物。コーヒーにたとえるならエスプレッソのような濃厚さだが、苦み・渋み・えぐみなどは一切感じない。
「濃厚だけど、やさしい味ですね」
日本一の玉露を飲んで、中田もリラックスした様子。茶は最高のコミュニケーションツールだ。玄関先でののどかな“茶飲み話”は、日が傾くまで続いた。この星野村はその名の通り、夜には美しい星空が広がることでも知られている。澄んだ空気のなかで最高の茶を楽しむ。都会ではありえない贅沢な時間を過ごすことができた。
「に・ほ・ん・も・の」とは
2009年に沖縄をスタートし、2016年に北海道でゴールするまで6年半、延べ500日以上、走行距離は20万km近くに及んだ日本文化再発見プロジェクト。"にほん"の"ほんもの"を多くの人に知ってもらうきっかけをつくり、新たな価値を見出すことにより、文化の継承・発展を促すことを目的とする。中田英寿が出会った日本の文化・伝統・農業・ものづくりはウェブサイトに記録。現在は英語化され、世界にも発信されている。2018年には書籍化。この本も英語、中国語、タイ語などに翻訳される予定だ。
https://nihonmono.jp/