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2021.03.06

信長が本能寺の変で、最後に女房衆にかけた言葉

織田信長は、日本の歴史上において極めて特異な人物だった。だから、信長と出会った多くの人が、その印象をさまざまな形で遺しており、その残滓(ざんし)は、四百年という長い時を経て現代にまで漂ってくる。信長を彼の同時代人がどう見ていたか。時の流れを遡り、断片的に伝えられる「生身の」信長の姿をつなぎ合わせ、信長とは何者だったかを再考する。連載「信長見聞録-天下人の実像-」第二十六章 明智光秀。

信長見聞録

信長のコトバ:「女はくるしからず、急ぎ罷り出よ」

本能寺を包囲した明智光秀の兵は、間を置かずに信長のいる本殿へと討ち入って来る。勝ち負けではなく、光秀の目的はただ信長の死だった。

なぜ光秀は謀反(むほん)したか。当時から今日にいたるまで、さまざまな説が取り沙汰されている。怨恨(えんこん)とか、野望とか、義憤に駆られたとか。本当のところはわからない。当の光秀にしても案外、ひとつの理由を挙げることはできないのではないか。

信長は光秀の才能を高く評価し、政権内でも高い地位を与えた。信長が光秀の働きを激賞した文書も残っている。信長が大軍を率いた光秀の動きを警戒していないことから考えても、ふたりの間に不和はなかった。確かなのは、ふたりが急成長する組織のトップと、その右腕的関係にあったということだ。常に尋常ならざる過大な成果を求める上司と、その成果を出し続ける有能な部下。そういう上司と部下の間には複雑な感情が渦巻くものだ。尊敬し愛情さえ感じる相手に、同時に恨みや反感を抱いていることも珍しくはない。

まして彼らは何千何万の敵を殺戮(さつりく)したことを誇り、首を狩るのが手柄であった時代に生きていた。彼らの心中を現代人の理性で推し量(はか)るのは間違いだ。信長の急激な勢力拡大によって生じた広大な軍事的空白地帯の中心である都に裸同然の信長がいて、そこに自らの一万の兵力が居合わせるという偶然に巡り合わせた時、光秀の心は大きく揺れたのだ。そして彼はそれを奇貨(きか)とした。これは千載一遇の自分の運である、と。

主君に反逆する以上、失敗は許されない。まして相手は、日本全土の事実上の絶対君主にあと一歩というところまで上り詰めた信長だ。万が一にも討ち漏らすことがあれば、残虐な死が光秀とこの反乱に加担した家臣一族、女子どもにいたるすべての人に降りかかる。その場において光秀の正義は信長の首を挙げることにのみかかっていて、それは本能寺に討ち入ったすべての兵士にとっても同じだった。

信長も警護の小姓や中間(ちゅうげん)たちも、それは完全に理解していたはずだ。そしてそれが一万人対数十名の戦いである以上、自分たちに残されたのは、戦って死ぬという道だけだった。『信長公記』の最終巻、巻十五には信長の首ひとつを目掛けて殺到する光秀の兵と、これを防ぐ小姓や中間たちの絶望的な戦いが記されている。とは言え、書かれているのは斃(たお)された信長方の長い人名の列だけだ。戦記には敵味方に関わらず戦場で討たれた人の名が記されるものだが、そこには信長方の人名しかない。完全武装の一万の兵と先刻まで寝床にいた数十名の戦いだ。戦いというより、実質的には一方的な殺戮だったのだ。

信長は弓をふたつ、3つと替えながら防戦したとある。信長の周囲では、小姓たちが次々に斃(たお)されていたのだろう。信長は御殿の縁先で、弦が切れるまで弓を射る。弓の替えがなくなると槍を持った。やがて敵の槍を肘に受け戦えなくなると、後ろに下がり、そこで初めて、側に控えていた女房衆に声をかける。

「女はくるしからず、急ぎ罷(まか)り出よ」※

信長の近くに侍(はべ)るという女房たちの職分はこれ以上遂行できない。だから「くるしからず」なのだろう。これが信長最後の言葉となった。「急ぎ」というひと言に、彼女たちの命を気遣う信長の心が微かに偲ばれる。その言葉の後に「追い出され」とある。女たちは残ると抵抗したのだ。女房衆を追い出すと、信長は火の手の上がる御殿の奥に入り、納戸の戸を閉め、自刃して果てた。49年の生涯だった。

※『信長公記』(新人物往来社刊/太田牛一著 桑田忠親校注)390ページより引用

Takuji Ishikawa
1961年茨城県生まれ。文筆家。不世出の天才の奮闘を描いた『奇跡のリンゴ』『天才シェフの絶対温度』『茶色のシマウマ、世界を変える』などの著作がある。織田信長という日本史上でも希有な人物を、ノンフィクションの手法でリアルに現代に蘇らせることを目論む。

TEXT=石川拓治

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