幼少期に兄から「ジブリを見るな」といわれた漫画家・宮川サトシは、40歳にしてなお、頑なにジブリ童貞を貫き通してきた。ジブリを見ていないというだけで会話についていくことができず、飲み会の席で笑い者にされることもしばしば。そんな漫画家にも娘が生まれ、「自分のような苦労をさせたくない」と心境の変化が……。ついにジブリ童貞を卒業することを決意した漫画家が、数々のジブリ作品を鑑賞後、その感想を漫画とエッセイで綴った連載をまとめて振り返る。
『ハウルの動く城』
完全に個人の好みの話なので、ここはすっ飛ばしてもらって全然構わないんですが…冒頭から登場するタイトルにもなってる「動く城」。これの佇まいがちょっと予想外に「うっ」となってしまいまして…。
説明が難しいのですが、西野亮廣さんの「えんとつ街のプペル」に興味が持てなかったように、あとNHKの「ムジカ・ピッコリーノ」のモンストロに入っていけないところがありまして、どうもあのスチームパンク的な世界観になんとなくなんですが、「自分の人生に全く関係ない感」を感じてしまうところがあるのです…。
それは共感性がないとかそういう話になるので、そんな身も蓋もない言い方は極力したくないのですが、学生時代のイケてる奴らの男女混合集団とはまた別ベクトルの、猛烈な「自分に関係なさ」がどうも受け付けられなくて、出鼻が挫かれてしまいました。
もちろん「えんとつ街のプペル」も「ムジカ・ピッコリーノ」もちゃんと読んだり見てないだけで、どちらも人気の作品ですし、そしてスチームパンクが好きって人が大勢いるのもわかります、なのでただの好みの話でした。すいません…。
でも大丈夫、宮崎監督だから大丈夫。ドラゴンボールで言うところの孫悟空が来たからもう大丈夫的な、あの感じ。主人公のソフィーが住む街並みも音楽も画面の色もThis is ジブリ。今作もアニメーション映像の中に宮崎監督が作った風がビュービュー吹いている。
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『コクリコ坂から』
ハウルのあんまり動かないレビューを書き終え、一通りの大物はやっつけた気でいたジブリ童貞。あとはフルジブリコンプを目指し、消化ジブリ試合をこなしていくだけ…そんな軽いつもりでなんとなく手に取った作品「コクリコ坂から」は、あの「ゲド戦記」の宮崎吾朗監督作品だった…。
オープニングから慌ただしい、朝の風景。家族や同居人に朝ご飯の支度をするジブリ顔の女の子を見ているだけで、主人公は誰でどういう人物なのか、特に何の説明もいらない空気が出来上がっていて安心して映画の中に入れました(この「冒頭でスッと映画の中に入れるかどうか」ってジブリ童貞がジブる時の最も重要な要素でして、毎回緊張するジブリポイントだったりします、どの映画にも言えることかもですが…)。
他の人物もわらわら~っと出てくるから「全員覚えなきゃ!」と身構えるんだけど、主人公が用意した朝ごはんを、誰がたくさん食べて、誰が必要としてないか、誰が目玉焼きに醤油をかけるか…そういう細かいやりとりが描かれているので、それだけで全員の関係性も見えてきて、スッとその場に入っていける臨場感に近い感覚が気持ち良かったです。
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『思い出のマーニー』
『思い出のマーニー』…釜茹でのマロニー…ハライチの漫才みたいなタイトルだなと思いつつ、声優さん当てクイズは禁止して、没入できるマインドを作って観るようにしました。今回は誰が美輪明宏さんだろ?とか考えながら見るのは野暮ジブリってもんですよね。
最近、TBSドラマの「テセウスの船」にハマってまして(面白かった!)、そのテセウスの第一話もそうだったんですが、最初に主人公の置かれた状況と伏線になりそうな設定をザーッと一通り説明して、そこから不思議ワールドの扉を叩いて「ハイ!いってらっしゃ〜い!」と主人公を送り出す感じの作り、それをこのマーニーの冒頭にも感じました。
「一本道感」というか、テーマパークのなんちゃらクルーズに乗る際の、あのキャストのお姉さんに送り出される時みたいな気持ちに近いというか、とりあえずレールに沿って一周してきてねって言われてるような始まり方。
ちなみにマーニーの主人公・アンナは、冒頭で病気療養のため田舎に行ってそこで不思議体験をするのですが、これって「借りぐらしのアリエッティ(借りエッティ)」でも見たなと、でブルーレイのパッケージを見たらやっぱり同じ米林監督でした。
田舎で療養するのは全然良いですし、背景の作画もさすがのジブリクオリティで美麗、むしろ家に缶詰になっている今は観てて癒されるのでありがたいんですが、この〝ジブリ式田舎療養不思議体験パターン〟に気付いてから、これまでのジブリ作品と比較しながら観ちゃうようになってしまいました。
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