幼少期に兄から「ジブリを見るな」といわれた漫画家・宮川サトシは、40歳にしてなお、頑なにジブリ童貞を貫き通してきた。ジブリを見ていないというだけで会話についていくことができず、飲み会の席で笑い者にされることもしばしば。そんな漫画家にも娘が生まれ、「自分のような苦労をさせたくない」と心境の変化が……。ついにジブリ童貞を卒業することを決意した漫画家が、数々のジブリ作品を鑑賞後、その感想を漫画とエッセイで綴る。
『思い出のマーニー』レビュー
どうも、ジブリ童貞です。今回はたぶんレビュー本編より前置きが長くなると思います、ご容赦くださいませ…。
先日、最寄りの映画館で開催されていた「天空の城ラピュタ:劇場公開イベント」というのに行って参りました。自宅にラピュタのBlu-rayディスクが買ってあって、それをしこたま鑑賞してレビューまで描いてるというのに、わざわざ映画館まで行って「天空の城ラピュタ」を観てきました。勝手に行っただけなので勿論自腹です。暇そうだった妻と4歳の娘もついてきました。勿論チケットは私持ちです。以前レビューした時は「あんまりピンとこなかった」と書いたラピュタに、どんだけ投資するんだよ…とも思ったのですが、今の私にはどうしても行かねばならない理由がありました。
この劇場公開イベント、イベントと言ってもラピュタを当時の画質・音質のままデジタル化したものを映画館で上映するってだけの話なんですが、ジブリ初期の作品を劇場の大画面で、他のお客さんと熱気を共有しながら、おしっこを限界まで我慢しながら観るということには相当な体験的価値があるわけで、新型ウイルス騒動で皆さんも外出を控え始めた頃にも関わらず、ほぼ満席でした。
油断していたらもう最前列しか席が空いておらず、3席隣同士、スーパー最前列ですがなんとか確保できました。気合いの入ったヤンキー同士のメンチの切り合いみたいな状態でラピュタを2時間観ることになりました。ただただ首がつらい…。
この連載ももう2年近く続いておりまして、主要作品もあと3つぐらいなんですが、今もこんな感じで行間からジブリ童貞感が溢れ出てしまうのは、どれだけ観たとて、自宅でジブってるだけだろってのがあると思うんですね。エロビデオしか観たことないくせにセックスを語るんじゃねえよ、みたいな。
かつて、中学の同級生のF君が「AV男優とどっちが長く持続できるか勝負して勝った!」と自慢してたことがありました。臨場感とか諸々条件が違いすぎるだろって思いましたが、F君は悪いやつじゃなないし、とりあえず「すげえ〜!」とだけ言ったことを覚えています。
…つまり、劇場で観てないことには何も語れないわけですよ。これは行かないと終わらない、いや、終われない。この日が私にとって「本当のジブリ童貞喪失記念日」となる。…そう信じていました。
上映が始まる前に、街を挙げての映画イベントということで劇場スタッフのお兄さん(30代半ばの、たぶんジブリフリーク)による前説がありました。
ちょうど新型ウイルスのこともあって、上映中の飲食についていつも以上にきめ細かい注意事項から話は始まりました。話始めて間もなく、前説のお兄さんは最前列に座っている私の娘、そして他の子供客を次々と指差しながら「小鬼だ…小鬼がおる…あ、小鬼じゃありませんね、お子さまも気をつけて手洗いうがいを…」と、ポムじいさんのセリフを引用したジブリジョークを差し込んできました。
ジブリ好きのお客さんのためのジブリジョーク。会場はクスクス笑い。…そうそう、これなんですよ、これ。この感じに長年モヤモヤしてきたことを久しぶりに思い出しました。油断ジブリしてました。そりゃラピュタのイベントだからジブリジョーク入れるのは当然ですし、来なきゃいいじゃんって話なんですよ、悪いのは1000%(テンパーテント)私です。
でもこの感じ…この"ジブリは日本人の共通言語でっしゃろ感(同調ジブリ圧力)"に久しぶりに触れ、あぁ〜まだちょっとダメだ〜となってしまいました。この取り残されているような感じこそがジブリ童貞感の正体なんでしょう。なんだか悔しいので、自分もオリジナルのジブリジョークを考えてみました。
…やっぱりフルジブリコンプするまで終われなさそうです。ちなみに娘の反応は「おうちでみるよりこわかった」だそうです。ロボット兵、怖かったよね〜…。
…さて、どうしてこんなに前置きが長くなってしまったかというと、今月観た『思い出のマーニー』が思ってた以上に薄味なジブリでして…それほど書くことがなかったからなのです。とりあえずどうぞ…。
『思い出のマーニー』…釜茹でのマロニー…ハライチの漫才みたいなタイトルだなと思いつつ、声優さん当てクイズは禁止して、没入できるマインドを作って観るようにしました。今回は誰が美輪明宏さんだろ?とか考えながら見るのは野暮ジブリってもんですよね。
ハイ! 行ってらっしゃい! 感が気になるのと、過去ジブリとの比較
最近、TBSドラマの「テセウスの船」にハマってまして(面白かった!)、そのテセウスの第一話もそうだったんですが、最初に主人公の置かれた状況と伏線になりそうな設定をザーッと一通り説明して、そこから不思議ワールドの扉を叩いて「ハイ!いってらっしゃ〜い!」と主人公を送り出す感じの作り、それをこのマーニーの冒頭にも感じました。
「一本道感」というか、テーマパークのなんちゃらクルーズに乗る際の、あのキャストのお姉さんに送り出される時みたいな気持ちに近いというか、とりあえずレールに沿って一周してきてねって言われてるような始まり方。
ちなみにマーニーの主人公・アンナは、冒頭で病気療養のため田舎に行ってそこで不思議体験をするのですが、これって「借りぐらしのアリエッティ(借りエッティ)」でも見たなと、でブルーレイのパッケージを見たらやっぱり同じ米林監督でした。
田舎で療養するのは全然良いですし、背景の作画もさすがのジブリクオリティで美麗、むしろ家に缶詰になっている今は観てて癒されるのでありがたいんですが、この〝ジブリ式田舎療養不思議体験パターン〟に気付いてから、これまでのジブリ作品と比較しながら観ちゃうようになってしまいました。
例えば同じく田舎に引っ越す「トトロ」と比べると、先に書いた「一本道感」をトトロがいかに回避しているかがわかるんですね。あれこれ森を探索したり、田舎の暮らしを送っているうちに気がついたら不思議体験しているナチュラルな展開のトトロ。それに対してマーニーの、監督(神)の見えちゃいけない手招きによって不思議ゾーンに誘われる展開。ついそこを比べてしまって、やっぱりトトロ凄いな〜、トトロを劇場で観たかったな〜、トトロの5000円ぐらいする大きいぬいぐるみ欲しいけど40過ぎのおっさんだからさすがにな〜…としみじみ感じたりしました。
他にも「風立ちぬ」を彷彿とさせる、外にイーゼルを立てておもむろに油絵を描く御婦人が出てきたり(そんな人、自分の人生で見かけたことないから気になっちゃって)、そういうのも米林監督が意図的に仕込んだジブリリスペクトなのかもですね。…すいません、わかったようなこと言ってますが…。
ジブリが人のルックスについて初めて触れた気がするシーン
マーニーはジブリでもちょっと薄味というか、ちょくちょく既視ジブリ感のある作品で、1周観ただけだと毒にも薬にもならいような印象があるんですが、それでも1週目でちょっと「お!」と心に留まる、人のルックスについて触れるシーンがあったんですね。
主人公のアンナが田舎で出会うサブキャラで、そこそこ太った年齢不詳の信子という女の子がいるんですが、アンナのことをいろいろ気にかけてくれる出来た信子に対して、アンナが「太っちょ豚!」と暴言を吐くんですよ。これがなかなかに衝撃的な場面で、鑑賞中少し眠くなっていた私もビクッ!として、メガシャキ飲んだ時よりも目が覚めました。受験生には、この場面だけを編集した動画を眠くなった時に観ることをオススメしたい。
当たり前のように整った顔の主人公ばかりが出てきて、誰もそのことに触れないジブリ作品だから忘れてましたが、ルックスの良し悪しの概念はジブリでもやっぱりあるんだなと、改めて思ったりしました。
信子はお母さんがステレオタイプの嫌な感じの人なのに、人間を5回ぐらいやってんのか?ってぐらい奇跡的に魂のレベルが高い人物なので、個人的に好きなジブリキャラになりました。(時々こういうスピリチュアルな視点での感想も出てきますが、面白いと思って勝手にやってるだけなのであんまり気にしないでください。)
ネタバレ含む結論:二週目の方が面白いので最低2周は観た方がいい地味ジブリ作品だった
M・ナイト・シャマラン監督の『シックス・センス』と同じく、オチまで観ると見方がちょっと変わってくるタイプの作品だったので、ネタバレするとあれかもなので…まだマニったことのない人はここでストップザ・マーニーしてくださいね。(ちなみに私が育った村では「シックス・センスのネタバレをした者は、車庫入れの時にガレージでドアミラーを6回はコスる」という恐ろしい言い伝えがあります)
幼い頃に両親を亡くし、育ての親であるお婆ちゃんも亡くし、孤独を感じながら養母と暮らしていたアンナは、喘息の療養のために北海道の田舎町でしばらく暮らすことになります。その境遇から仕方ないとは言えばそうなんですが、ガッチガチに心を閉ざしていたアンナは、その田舎街で見つけたどう見ても幽霊屋敷だろって洋館に住む幽霊感丸出しの金髪美少女・マーニーと出会い、嘘だろ?ってぐらいに彼女に心をガンガン開いていきます。
自分ぐらいのおっさんになると、マーニーは完全に幽霊というか、アンナのイマジナリーフレンドであることがビンビン伝わってくるので、マーニーの語る話やエピソードが全然頭に入ってこないんですね。正直マーニー、フランス人形みたいで可愛いんですが、トークがあんまり面白くない。心の前にすでに自分の耳からもうおっさんになっていることも原因なので、私にも当然非はあるのですが…。
で、オチなんですが、そのマーニーはなんとアンナの育ての親である亡くなったお婆ちゃんの幽霊? だったんですね。そのことが当時を知る野外イーゼル油絵描きご婦人(答え合わせおばさん)によるラストでの語りから判明するんですよ。すごい偶然と言えばそうなんですが、ご縁なんてものは全部偶然でできていることをおっさんの私は知っているのでさほど気にならなかったんですが、だったらさ! マーニーのいまいち面白くなかった話をもっと聞いときゃよかったよ! ってなっちゃうんですね。
ここが2周目の方が面白く感じられる理由でして。案の定、もう一回観るとマーニーのセリフの一つ一つが孫のアンナへの懺悔にもなっている良いセリフが多くて、切なく感じられるんですよね。ただこれはさすがに『シックス・センス』を観てる私でも一周目では気づけないかな…と。マーニーの話も長いから思い出せないし。
マーニーとの出会いやマーニーの正体がわかってきたことで、アンナのガチガチになってた心は氷解し、もとの良い子に戻ります。
子供のトラウマについての話って、自分にも幼い娘がいるのでどうしても我が子を想って心が動きそうになるのですが、それが幽霊や幻想、イマジナリーフレンドとの交流で解決する物語にはちょっとだけ疑問は残りました。そもそも人間ってどうやってトラウマから立ち直るんだっけ?と考えてしまったというか。
それにアンナぐらいの孤独を感じるトラウマは想像が難しいので、同じような境遇の人にとってはこれぐらい嘘があった方が作品として希望になるのかもしれないですし。
個人的にはトラウマは、吐き出す、言語化する、に尽きると思ったりもするのですが…おっと、レビューと全然関係なくなってきたのでここらで終わります。それでは、また!