2023年秋、東寺で立教開宗1200年の法要が行われる。これを記念して、現代アーティスト・小松美羽が一対の曼荼羅を奉納する。東寺の食堂(じきどう)に約1ヵ月籠って、作品を完成させるという。ゲーテはその制作現場に密着。どのように曼荼羅を描くのか──。小松美羽の制作現場を訪ねた。
小松美羽の祈りのルーツとは
今回、曼荼羅制作を小松美羽に依頼したのは、真言宗総本山教王護国寺(東寺)第257世飛鷹全隆長者だという。まずは、依頼の経緯をお聞きした。
「小松さんと最初に出会ったのは、高野山三宝院で『NEXT MANDALAー魂の故郷』を制作いただいたときのことです。彼女の類まれなる霊性と宇宙が呼応した曼荼羅からは、清らかなものを感じました。命の奥深くから現れるこのような霊性は、誰しもが感じられるものではありません」と飛鷹全隆長者。
そんな出会いから1年、立教開宗の法要にあたって、現代の曼荼羅を小松美羽に描いてもらい、世界平和を祈りたいと思ったそうだ。
その想いを受け、弘法大師空海が高野山奥の院に入定した4月21日(2022年)に、小松は東寺の食堂に入った。この場所に約1ヵ月籠って、瞑想と制作に没頭する日々を過ごしている。
小松美羽は長野県埴科郡で生まれた。3人兄弟の2番目、自然豊かな環境で育ち、幼い頃から一緒に暮らす犬や兎、周辺にいる生き物の絵を描いていたそうだ。
「ほんとうに普通の子供でした。美術の成績も特別に良いわけでなかったし。ただ、動物が本当に好きだったから、ワンちゃんやうさぎさんの絵を、母からもらったチラシの裏に、ひとりコツコツと描いていたんです。ハムスターや蚕などもいる田舎の家。遊びに来る野鳥や虫を観察する機会も多かった。それが日常だったんです」と話す。
彼女の作品のなかに、神獣や山犬などがしばしば登場するのは、そんな生い立ちがあったからかもしれない。弘法大師が京都を離れ、新たな修行の地を探して彷徨った際、2匹の山犬が高野山へ導いたという逸話がある。幼い頃から山犬や動物たちと触れて暮らした小松の心に、この話は強く響いている。
飛鷹長者の依頼を、彼女はどのように受け取ったのだろう。
「画業を生業にするなかで、こんな機会は一生に一度あるかないか。とても、ありがたいと思いました。お寺は修行をする場ですから、曼荼羅を描くとはいえ、それは自分の魂と向き合う時間です。そんな修行の場をあたえていただいたことに深く感謝しています」と、目を輝かせる。
降りてきたものを、ただ表現する
ただし、彼女が描くのは、一般的にいう曼荼羅とは違う。「私の曼荼羅」だと小松は表現する。
「東寺にある両界曼荼羅と同じ大きさの2点の曼荼羅を描いています。これまで各国を巡り学んできた宗教や、神話や伝承、実際に感じたものが大調和されています」
そもそも曼荼羅とは、密教の教えをわかりやすく表現した仏教画。胎蔵界曼荼羅と金剛界曼荼羅があり、理と智を教えているそうだ。東寺にも平安時代に制作された国宝の「両界曼荼羅図」が現存する。また、弘法大師はこの曼荼羅をよりリアルに具現化することを構想し、講堂のなかに、大日如来を中心にした21体の立体曼荼羅を自ら指揮して安置した。その姿は1200年を経た今も力強く、見る人の心を揺さぶる。
小松は毎朝瞑想し、その後、食堂に移って制作に打ち込む。こんなふうに描こう、この動物を描こうとは、一切考えていない。ただただ、毎日の瞑想で自分のなかに降りてきたものを、吐き出すように描いていく。一日の制作時間は10時間にもおよぶ。描く前には、必ず手を合わせて瞑目し、描きながら、ときにはマントラを口にすることもある。ここに居ることに対する感謝の言葉が、口をついてでることもあるそうだ。
「実は、驚くほど速く制作が進んでいます。瞑想の際に降りてくるものが、とても多くて。それを形にしていくのに没頭していたら、10時間はあっという間。同じ姿勢でずっと描く時間は、私にとって試練のはずなんですが、ちっとも苦ではない。乗り越えられない試練を与えられることはないんですね」
長時間描いているにも関わらず、腱鞘炎になったこともないというから、まさに、描くために生まれてきた人なのだろう。この場にいると、修行僧たちの読経が聞こえることもあれば、参拝者の感嘆の声や祈りの声も聞こえる。まったくの静寂ではない、場の雰囲気が、筆を進ませるひとつになっているという。
今回の作品制作にあたって、これまでとはひとつだけ変えたことがある。それは絵の具の種類だ。
「普段使っている絵の具で少しでも厚塗りしてしまうと、経年劣化でひびが入ってしまう可能性があります。また、軸にして丸めることや、収縮からくる絵の具と支持体のリスクを避けるため、今回はリキッドタイプの絵の具を使いました」
食堂の床には、何種類ものアクリル絵の具が山のように積まれている。けれど、それも思ったほどには使っていないという。
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