「萌芽(ほうが)」「寧静(ねいせい)」「已己巳己(いこみき)」など、耳慣れないけど美しい、そんな11の日本語を題材に、放送作家の小山薫堂さんが旅にまつわるエッセイを執筆。イラストレーターの信濃八太郎さんが彩り豊かな絵を添え、その小さな物語に命を吹き込む。それがアートプロジェクト「旅する日本語」。作品は巨大なパネルとなって羽田空港出発ロビーに展示され、旅人を見送っている。その「旅する日本語」が投稿キャンペーンを開催。旅にまつわるエッセイを募集したところ2000を超える投稿が集まった。そのなかから選りすぐりの作品を小山さん、信濃八太郎さん、そして「死ぬまでに行きたい! 世界の絶景」著者の詩歩さんが審査。最優秀賞に選ばれたのは――。
小山薫堂「実際にその場所に旅に行きたくなりました」
「旅のよさって、時空を超えられることですよね。旅で出会った景色から思い出が蘇ったり、改めて自分を見つめ直したりする。今回の応募作品は、リアルな体験が綴られているものが多く、読んでいると自然と情景が思い浮かんできました」
今年で5回目となる「旅する日本語」投稿キャンペーン。旅をするのが難しい今、「日本の魅力再発見」をテーマに募集したところ、北海道から沖縄まで全国津々浦々の情景が綴られた作品が集まった。その土地ならではの情景や、偶然出会った美しい景色に思い出が添えられた数々のエッセイのなかから小山氏が最優秀賞に選んだのは、新潟県の粟島を舞台にした原井浮世さんの作品。”晴れがましい行事”という意味を持つ、色節(いろふし)という言葉をタイトルにも使ったエッセイだ。
最優秀作品:小山薫堂賞『色節の島』
人で賑わう5月のフェリー。
デッキの手すりにもたれ、清々しい海の風を頬で受ける。
海は凪。空も凪。
麗らかな日差しが水平線に降り注ぎ、光はさざなみに反射して無数に輝く。
浮き立つ気持ちと裏腹に、目指す島は、ゆっくりと近づいてくる。
新緑に萌える山は笑っていた。
乗客が皆、一⻫に手を振る。
「ただいま」の人も、「おじゃまします」の人も。
手を振る先は、高らかに「大漁旗」を掲げた漁船の大集団。
島⺠総出の出迎えは、フェリーに併走する色鮮やかな漁船群。
風の光にさそわれて、幾重にも連なる極彩色が、紺碧の中に映えわたる。
そう、今日は、「島びらき」。
ここは、新潟県の粟島。日本海に浮かぶ小さな島。
それは春の訪れを祝う日。島がお祭り騒ぎになる日。皆が待ち望んでいた日。
島での出会いを想うと心が色めく。
なぜ、こんなに晴れやかな気持ちになるのかは、皆が知っている。
それは冬があるから。
冬が厳しくなるほど、春は美しい色に染まる。
「このエッセイからは、テーマの”色節”と言う言葉の意味が、最後に繋がるような、構成の素晴らしさを感じました。文章の全体から読んだ人が色を感じられる工夫がされている。”冬が厳しくなるほど、春は美しい色に染まる。”という、最後の一文もとても素敵です。実際にこの文章を読んで、僕も粟島に行ってみたくなりました」
実際に、その場所に旅したくなった作品を選んだと言う小山さん。旅をすることが難しい今、当たり前に旅をしていた時の幸せをしみじみと感じると話す。旅の思い出が詰まったエッセイは、読んだ人の次なる旅のデスティネーションになり、想像力を掻き立ててくれる。
「一緒に旅をしたいと感じた作品を選びました」信濃八太郎
「どの作品も素敵で、選ぶのに苦労しました。候補作の中から、1回目は目で見て言いまわしが素敵だなと思うものを。2回目は声に出して作品を読んで、語尾の使い方や、リズムがいいものを。5作品くらいに絞って、最後はどの人との旅に一緒について行きたいか、そんな気持ちで選びました」
信濃氏が選んだのは、佐賀県をテーマにした、abooks20さんの作品。”世の中が平穏なこと。心が安らかで落ち着いていること”という意味を持つ、寧静(ねいせい)という言葉をテーマに綴られている。
優秀作品:信濃八太郎賞『海に漕ぎ出せば』
海に漕ぎだせば
さっきまでの出来事が無かったことのように
体内の言葉が消えていった
ひとつ漕いでひとつ棄て
ひとつ進むとひとつ軽くなって
海原を漕いで漕いで
漕いで言葉をポイポイ棄てていった
出発した大友海岸が遠く朧げになるところまで漕いでいくと
すっかり言葉はからっぽになった
漕ぐのを止め
波の音と太陽の熱に包まれて
ゆらりと浮かんでいると眠くなってきた
ほっとしたのだ
海原には誰も居ない私だけの時間があった
目を閉じると
瞼の裏に地図が浮かび上がった
私が浮いているのは玄海灘だ
韓国が近いこのまま釜山に漂着できたら面白いなと
新しい言葉が湧いてきた
「改行がすごく綺麗で、詩の雰囲気がありました。声に出して見るとさらに綺麗。何かに集中することで、頭の中で考え過ぎていたことが少しずつシンプルになってスッキリする。『わかる、わかる、その感じ』というエッセイです。悩んでいる自分が一緒に海に連れ出される感じがして、このままabooks20さんと2曹ボートを並べたいと思いました」
旅行をしても、観光スポットに行ったり、名物を食べたりするよりは、なんでもない場所に行って、その土地の日常の暮らしを垣間見るのが好きだと言う信濃さん。「暗くなり始めた頃、飛行機に乗って窓の外を眺めると、遠くにオレンジ色の街の光が見える。そこでは、どんな人たちがどんな営みをしているのだろう、と想像すると自分は旅をしているんだなと思います」
「偶発的な出会いって旅の醍醐味ですよね」詩歩
「フォトコンテストの審査員はありますが、エッセイは初めて。どんな気持ちでこれを書いたんだろう。エッセイに添えた写真はどんな気持ちで撮ったんだろう。そんなことを想像しながら作品を選びました」
「死ぬまで行きたい! 世界の絶景」の著者、詩歩さんは何度も候補作を読んで、3作品をピックアップ。その中からひとつ選んだのは、さよりさんの『おじいさんの定位置』という宮崎県を題材にしたエッセイ。”気晴らし”という意味を持つ、気散じ(きさんじ)という言葉がテーマの作品だ。
優秀作品:詩歩賞『おじいさんの定位置』
「そこ、いつも私が座っている石でねえ」
自宅から車で約10分の海。珍しく自転車で来ていた私に、見知らぬおじいさんはそう声をかけた。
早朝5時。日の出前。
おじいさんは海岸沿いの決まった道を散歩し、決まった石に座るのが日課。
定位置の石に私が座っているので、思わず声をかけたらしい。
「あ! すみません! 」
思わず立ち上がる。
「いやいや、誰のものでもないし、ゆっくりしていきなさい」
とおじいさん。
車がほとんど走らない夜と朝の狭間、がむしゃらに自転車を漕いだ。頭の中で、
恋人の「他に好きな人ができた」をかき消しながら。漕いで漕いで漕いで、
自宅近くの海に戻ってきたところだった。
宮崎県宮崎市は太平洋に面している。いつもそばには海がある。
私は辛いことや嫌なことがあると、気散じに海へ来る。
海は他の誰も知らない、私のいろいろを知っている。
5時半。空をオレンジが覆い、海が輝きだす。ここは特等席だ。
おじいさん、ありがとう
「私は絶景を紹介することを仕事にしているので、世界中の名所を巡ることが多いのですが、記憶に残っている景色は、移動中に見た夕日だったりします。そんな偶然の景色だったり、地元の人と交流するなどの予期せぬ出会いこそが旅の醍醐味。この作品は、家の近くを走っていたら偶然海にたどり着いてオレンジ色の空に出会う、というもの。そういう偶発的なものって改めて素敵だなと思いました」
世界中を旅する詩歩さんにとって、旅とは「出会いと成長」。旅先で出会った人、景色、文化、価値観の以外が自分を成長させてくれると言う。普段の生活では、能動的に探しにいかないと出会えないことが多いが、旅で自分の居場所を変えれば、出会いや成長は自ずと向こうからやってきてくれるのだと。
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投稿作品ひとつひとつに目を通し、最優秀作品を選んだ小山さんは言う。「旅の一番の醍醐味は、見過ごしている日常の幸せに気がつけること」と。旅が難しい今だからこそ、ガイドブックや旅にまつわるエッセイを読んで、どんな旅をしたいか想像を膨らませたり、近場でも今まで行ったことがない場所を歩いて小さな旅気分を味わってみたりしたい。少し視点を変えるだけで、新たな出会いや発見がきっと見つかるはずだ。
その他の入賞作品は、「旅する日本語」の公式HPから見られます。