ドイツの名門A. ランゲ&ゾーネを愛する作家の吉田修一氏は、ブランドが歩んできた艱難辛苦の歴史に深い敬意を抱いている。全3回連載の最終回。
歴史の波に翻弄されつつ、そのなかで見事に復興した物語を持つブランド
2021年に『ブランド』という書籍を出版している吉田修一氏。作家として多くのクライアントと仕事をし、また消費者としてもブランドに接してきた吉田氏が考える、“一流ブランドの条件”とは何か?
「“物語”を持っていることだと思います。とある銀器ブランドの仕事で職人さんの仕事を見せてもらいましたが、どう表現したらいいのかな……、ちゃんと“汗の匂い”がするんです。ブランドはキレイなものという印象でしたが、本物のブランドはどこかに人の存在を感じる。ブランドの物語は、そういうところから始まるのでしょう。A. ランゲ&ゾーネが、それを持っているのは言わずもがなです」
A. ランゲ&ゾーネの腕時計は、徹底的に人の手から生まれる。例えば時分針やネジは、職人が手焼きすることで美しいブルーの酸化被膜を作っており、ムーブメントパーツのエッジの面取りも職人が手作業で行う。さらにテンプ受けにはエングレービングを施すのだが、仕事をする職人によって微妙に作風が異なるため、ハンドメイドの味わいが強く表れるのだ。
「興味深いこだわりですよね。でも手作業が見えてくると、本物のブランドだなって実感できる。お洒落なブティックに陳列されている状態がブランドの本当の姿ではなくて、職人がコツコツ作っているところにこそ、ブランドの神髄があるのです」
しかし吉田氏も、A. ランゲ&ゾーネの腕時計と初めて出合った時は、まずデザインに惹かれた。そしてこの腕時計について深く知るほどに、歴史にも魅了されていったという。
「A. ランゲ&ゾーネの腕時計を最初に見た時は、ドイツのブランドという意識はなくて、ただキレイな腕時計だなという印象でした。しかし調べていくうちに悲劇的な歴史を知って、さらに惹かれた。世代的にも1989年から始まるベルリンの壁の崩壊と東西ドイツ統一を青春のど真ん中で見ており、鮮烈な記憶として残っています。あの歴史的な出来事のなかで復興し、希望に満ちていた現場から生まれた腕時計というのは、物語として大きな魅力がありますよね。実はランゲに本格的に興味を持ったのは、こういった歴史を知ってからでした」
ドイツの東側に位置するドレスデンやグラスヒュッテは、第二次世界大戦時に連合国軍の空襲によって破壊され、戦後は東ドイツ政府によって、時計会社は国有化される。この状況に悲観したランゲ家当主のウォルター・ランゲ氏は、西側に亡命。A. ランゲ&ゾーネとしての時計製造の歴史は、一度幕を閉じることになる。
しかし時計産業の伝統は、グラスヒュッテ国営時計会社(GUB)という形で継承されていた。そのため東西ドイツが統合されるとウォルター氏がブランドの再興を進め、1994年には復興第一弾コレクションを発表することができた。人の手が、このブランドの伝統を守ってきたのだ。
「腕時計は世代を越えて、受け継がれていくものでもありますよね。今は自分がこの時計を所有しますが、長い歴史の間で他人の腕に巻かれるかもしれない。そういう文化も好きですし、自分で物語を作ることができるのも、腕時計ならではですよね」
吉田氏にとって、時計は時刻を知る道具ではない。もっとかけがえのない存在なのだ。
作家
吉田修一/Shuichi Yoshida
1968年長崎県生まれ。1997年に『最後の息子』で第84回文學界新人賞を受賞し、デビュー。2002年には『パレード』で第15回山本周五郎賞、『パーク・ライフ』で第127回芥川賞を受賞。2016年より芥川賞選考委員を務めている。実は、大の愛猫家でもある。
天空の物語を美しく表現する
問い合わせ
A. ランゲ&ゾーネ TEL:0120-23-1845
吉田氏着用衣裳:ジャケット¥79,200(チルコロ)、イエローシャツ¥31,900(ジャンネット/ともにトヨダトレーディング プレスルーム)