その書を目にすると、魂が震え、身体の底から力が漲ってくる。各界のトップランナーから、そう称され、作品の依頼がひきもきらない書家、金田石城。書業80年を迎えた“墨の魔術師”は、どんな道を歩んできたのか。その軌跡と、今なお胸にたぎらせ続ける書、そして、生への想いに迫る。
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線にも、墨にも、無限の可能性がある
まっさらな紙に筆がすっと置かれる。と、次の瞬間、筆そのものが命を宿しているかのごとく、自由に、伸びやかに紙の上を躍動。雄々しく力強い線に、ユーモラスで遊び心溢れる線、凛とした佇まいの線など、さまざまな線が、そこに生まれる。
筆をとるのは、書業歴80年を数える書家、金田石城。映画やドラマの題字や、大手企業の屋号、商品名などを数多く手がけ、数十畳にもなる紙に大きな筆でいっきに仕上げるパフォーマンスを確立した人物だ。
近年も、秋元康氏が綴った歌詞を墨彩(ぼくさい)の屏風に仕立てたり、名だたる経営者やアーティスト、アスリートらの座右の銘を書にしたためたりで話題になるなど、第一線で活躍を続けている。
「ある人が、『書家は線の行者』と言ったと伝えられているけれど、そのとおり。文字には形と線があるけれど、僕が惹かれるのは線。線は、筆を操ることでいかようにも表情を変える、いわば無限。無限だからこそ、どこまでも追いかけたくなるし突きつめたくなる。筆はね、無理やり言うことを聞かせようとしちゃダメなんだよ。筆が気持ちよく動いてくれるよう、ご機嫌をうかがいながら操らないと」
文字によって佇(たたず)まいが変わるのは、線だけではない。黒いはずの墨すらも、作品ごとに、がらりと異なる印象を受ける。
「墨の色は黒。そう思われているけれど、僕からしたら墨の色は100通り以上。緑に見えたり、ピンクがかっていたり、青みが強い墨もあるからね。それに、硯(すずり)で磨(す)った際の粒子の大きさによっても表情が変わるもの。細かい粒子は透明度が高く澄んでいてきれいだけど、雄々しい書に仕上げたい時は、粒子が荒くて少し汚いくらいの墨のほうが合う。そう考えると線と同様、墨の色は無限。物心ついた頃、初めて墨に触れて以来、この無限の魅力に取りつかれて僕はここまで来たようなものだね」
金田が初めて手にしたのは、薪を燃やした後の“炭”。福島県の田舎で、育ての母とふたり、貧しい暮らしを送っていた少年は、その炭を使い、河原で拾ってきた石を硯に見立て、書道のまねごとをしたという。
「それが、お金をかけずに楽しめる、唯一の遊びだったからね。でも、こんなに長く続くとは思いもしなかったな。結果的に、書で生活できているのはありがたいけれど、書で食べていこうとは考えたこともなかったしね」
天職を見極めるべく、さまざまなことに挑戦
書家を目指したわけではなかったものの、「気づくと墨を握っていた」少年は、中学を卒業して上京後、職を転々としながら書の腕を磨く。20代後半で書道展入賞を果たした金田のもとには、大手企業の商品や、ドラマ・映画のタイトルの依頼が舞いこむようになった。そして、1990年、大ヒット映画『天と地と』のタイトルを手がけたことで、金田石城の名は、いっきに全国区に。展覧会を開けば大盛況で、作品は瞬く間に完売。日本を代表する書家になったにもかかわらず、金田は、書以外のことに活動の場を広げていった。
自らカメラを操って写真集を出版し、反物に直接文字を書いた着物をデザインし、小説を執筆し、水墨画を描き……。2018年には、自ら書いた小説を元に、映画『墨の魔術師』の監督・脚本・主演まで務めた。
「書は、本当に自分の天職なのか、もっと他に向いているものがあるんじゃないか、別の才能が眠っているんじゃないか。時々そんなことを思ってね。興味を抱いたものは、片っ端から挑戦していました。生意気だけど、『他の人ができて、自分にできないことはない』なんて思っていたし。でもね、寄り道は、もうおしまい。これからは、書に専念しますよ。きっかけを与えてくれたのは、(幻冬舎代表取締役の)見城さんなんです」
書を通じて自分探しをしていた
既知の間柄ではあったものの、金田と見城の距離が縮まったのは、ここ10数年のこと。エネルギーに満ちた金田の書に改めて魅せられた見城は、親しい人の新たな門出に際し、自分が選んだ文章を金田に書いてもらい、贈っている。そうした関係もあり、幻冬舎から出版が予定されていた金田の自伝的小説が装丁に入る直前、見城から金田のもとに電話が入ったのだ。
「見城さんに、『失礼を承知で言うけれど、人々が求めているのは石城さんの書であって、自叙伝じゃない』と言われて、ハッとしてね。出版社の経営者が、本の発売取りやめを提案するのは、相当な覚悟が必要なはず。リスクを承知で進言してくれた見城さんの気持ちを、僕なりにしっかり考えたくて、『しばらく時間をください』と答えました」
金田が出した結論は、発売中止。1年かけて書いた小説を破棄することに躊躇がなかったわけではない。だが、それ以上に、自分の書を深く愛する者の想いが、金田の心に刺さった。
「それまでも周りのスタッフから50年近く、『書に専念してほしい』と言われ続けてきたのに、聞く耳を持たなかったけれど、見城さんの言葉が、晩年の僕を書の道に導いたんだ。結局僕は、書を通じて自分探しをしてきたんだろうな。あちこち寄り道したけれど、83歳の今になってやっと自分の生きる道は書しかないとわかったよ。だからね、これからの僕が本当の僕なんだ」
もうひとつ、金田が気づいたと明かすのが、「上手下手を気にしても意味がない」ということ。
「うまく書こうなんて考えているうちは、まだ三流。大切なのは、作品を見た人が、『これが石城だ』と思えるような存在感。すでに存在感は十分あると言ってくれる人もいるけれど、書は無限だからね。まだまだ、新しい自分が見つかるだろうと思う。そう考えると、楽しみでしかたがない。365日筆を握っていても時間が足りないくらい、書きたいものがたくさんあるよ」
83歳の書家は、今日も筆と墨を手に、少年のように心を躍らせながら、自分、そして書の可能性を探り、追い続ける。
線と墨が生みだす無限の可能性
今を盛りと咲き誇る桜の花が、頭上に広がるかのように、華やかで、生命力に溢れた「いのち満開」や、天に昇る龍を彷彿させる「雲龍」、春先の、柔らかく瑞々しい「土」。どの作品をとっても、“金田石城ここにあり”と訴えてくる。取材時に書いた「神和」の文字は、「“神”という字を書く時は、緊張します。書き損じなどあってはならないから」と言った後「ハッ!」と活を入れ、いっきに書き上げた。
「たった一人の熱狂」と「憂鬱でなければ仕事じゃない」は、見城に依頼されたもの。「どんな言葉を選ぶかに、その人の生き様が表れていて、実に興味深い。それを文字として、どう表すか。そこにもまた、僕自身の生き方が投影されているんだろうと思います。僕自身は、仕事が楽しくてしかたがないし、休みの日のほうが、よほど憂鬱なんだけど(笑)」
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書家。1941年福島県生まれ。全日本書道芸術院理事長。“墨の魔術師”と称され、書にとどまらず、写真や映画製作、執筆など幅広く活躍し、片岡鶴太郎や坂本冬美などの書の師匠としても知られる。映画『天と地と』や『椿三十郎』のタイトルなど、代表作多数。近著に、『言葉力』『敵は我が心にあり』(ともに幻冬舎)がある。