PERSON

2023.03.09

【漫画家・松本零士】インキンタムシに教えられた漫画を描く目的とは――貧乏生活の青春期

日本にSFの概念を根付かせた第一人者である漫画家・松本零士が2023年2月13日、85歳でこの世をさった。彼の描く宇宙には、貧乏のどん底で餓えた四畳半の下宿生活、そして戦闘機で空を飛んでいた父の姿が常に映し出されていた。仕事がなくても、腹を空かせても、執念を込めて漫画を描いた松本零士の不撓不屈(ふとうふくつ)の根性のルーツとは――。過去の貴重なインタビューを3回にわけて振り返る2回目。【#1】※GOETHE2009年9月号掲載記事を再編。

応接室で座る松本零士氏

一家を支え、進学断念。しかし失業、貧乏の青春期

高校を卒業した年に上京、本郷の四畳半に下宿して本格的に漫画家としての生活を始める。高校は進学校だったが、大学進学は、家の経済状況を考えてとっくの昔に諦めていた。「金は俺がなんとかするから、弟たちは大学にやってくれ」。両親にそう言い置いての悲壮な覚悟の上京だった。その言葉どおり、稼いだ原稿料の9割以上は実家に送っていたから、「飯を喰うのがやっとのことで、8ヵ月くらい風呂に入らなかったこともある(笑)」。しかも実力があったとはいえ、高校生に毛の生えた程度の若者が、弱肉強食の漫画界で生きていくのは並大抵のことではなかった。

「連載が打ち切りになって、失業する。アルバイトでなんとか食いつないで、そのうちなんとか連載を貰い、しばらくしてまたクビになる。あの頃は、その繰り返しでした。編集部に呼びつけられ、編集長に僕の漫画の絵とか、ストーリーに難癖をつけられる。最後に『縁無き衆生と諦めて……』と、言われた時の悔しさは今も忘れない。その後を言わないんですね。『縁無き衆生と諦めて……』を、何度も繰り返す。荷物をまとめて九州へ帰れってことなんでしょう。悔しかったなあ。何十年も経った今も、編集部のあった会社の横を通るときはビルの窓を睨みつけるくらいだから(笑)。

今でこそ、あの時代こそが僕の理想郷だったと言えるけれど、当時はただ辛く苦しい時代だった。仕事が何もなくて、すきっ腹をかかえたまま電気を消して寝床に入って、将来のことを考えて恐怖感に襲われた夜は数知れない。僕ひとりじゃなくて、僕の肩に家族九人の生活が乗ってたんですから。でも逆に言えば、どんなに苦しくても、歯を食いしばって耐え抜けば、いつか未来は開けるっていうことですよ」

1971年から少年マガジンに連載が始まった『男おいどん』には、その当時の彼の貧乏生活が赤裸々に描かれている。洗濯もせずに、押し入れにため込んだサルマタにキノコが生えてくる話も、そのキノコを即席ラーメンに入れて友達に食べさせた話も、すべて彼の体験した実話だ。スポーツ選手でもなければ、サイボーグでも忍者でもない、ただの貧乏な若者を主人公にした作品は、当時としてはきわめて斬新で、松本零士の名前を一躍日本の漫画界に広めることになる。けれどそれより重要なのは、この作品で、彼が自分の仕事の意味を悟ったことにある。

「『男おいどん』で、僕はインキンタムシの話を描きました。風呂に入らないから、僕も含めて、周りの友人たちはみんなインキンタムシになってました。だけど、恥ずかしくて言えないわけです。それが、僕の青春にどれだけ暗い影を落としていたか(笑)。インキンタムシから僕を救ったのは、新聞の片隅にあった記事でした」

新聞には、インキンタムシの原因は、白癬菌(はくせんきん)という菌だと書いてあった。インキンタムシとは恥ずかしくて言えなくても、白癬菌という菌名なら言える。

「それで薬屋に行ったんです。『白癬菌に効く薬をください』って。薬屋の主人には『お前もインキンタムシか』って言われたけど(笑)。その薬を使ったら、一発で治ってしまった。その話を、『男おいどん』に描いたんです。インキンタムシだってことが恥ずかしくて言えないばかりに、僕は何年間も悩み続けていた。それを漫画に描くことで、誰もが公然とインキンタムシだと口走れる世の中にしてやろうと思ったんです。反響は想像以上で、読者から手紙が段ボールに何箱分も送られてきた。『おかげで人生が変わりました』とか、『彼が明るくなった』とか(笑)。

あの作品で、僕は目的意識に目覚めたんです。何のために、漫画を描くのかっていうことにね。それまでの自分には、面白い作品を描きたいとか、感動的なものを描きたいという願望はあったけれど、目的意識が欠落していた。これはすべての物語に言える。目的意識が欠落していては、誰の共感も得られないわけです。それをインキンタムシに教えられた(笑)。あの作品から、作風も、物語の作り方もまったく変わった」

#3に続く

松本零士のルーツ【2】 松本美女はご先祖様?

松本零士の美女たち

松本作品には数多くの美女が登場するが、どの女性も線が細く、どこか似ている。その原型が17歳で描いたスケッチの女性(上中)。近年に、ある写真が、母の実家の隣家で発見され驚く。シーボルトの孫娘で、「血縁かも?」と松本が推測する高子という女性だ(上左)。「小さい頃に目にしていて、影響を受けたのかもしれません」

漫画以外にも広がる活動! デザイナー松本零士

漫画を描くために得た科学・自然などの膨大な知識。それらを活かしてデザインされた物は、松本イズムが宿り、見る者の心を摑んではなさない。

松本零士がデザインしたTokyo cruise ヒミコ

Tokyo cruise ヒミコ
浅草〜お台場間を運行する観光船を、宇宙船のようにデザイン。船内放送は『999』のキャラクターが務める。「セーヌ川を走らせたい」と2号船を依頼したフランス人も。

松本零士がデザインしたオメガ スピードマスター

オメガ スピードマスター
地球・月・火星をあしらった宇宙時計は、今年のスペースシャトルの打ち上げ時に、若田光一・宇宙飛行士もつけていた。松本所有のシリアルナンバーは、もちろん“999”。

TEXT=石川拓治

PHOTOGRAPH=江森康之

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