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2023.03.08

【漫画家・松本零士】壮絶だった幼少期。不撓不屈の根性のルーツとは

日本にSFの概念を根付かせた第一人者である漫画家・松本零士が2023年2月13日、85歳でこの世をさった。彼の描く宇宙には、貧乏のどん底で餓えた四畳半の下宿生活、そして戦闘機で空を飛んでいた父の姿が常に映し出されていた。仕事がなくても、腹を空かせても、執念を込めて漫画を描いた松本零士の不撓不屈(ふとうふくつ)の根性のルーツとは――。過去の貴重なインタビューを3回にわけて振り返る1回目。※GOETHE2009年9月号掲載記事を再編。

松本零士とメーテル

仕事がなくても、腹をすかせても、執念を込めて漫画を描いた

「若い頃は、時間は無限大にあると思ってた。過ぎてしまえば、それはほんの束の間の、ほとんど一瞬のことだったんですけどね。でも、あの頃は、自分の未来が無限に広がっていると信じていた。今考えれば、あれが自分の人生でいちばん幸せな時代だった。貧乏のどん底にいて、その日の飯を喰うにも苦労してました。周りの友達もみんな貧乏で、できることといったら未来の夢を語るくらいのことだった。それでも、あの時代こそが僕の一生のなかでのアルカディア、理想郷だったんです」

そう言うと、松本零士は物思いに沈む顔になった。この人について、改めて説明する必要はないだろう。『宇宙戦艦ヤマト』『銀河鉄道999』『宇宙海賊キャプテンハーロック』……。代表作を挙げればきりがない。日本が世界に誇るMANGAとアニメ文化の屋台骨を築いた巨匠である。その膨大な作品群は各国語に翻訳され、世界中でファンを獲得している。71歳の今も現役で新作をネット上で発表し続けているし、2010年は新作アニメ映画の公開も予定されている。順風満帆の人生……と、人の目には映るだろうけれど、若い頃の苦労は壮絶だった。

漫画を描き始めたのは小学校一年生の時、日本がアメリカと戦争をしていた時代だ。終戦の日のことは忘れもしない。川で遊んでいて、「戦争が終わったぞ」と、メガホンで触れ回る声を聞いた。

「家に帰らにゃならんと思って帰る途中、大人たちがみんな道に座り込んでいるんです。身動きひとつしないんですよ。その黒い影がね、激しく強い印象として残ってる。家に帰ると雨戸が閉め切られている。こじ開けて入ると、ばあちゃんが正座して、日本刀を抜いているんです。『どうするんか?』って聞いたら『敵が来たら刺し違えて死ぬ。お前も侍の子なら、覚悟せい』とね。夜は、枕元に先祖伝来の槍や刀を並べて寝ました」

高校時代には既に原稿料を貰うプロとして、故郷の小倉で作品を描き、東京の出版社に送るという生活をしていた。彼が早熟の天才であったことは間違いないが、高校生にして漫画家の仕事をしていたのには、もうひとつ別の理由がある。彼の父親は、複葉機(ふくようき)の時代から操縦桿を握ってきた歴戦のパイロットで少佐だったのだが、終戦後は公職追放のため、慣れない自営業で家族を養わなければならなかった。松本は7人兄弟、祖母を含めて一家十人の生活は困窮を極めた。

「父は荒れ地を切り開いて畑を作り、炭焼きをしたり、玩具の製造や、ゴムタイヤ、ゴム靴の修理業などさまざまな仕事をしたけれど、どれも上手くいかなかった。最終的には小倉で八百屋を始めるのだけれど、八百屋といってもほとんど露天商のようなもので、家族は壮絶な貧乏暮らしを強いられた」

そういう暮らしに不満を感じたり、惨めだと思ったことはないと松本は言う。「親父は昔、空を飛んでいた」という事実だけで、少年の誇りを満たすには十分だったのだ。その父親には、パイロットの腕を買われて、民間の航空会社からの誘いもあったが、「二度と空は飛ばん」のひと言で、いつも断っていたそうだ。戦争で若い部下を大勢死なせた。生き延びた自分だけ、空に戻るわけにはいかないという思いだった。その結果としての貧乏なのだ。恥じる気持ちはどこにもなかった。むしろ、その分だけ父を助けたいという気持ちが強かった。

少年、松本零士にとって、漫画は父を助け、家族を養うために天が与えてくれた無二の武器でもあったのだ。高校二年生の時には、毎日新聞西部本社で連載も始まっていたが、それだけでは足らずに、デパートの宣伝部や地元の商店街に売り込みをしてチラシの挿絵も描いた。高校の学費も、学生服もすべてこの仕事で稼いだ金でまかなった。

#2に続く

松本零士のルーツ【1】SFを描く事への心構えを教えた本

『大宇宙の旅』荒木俊馬著

『大宇宙の旅』荒木俊馬著
小学生時代に出合ったこの一冊の本が、松本零士の人生を大きく左右することになる。夜空に輝く星座や星雲が、どれほど遠い場所にあって、いかなる姿をしているのか。少年の広げた夢想が、数十年の後に数々の作品として結実した。

松本零士略年表

1938年(0歳)
1月25日、福岡県久留米市に生まれる。漫画家・石ノ森章太郎と同じ誕生日。

1943年(5歳)
兵庫県明石市に暮らす。アニメーション『くもとちゅーりっぷ』を駅向こうの映画館で観る。漫画家・手塚治虫も同じ日に、同じ映画館で鑑賞していた。寝物語に空想科学小説を聞き、頭の中で創作を始める。

1944年(6歳)
父の出征のため愛媛県の母の実家へ疎開。初めて漫画を描く。

1947年頃(9歳頃)
福岡県小倉市の米町小学校へ転入。学級図書で手塚治虫作『火星博士』や『大宇宙の旅』などさまざまな本を読む。また、映画鑑賞会でフルカラーアニメーション『ガリバー旅行記』を観る。これらの作品により、漫画とアニメーション制作への夢がより強くなる。

1951年(13歳)
「毎日中学生新聞」に漫画が掲載され、姉から『大宇宙の旅』を贈られる。科学者でもあるH.G.ウェルズ著『生命の宇宙』を読み、「SFを描くためには、膨大な知識が必要」なことを自覚し、衝撃を受ける。

1952年(14歳)
ハーロックの原型となる海賊漫画『冒険記』を描く。

1953年(15歳)
11月、雑誌「漫画少年」に投稿し『蜜蜂の冒険』が入選。これを機に毎日新聞西部本社での不定期連載開始。

1956年(18歳)
上京。文京区本郷の「山越館」での下宿生活が始まる。漫画家・ちばてつや、後に妻となる漫画家・牧美也子などが集う。科学冒険漫画の執筆を願うも出版社からは受け入れられず、少女漫画で食いつなぐ。

1960年(22歳)
秋頃、少女漫画の仕事を切られ、失業生活に突入。

1961年(23歳)
年明けから少年漫画の依頼が来るように。本名の「松本あきら」から「松本零士」へペンネームを変える。(少女漫画は「松本あきら」)。牧美也子と結婚。巣鴨へ転居。

1968年(30歳)
『セクサロイド』『四次元世界シリーズ』で本格的なSF作品を発表。

1971年(33歳)
『男おいどん』連載。

1973年(35歳)
戦場漫画シリーズ『ザ・コクピット』開始。

1974年(36歳)
10月『宇宙戦艦ヤマト』連載。アニメーション『宇宙戦艦ヤマト』放送。

1976年(38歳)
『ヤマト』の打ち切りのため時間ができ、アフリカ旅行へ。『宇宙海賊キャプテンハーロック』『銀河鉄道999』連載。

1977年(39歳)
劇場版『ヤマト』公開。松本零士のアニメーションブームが起こる。

1978年(40歳)
『宇宙海賊キャプテンハーロック』『銀河鉄道999』がアニメーションに。

1996年(58歳)
『新・銀河鉄道999』連載。

2000年(62歳)
『新・宇宙戦艦ヤマト』連載。

2006年(68歳)
宝塚造形芸術大学のメディア・コンテンツ学部教授に就任。京都産業大学・客員教授に就任。

2009年(71歳)
『Out of Galaxy 銀のコーシカ』をWii配信にて連載中。 

TEXT=石川拓治

PHOTOGRAPH=江森康之

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