PERSON

2022.12.05

【稲本潤一】まだ引退はしたくない! 今、なにを想いサッカーに熱中しているのか?

今季から関東一部リーグの南葛SCに所属している稲本潤一。1997年に17歳でJリーグデビューを果たしたワンダーボーイは、43歳となった今も「サッカーが上手くなりたい」と願い、奮闘している。2010年のW杯以降、日本代表選出はないものの、稲本が成長実感を得ながら、サッカーを楽しめているのはなぜなのか。

稲本潤一

置かれている環境でなにができるかを追求する

――2002年のW杯日韓大会から3大会連続でワールドカップ出場。稲本潤一選手にとってのワールドカップとはどのような大会でしたか?
「やはり、毎回出たい大会でしたし、大会が終わるたびに、次もそこを目指していました。やっぱりすごい特別な大会ですし、自分のなかですべてとは思わないけれど、すごく大きいものでしたね」

――しかし、2010年のW杯南アフリカ大会以降、代表に招集される機会もなくなりました。現役としてのモチベーションはどのように変化しましたか。
「もう代表には入らないんだなということで、スッキリした気持ちもありましたね。もちろん入りたい想いはあるけれど、それよりも所属チームの目標のほうが自分のなかで大きくなりました。どのクラブであってもチームが求めている結果をどう掴んでいくのかというのが、一番のモチベーションになっていくんです。それは年齢を重ねていくことで自然とそうなるものだと思います。自分の力や自分がどこまでできるのかも、ある程度わかるようになっていくので。もちろん、それを越えて、さらにうまくなりたいという気持ちでサッカーをやっているけれど、現状で自分ができる目標を常に目指していくというマインドには変わりましたね」

――2012年、川崎フロンターレの監督に風間八宏さんが就任。刺激も大きかったのではありませんか?
「風間さんは止めて蹴るということをとにかく徹底していました。それはサッカーではすごく当たり前のことです。僕はガンバユースのときから言われていた。でも風間さんはより、細かく、より正確性を求めるんです。同時にいろいろな角度からサッカーについて話をしてくださった。そんなサッカーに出合えて、こういう見方があるのかと、サッカーの楽しみが広がりましたね。そして、2015年に移籍したコンサドーレ札幌ではミハイロ・ペトロヴィッチと出会えました。2018年の1シーズンだけでしたが、こういうアプローチで攻撃的なサッカーをするのかという経験ができた。こんなふうに巡り合えた指導者に刺激を受けています。そのなかで自分がうまくなっているとすごく感じることができました。今おかれている戦術のなかで、与えられたタスクを果たし、どうやって自分を機能させていくのか、どうやって貢献していこうかと考える、追求する機会になったんです。ダメだったら違う角度からチャレンジしようと思える。そういう気持ちがあるので、環境に関係なく、今もサッカーを楽しめているんだと思います」

――年齢を重ねても成長実感を得られるのは、成長へ向けた挑戦を続けているから?
「年齢を重ねれば、当然若いときと同じようには走れない。走れるように筋力をつけたり、補強するトレーニングはもちろん行います。それでも、もう90分ずっと走り回れと言われても無理なので。コーチングや技術などでカバ―しないと生き残ってはいけない。それは今の地域リーグというカテゴリーでも同じです。でも、コーチングやポジショニングといった部分の向上はいつまででも向上できると思っているので、そこが楽しいですね」

アドバイスは相手と同じ目線に立つ

――うまくなりたいと稲本選手はいつもお話されていますが、“うまく”の内容に変化があるんですね。
「サッカーではコーチングの声ひとつで、ガラっと変わる局面があります。ポジショニングも同じです。それを追及する楽しさがありますね。技術を磨いたり、ポジショニングや声の質やタイミングを工夫したり、人を動かすことで、チームをうまく回すことが必ずできると思っています。それによりチームがより勝てるようになることが、自分がうまくなっていると感じることにつながっています」

――若い選手にアドバイスするときに気を付けていることはありますか?
「相手と同じ立場、同じ目線で話をするということです。上の立場からはいくらでも言えるし、偉そうに言えば、僕が言えば、周りも僕の言葉どおりに動こうとするかもしれません。でもそれが必ずよいことだと思わないので。でも、僕はあんまり言わないほうだと思います。当然、練習中や試合中、プレー面については言いますけど、そのときも相手の状況や立場に配慮することは心がけています」

――経験があるぶん、言いすぎることもあるのではないでしょうか?
「そうですね。そこまで言ってもできるできないがありますから。僕が言葉にせずとも、やってもらえるようにしたいと考えています。あえて言うとすれば『こういう選択肢もあるんじゃないか?』という感じのアプローチですね」

――2022年は関東1部リーグの南葛SCに所属したシーズンでした。
「人工芝での練習は今までも経験してきましたが、夜間練習はユース以来の練習環境でしたね。新鮮な想いでスタートしたシーズンでした。そういった意味でも、サッカーができることが1番の喜びだと感じつつも、それを40代で行うことの厳しさというのを感じました。とは言え、仕事と両立している選手もいる中で年齢を言い訳にするつもりもないですし、コンディション面も含めて、それをどう改善していくのか、いろいろと探りました」

自分がどう納得し、現役を終えるのかは想像できない。まだ現役を続けたい

――南葛SCはJリーグ入りを目指しているクラブですが、今はまだプロクラブではない。
「そうですね。プロ契約ではない選手が多く、サッカー以外の仕事をしながらプレーしなくてはいけない環境です。当然サッカーに100%打ち込むことができない。サッカーと仕 事という集中すべきことがふたつあるというのは、僕には想像できないし、心身ともに厳 しい中での闘いだと感じます」

――それでも、結果を残すためにはサッカーに対するモチベ―ションも求められる。
「そうなんです。JFLに昇格し、将来的にはJリーグへというクラブの目標があります。目 の前の試合に勝つという意味でも、選手個々のモチベーションは重要ですし、チームとし てひとつになるうえでも大切なことなので。僕自身もどういう声かけをすべきか、周りを見ながらやってきた1年でした」

――JFLへの昇格には、地域リーグ上位クラブが戦う「全国地域サッカーチャンピオンズリーグ」で勝利しなければなりません。今季の南葛SCは地域リーグ7位でした。
「南葛SCは2016年から毎年昇格を続けて、下から上がってきているチームなので、昇格の仕方を知っている選手も少なくない。でもやっぱり上がれなかったというのは、僕もそうですけど、チームやフロントや監督、コーチも過去の勢いのまま行けるという雰囲気があったのかなと。初挑戦の関東1部は難しく、厳しかった」

――チームを構成する選手の立場やクラブの財政や環境など、さまざまな背景を持つ地域リーグ。JFL昇格までの戦いは難しいものですね。
「きっと、このカテゴリーから昇格するのは簡単じゃないなと実感しました。僕自身としては貴重な1年間の経験ができたと思います」

――南葛SCには稲本選手以外にも今野泰幸選手や伊野波雅彦選手、関口訓充選手など、元日本代表選手が所属していました。チームメイトに上の世界を見せてあげたいという気持ちも強かったと思います。
「そうですね。そのために、チームの力になるために、僕や今ちゃんが来たのに、そこでの力不足を痛感しました。もっともっとできたんじゃないのかなと思っています」

――W杯で実感したチームの一体感の重要性をクラブでも発揮したいと考えていたのでしょうか。
「もちろん。ただ、代表は短期決戦なので、そういう空気は作りやすい面があると思います。クラブは日々の積み重ねなので、少し違う面があります。仕事をしているチームメイトの状況を探りながらやらなければいけない。そういう手探り状態は続くと思いますが、できるだけ同じ方向を向きながら、上へ昇格できるようにはしたいですね」

――南葛SCへの移籍は、Jリーグのクラブを作っていく挑戦ですね。
「そうですね。日本にサッカー文化を根付かせたいと思っているので、新しいJクラブを作るという仕事に面白さを感じています。2002年のワールドカップで、日本中が日本代表に熱狂してくれた光景は今でも心に深く刻まれていますから。沿道に人が並び、僕らが乗っているバスに手を振り、声援を送ってくれた。日本でもこんなふうになるんだと」

――来年は44歳ですね。引退について考えることはありますか? たとえば、2006年W杯ドイツ大会後に、中田英寿さんが現役を引退しました。
「ドイツ戦後、ヒデさんがピッチに倒れて動かなくなった。僕と同じようにブラジルに敗れて悔しいからだろうと思っていたんです。その後、引退すると知って驚きました。ヒデ さんがどういう理由で、いつ引退を決意したのか、大会前から考えていたのか、僕にはわ からない。でも現役を終えようという気持ちになれたというのは、ある意味やり切ったということなんだと思います。そう考えると羨ましい気持ちもありますね。僕は未だにそう いう気持ちになれないから。だからカテゴリーを変えても大好きなサッカーを続けているんだと思うんです」

――先日引退を発表した中村俊輔さんが「スッキリやめられてホッとしている」と話していました。稲本選手はまだそういう気持ちにはなれない。
「僕はまだ、もうちょっとかかりますね。自分がどう納得して、どういうふうに終われるかっていうのは、今はまだ想像はできないですね。もうちょっと現役を続けたい」

――稲本選手にとって、サッカーはどんな存在ですか?
「生きがいですね。無いとどうしようもない。これが無くなると何もやらなくなるかもしれない、自分が生きるために必要なものです。サッカーを始めた5歳のときから、サッカーが好きというのは変わらない。それがある限りサッカーを続けたいし、それと同時に サッカーを仕事にできていることに感謝し続けています。だからこそ、好きなことをやってお金をもらっているのは、本当にありがたい話です。お金をもらっているという責任感 はありますが、正直なところ仕事という感覚や意識がそれほどないのからこそここまで続 けることができているのかもしれないですね」

――好きなことを仕事にすることは幸せなことばかりでもないのでは? 続けるうえでの苦労は絶えないと思います。
「そうですね。やり続けるためには、自分を成長させなくちゃいけないし、トレーニングしなくちゃいけない。単純に好きだからといって続けていくにも限界はあると思うので。ただ僕は、キャリアの中で、指導者だったり、チームメイトだったり、いろんな人との出会いが素晴らしく、そして出会いに恵まれてきました。だからこそ僕もそう思ってもらえるようになりたいと思います。僕と出会って、サッカーがうまくなれた。そんなふうに思ってもらえる人間として、サッカーに関わり続けたいと考えています」

――今後の目標を教えてください。
「今置かれているチーム、南葛SCの目標であるJFL昇格に貢献すること以外ないですね。そこが一番の目標です。同時に、僕個人としてはよりサッカーの深みや面白さを感じながら、もっともっとうまくなりたいという気持ちが変わらずあるので。もっともっとうまくなりたい! というのが目標なんだと思います」

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稲本潤一/Junichi Inamoto
1979年生まれ。小学生時代から注目を集め、中学進学と同時にガンバ大阪ジュニアユースに加入し、ユース時代にはトップチームでの出場を果たした。’95年にはU-17世界選手権にも出場し、’99年ワールドユース、2000年シドニー五輪と世界大会に出場。’02年、’06年、’10年のワールドカップメンバーでもある。’01年にはイングランドプレミアリーグアーセナルへ移籍。その後、イングランド、トルコ、ドイツ、フランスと渡り、’10年川崎フロンターレでJリーグ復帰。コンサドーレ札幌、SC相模原を経て、’22年から南葛SC所属。

TEXT=寺野典子

PHOTOGRAPH=松岡健三郎(南葛SC)

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