安彦考真(あびこ・たかまさ、43)は”挑戦モンスター”と呼ばれる。40歳を目前にした2017年、すべての仕事を辞して若き頃に断念したJリーガーを目指し、その翌年に年俸ほぼゼロ円で契約を掴んだ。’20年にはJリーガーを引退。格闘家に転身し、国内最大級のイベントRIZINを目指すという次なる目標を掲げた。あまりにも無謀な道標(みちしるべ)に見えるが、当の本人は実現を信じて疑わない。なぜこの男は挑戦に狂うことができるのか。その思考回路を本連載「熱狂の道標」で解き明かしてみたい。Vol.2「Jリーガーから格闘家となった43歳は、なぜ批判をもろともしないのか?」
第3回「100年後の価値」
43歳の"挑戦モンスター"安彦の人生を語るにおいて最も重要な分岐点は2017年である。当時39歳。すべての仕事をやめて、若き頃に断念したJリーガーへの夢を再び追うことを決断した年だ。それまでの彼は端的にいえば、サッカーに携わる仕事にかかわりながら順調にキャリアを重ねていた。大宮アルディージャの通訳や北澤豪が立ち上げたサッカースクールの運営やマネージメントなどなど。日々の仕事に忙殺されながらも、ある程度の収入を得て、ある程度の充実感を抱く生活を送っていた。しかし、心の中ではずっとモヤモヤする何かが存在していた。夢を諦めてから15年が経過しようとした時、ふと我に返った。「これが本当の自分なのか?」「行動がお金に縛られていないか?」と。
「ある通信の高校と東京ヴェルディが始めた事業の『biomサッカーコース』というところで講師をしていた時期があったんです。そこでは、かつて引きこもりだった子、補導歴がある子たちなど、さまざまな子供たちと出会いました。授業をするなかで"あの頃に戻りたくない"という彼ら彼女らの純粋で素直な想いを知って"この子たちが目を輝かすためにはどんなことを言えばいいんだろう"って悩んだんです。そして"子供に何かを伝える前にまず自分を改革していかなきゃいけない"と思いました。自分を顧みれば、20代の時からJリーガーになれなかったのはずっと古傷のせいだと嘘をついてきた。そんな嘘やごまかしをつくってきた要因は何なんだろう。ずっと考えていたら、それはお金だったんじゃないかなと気づいたんです。子供たちの純粋な想いに応えるためには、まずはお金からの呪縛から解放されて本当の自分を取り戻そうと決めたんです」
一貫してサッカー関連の仕事に携わってきたサラリーマン生活。雨の日も晴れの日も調子のいい日も悪い日もあるのに長らく固定の給料をもらってきた。しかし「よく考えるとそれっておかしくないか?」。会社のために自分は一体いくらの売り上げを上げてるのか、一体何に貢献しているのか。そこそこの暮らしはできているけど、何のために生きているんだろう。本当はJリーガーになれなかったのが悔しくてサッカーにすがりついているだけなんじゃないか。こうしたジレンマを作っている原因は、お金だと考えた。
「自分を取り戻したいって思った時にやっぱお金が邪魔だったんです。だって高校生の頃、純粋にJリーガーを目指していた安彦考真はそんなことを考えないで生きていた。高校3年で夢を追いかけてブラジルに行った時も単なる好奇心だった。でも、大人になって社会の荒波にもまれ、夢と現実のはざまに生きていると、どんどんどんどん本当の自分が削ぎ落とされて、よくわからない人になっちゃった。だからいったんすべてを捨ててリセットして、誰に何を言われてもいいからもう一度、自分の可能性に挑戦しようと思った。もちろん、僕から離れて行った人もいましたけど、挑戦するという姿勢に多くの人が賛同してくれたんですよね。そうするうちに"お金がない方が自分らしくいれるじゃん"と」
お金の呪縛からの解放
収入はなくなった一方で、Jリーガーになるために徹底的に自分の身体をいじめぬく時間ができた。そして、クラウドファンディングで夢への挑戦資金を集め、会う人会う人に自分の挑戦を語り続けた。批判は常だったが、嘘偽りなく生きているのが心地よかった。
「そもそも日本の資本主義っていうのは、この数百年の話じゃないですか。第一次世界大戦が終わった後に普通選挙法ができたぐらいから民主主義と資本主義がセットになって歩み始めて、100年たって特に今のコロナ社会になって、だんだん破綻してきてないか?って思うんです。人が生きるためには経済よりももっと大事なことがあるんじゃないかと。でも、わかっていながらもお金の呪縛からはなかなか抜けられない。だって普通この社会って稼ぐための手段として仕事をしなきゃいけないですからね」
Jリーガーから格闘家へと夢の舞台を移した現在。空き時間には美術館や博物館に出向き、古くから伝わる本当の価値あるものを心に刻むようにしている。また、古来から伝わる合気道や武士道などを学び、本質を理解したうえでトレーニングに組み込んでいる。
「僕が行動する上でいま一貫して心がけていることは、"100年後の価値を考える"ということです。ゴッホの『ひまわり』って当初は注目されなかったけど、あそこに美の本質が詰まっているから今では凄い価値になっているんですよね。音楽でいうクラシックも同じですよね。100年伝わる理由ってなんだろうって考えないといけないと思います。お金をもっててもSNSのフォロワーがたくさんいても、100年後に語り継がれる人になれるかどうかは、また別の話。モノや人の価値って人間が生きるための本質をついているかどうかだと思います。だから僕は、決して現在の言い値に翻弄されず、目の前のお金からの呪縛から抜け出したい。僕はお金ももってないし、何万人もフォロワーがいるわけじゃない。でも嘘偽りないありのままの自分で挑戦する姿を見せ続けて、その結果、誰かにいい影響を与えられればいいなと考えています」
Vol.4に続く
Takamasa Abiko
1978年神奈川県生まれ。新磯高校3年時に単身でブラジルに行き、19歳でグレミオ・マリンガとプロ契約。しかし、リーグ戦開幕直前に前十字靱帯を断裂して帰国。その後、清水エスパルスとサガン鳥栖の入団テストを受けるも不合格となり2003年に25歳で現役引退。指導者や通訳などを経て'17年夏に39歳で再びプロ入りを志し、'18年3月にJ2水戸ホーリーホックと40歳でプロ契約。'19年にはJ3のY.S.C.C.横浜に移籍し、同年開幕戦の鳥取戦に41歳1ヵ月で途中出場し、ジーコの持つJリーグ最年長初出場記録を更新した。'20年限りで現役を引退し、格闘家に転身。ここまで3戦3勝。