苦楽をともにした仲間、憧れのアートピース。椅子とは座るための単なる道具ではなく、その存在を紐解けば、人生の相棒とも呼べる存在であることがわかる。純烈が愛でる椅子と、そのストーリーとは? 「最高の仕事を生む椅子」特集はこちら!
初めてのライヴは観客が3人だけだった
酒井一圭さんをリーダーに、小田井涼平さん、白川裕二郎さん、後上翔太さんの4人から成る純烈。スーパー銭湯などのステージを主戦場にしてきた純烈が選んだのは、〝聖地〞のひとつであり、今年9月に閉館する「東京お台場 大江戸温泉物語」の大広間に並ぶ座椅子だ。
白川さんが「コロナ禍前は後方に立ち見エリアがあって、座椅子と座椅子の間隔も詰まっていたんですよ。感染予防対策でレイアウトは変わりましたが、またこの会場に戻ってこられて嬉しいですね」と言うと、小田井さんが「初めてここでやらせてもらった時は、もっと数が少なくて。この椅子がだんだん増えていき、紅白につながったんだなと思います」と、感慨深げに呟く。
その横で、「お客さんがあんまり楽しそうな顔をするから、一度ここに座ってステージを眺めてみたかったんですよ。『何がそんなに面白いの?』って。今日、その夢がかなったな〜」と酒井さんがおどけ、後上さんが「リーダーはライヴ中に『疲れた!』と言って、時々こっち側に座っているじゃないですか」と突っこむ。
こんな和気あいあいとしたトークあり、歌あり、ダンスありのステージで、女性たちの心を鷲摑みに。それがマスコミに取り上げられて人気が爆発。2018年から3年連続で紅白歌合戦に出場するなど、今や全国区の人気者となった純烈だが、’07年のグループ結成から数年は、苦境が続いたという。
「初めてのライヴは観客が3人だけ。当時メンバーが6人いたのに(笑)」(白川)
「身内導入作戦で、親戚に声をかけたけれど、それでも席が埋まらなかったですね」(後上)
「でも、面白かったよ、あの頃。テレビに出たい、食えるようになりたい、親孝行したいって、毎日汗かきながら一生懸命やって。『売れへんな〜』って、暗い顔で嘆いてもしょうがない。終わったらすべて過去、笑って次に進むしかない」(酒井)
「おっしゃるとおり!」(小田井)
下積み時代を明るく笑い飛ばす前向きさも、ファンに愛される理由のひとつなのだろう。
「お客さんもいろんなことを抱えて、日々大変だと思うんですよ。せめて僕らのステージで、思い切り笑って、楽しんで、元気になって帰ってほしい。それが、僕ら大衆演芸の役割ですから。そんな皆さんの後押しで、紅白出場の夢がかないました。スーパー銭湯から紅白へって、僕らくらいでしょ」と、酒井さん。
昨年はライヴがほぼできなかったが、今年は、形態を変えながら少しずつ再開。全国のスーパー銭湯などを巡る日々が戻りつつある純烈にとって、家は寛ぐと同時に、仕事の英気を養う場だ。そこで、自宅で愛用している椅子についてたずねたところ、「待っていました!」と、小田井さん。
妻・LiLiCoさんの出身地、北欧家具の魅力を熱く語り、白川さんは長年愛用するバリのチェアを、後上さんは話題の機能性ソファを紹介。
けれど酒井さんは「椅子とは子供の頃から疎遠なんですよ。企画や演出を考えるのは、立ったまま。だから椅子といえば、僕らの成長を見守ってくれた、この座椅子かな(笑)。でも、まだ当分は座椅子に座る側じゃなく、ステージに立って楽しませる側として頑張ります」。
RYOHEI ODAI
1971年兵庫県生まれ。純烈ではコーラスを担当。大学を卒業後、メーカー勤務を経てモデルとして芸能界入り。2002年『仮面ライダー龍騎』で俳優デビュー、舞台にも多数出演。
YUJIRO SHIRAKAWA
1976年神奈川県生まれ。リードボーカル。2002年『忍風戦隊ハリケンジャー』のカブトライジャー役で俳優デビュー。元大相撲力士という異色の経歴を持ち、スポーツ万能。
SHOTA GOGAMI
1986年東京都生まれ。コーラス担当で、最年少メンバーでもある。芸能界とは無縁の生活を送っていたが、就職活動中に酒井と出会い、純烈に誘われ、東京理科大学を中退して参加。
KAZUYOSHI SAKAI
1975年大阪府生まれ。’85年子役でデビュー。純烈ではプロデューサー、リーダーを務める。近著に『純烈 人生相談室 僕のお腹で、泣けばいい』(中央公論新社)。
スーパー戦闘 純烈ジャー
監督:佛田 洋
出演:酒井一圭、後上翔太、白川裕二郎、小田井涼平ほか
配給:東映ビデオ
酒井、小田井、白川の3名が戦隊ヒーロー出身ということから、温めてきた企画がついに完成。純烈は世を忍ぶ仮の姿、実は温泉施設を守るヒーローという設定で前川清と小林幸子というビッグネームも参戦。かつて純烈がお世話になった特撮ヒーロードラマのスタッフや俳優陣が集結し、ひと味違う戦隊ヒーロー映画が楽しめる。9月10日全国公開予定。