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2021.03.27

平均年齢31歳! 和歌山の平和酒造がヒットを出せる理由

斜陽産業といわれる日本酒業界で高成長を続ける小さな酒蔵が和歌山にある。しきたりや常識を打ち破り、実家の老舗酒蔵を改革。“アイデア”と“人間力”で挑戦し続け、日本酒『紀土-KID-』で世界にその名を轟かせた平和酒造4代目ーー山本典正。ヒットの裏に見え隠れする経営者像を追った。

山本典正氏

異端的ポジションを取って闘わないと、業界にとって面白くない!

朝8時。瓦屋根から突きだした蔵の煙突から真っ白な蒸気が立ち昇っている。それは毎年、秋から春にかけて行われる酒づくりの狼煙(のろし)だ。蔵の中では、銀色の大きな桶の中に高野山系から貴志川へとつたう清らかな水が張られ、水面がキラキラと輝いている。精米した酒造好適米を洗米機にかけ、小袋にわけて桶の中へと浸していく。蔵人から得も言われぬ緊張感が伝わってくる。

秒単位の洗米時間、徹底管理された水温度、すべてが計算尽く。浸漬は数分。秒単位で時間調整をし、0.1%単位で水分量をコントロールする。翌朝、甑(こしき)で蒸しをおえると杜氏(とうじ)が手をそえ、時に蒸米を口へと運び米の状態を確認。粗熱をとった米を白い布へ小分けにすると、蔵人たちは仕込みタンクを目指し駆ける。そして口々に数字を叫ぶ。それはもろみの温度を表しているという。ある若い蔵人が温度計を手に「杜氏は経験と勘で温度がわかる。僕はまだこれがないと…」と笑顔で教えてくれた。

平均年齢31歳! 若手社員が活躍

【平均年齢31歳! 若手社員が活躍】酒づくりに適した風光明媚な土地柄にある平和酒造。全国約1400ある酒蔵のなかで珍しく大学新卒を採用。17名いる社員の平均年齢は31歳。自社の敷地と休耕田をかりて酒造好適米の山田錦を自社で生産、『紀土(きっど) あがら』シリーズに使用する。また、リキュール用のゆずや南高梅など醸造家自ら生産を手がける。

酒づくりは通常、杜氏が率いる技能集団によって行われる。蔵元と杜氏は都度契約で、プロ野球に例えれば、球団と監督+選手といった関係に似ている。製造工程のノウハウは秘密主義が一般的で、有名な杜氏ともなればいくつもの蔵を渡り歩くことも珍しくない。

創業1928年、和歌山県海南市にある平和酒造もそういった酒蔵のひとつだった。4代目社長の山本典正さんは、’04年に実家の酒蔵へと戻るといくつもの改革を断行してきた。

“見える化”で全社員に情報共有

【“見える化”で全社員に情報共有】発酵期間中の温度などのデータを一元管理。見える化&共有化で担当者は遠方にいても醸造しているすべてのタンクの状態を確認できる。

季節労働者だった蔵人を、大学新卒にターゲットをしぼりこみ社員として採用。杜氏には酒づくりのノウハウを開示してもらいマニュアル化。それをもとに若手社員にも1年目から酒づくりの醍醐味を味わせるため“責任仕込み”と称し、ひとりが数本の2tタンクを担当する仕組みをとる。タンク1本でおよそ300万円の商品になるからミスは許されない。蔵人は酒づくりの一から十までを手がけることで技術の向上とともに、責任感、やりがいを感じられるのだ。

’05年、和歌山産の果実を使ったリキュール『鶴梅(つるうめ)』を皮切りに、’08年には日本酒の『紀土(きっど)』をリリース、いずれも大ヒット作となった。’20年には念願かない、世界最大級のワイン品評会「IWC(インターナショナル・ワイン・チャレンジ)2020」のSAKE部門で『紀土 無量山 純米吟醸』が1401銘柄のなかから最優秀賞“チャンピオン・サケ”に選出。この年の“サケ・ブリュワリー・オブ・ザ・イヤー”の栄光とともに、史上初の2冠を達成。グローバル展開も果たし、欧州を中心に世界30ヵ国で愛飲されている。こう書けば、すべてが順風満帆の成功ストーリーに見えるが、ことはそう単純ではない。

感性を磨くため毎日“利き酒”

【感性を磨くため毎日“利き酒”】“旨い酒”とは何か? 各々の感性を磨き共有するため、社員全員で毎日利き酒を行う。20万円の高級ワインからウイスキーなどその数約50種類。

7日間、4人が去る蔵で味わう挫折

「関西には江戸時代から続く神戸の灘と京都の伏見、日本酒の名産地がふたつあります。うちは代々、伏見の下請けとして細々とやってきた。父の代で下請けからの脱却を模索して、パックの日本酒と梅酒の大量生産をやり始めた。僕が実家に戻ってきた17年前には生産量の99.9%がパック酒でした」

ビジネスの転換のために必要なものは、いわずもがな旨い酒だ。4つ年上の若い柴田杜氏(蔵で酒造りの責任者をつとめるリーダー)と二人三脚で自分たちの酒を探し始めた。その一方でこんこんと説得し、杜氏にはブラックボックスともいえる酒づくりのプロセスを開示してもらった。さらに若手が育つ、人づくりのための協力体制を敷いてもらう賛同を得た。

クラフトビールへの挑戦

【クラフトビールへの挑戦】杜氏資格保有者でもある女性醸造家、高木加奈子さんの知識と経験を頼りに自社ブランドのビールに挑戦。着手から4年の’16年、『平和クラフト』を発売。

流通形態としては、これまで付き合いのあった卸問屋を通さず、信頼のおける小売店のみでの販売を開始する。安売りやブランド毀損を避けるためだ。先代やベテラン杜氏からの猛反発、従来の慣習などいくつもの壁を、時間をかけて乗り越えてきた。当初はやりがいを感じられない先輩社員たちのネガティブな感情が蔵の中に蔓延していて、若い社員が1週間で立て続けに4人辞めたこともあった。誰も助けてはくれない。

自分で自分を鼓舞するしかなかった。それが今では毎年1、2名の新卒採用枠に2000人もの応募が集まる。全国でおよそ1400ある酒蔵のなかで珍しく、大学の新卒だけを採用する、平均年齢31歳の若い酒蔵になった。一方で現状の日本酒業界へ警鐘を鳴らす。

山本さんと杜氏の柴田英道さん

山本さんと杜氏の柴田英道さん(左)が約4年の歳月をかけて生みだした『紀土』だったが、’08年当時はまだ未完成。ある催事に参加したところ、30社あるなかで平和酒造の日本酒は明らかにレベルが低いことに気づき、絶望感を味わったこともあるという。そこから杜氏との二人三脚で改良と研鑽をし続けた。「山本はオフェンシブで行動力と発信力がある。酒だけでなく組織としてもいいかたちができました(柴田さん)」

「この業界は1973年をピークに4分の1の規模に衰退し、50年間で75%が消滅。酒蔵の数も、売上金額も当然縮小している。コア競争かコスト競争の二極化。僕から見れば酒蔵って近代化が遅れているんです。日本酒はプロダクトも関わっている人たちも魅力的で、伝統産業という切り口でも面白い。なのにいいかたちでモノづくりできる環境を整えて、マネジメントする。そんな経営者として当たり前のことをやれている酒造会社が少ないのではないかと。それで新しい蔵元像を表現したいなと思ったんです」

実は小学校5年生から日経新聞を読み続け、いつかは経営者になるのだと思い描いていた。大学卒業後、ベンチャー企業に入社したのも起業家精神を触発されてのものだったと話す。

仕込みの朝

仕込みの朝、煙突から蒸気が立ちのぼる。蒸しが始まった合図。

「今思えばブラック企業そのもので滅茶苦茶な働き方でした。でも、楽しかったし、周りもやる気に溢れていた。いつかは起業したいという思いも強かったのですが、人脈もないし、お金もアイデアもない。0を1にすることは難しいけれど、実家の蔵を1から10にすることはできるんじゃないかと思い戻ってきたんです。酒蔵ってIT企業みたいに急成長できるモデルでもないし、伝統産業という側面があるので変わらないでほしいっていう周囲の思いもある。でも、もっと自由でいいし、ベンチャー精神を持ったような取り組みだってできる。何より優秀な働き手が集まってくれて、実現したい夢をかなえる場をつくりたい」

この言葉にあるとおり、女性醸造家の高木加奈子さんは、この酒蔵でビール醸造責任者として’16年に『平和クラフト』を生みだした。入社後わずか4年でのことだったという。

「浸漬がもっとも緊張する瞬間」と柴田さん。

「浸漬(しんせき)がもっとも緊張する瞬間」と柴田さん。貴志川のやわらかくて優しい水をいかに活かすか、日本酒が苦手な人でもおいしく飲んでいただける、ホッとする味わいをコンセプトに『紀土』は生まれたという。精密に温度や時間を管理し、0.1%の単位で米の水分量を調整。これが酒の旨さを決める鍵。

「高木さんは東京農工大を卒業して就職活動中に、クラフトビアブリュワリーへ行くか悩んだうえで、うちにきてくれた。でも実は私、当時は大のビール嫌い(笑)。彼女が何度も何度もおいしいビールを利き酒の場に持ってくるんですよ。それでクラフトビール事業を立ち上げた。そもそも個人の個性を活かしながら可能性、発展性を探っていく。そういった挑戦ができることが嬉しい」

’20年6月には、女性醸造家の柿澤夏紀さん主導のもと、平和酒造初のアンテナショップ『平和酒店』を和歌山市内にオープン。店内にはバースペースが設けられ、毎日交代で醸造家が店に立ちお客様との会話をまじえつつ、『紀土』や『鶴梅』、そして生の『平和クラフト』が味わえる。「誰よりもこの空間を喜んでいるのは、私自身ですね」と山本さんは破顔する。

仕込みのタンクへと蔵人が一目散に駆ける

蒸しを終えた2トンもの米の粗熱をとり、小分けにすると仕込みのタンクへと蔵人が一目散に駆ける。

自身、体系立てて経営を勉強したいと、社長業の傍ら’19年に京都大学大学院でMBAを取得。

「とても大変でしたがその期間で僕と平和酒造とのかかわり方も変わったなと。時間をかけられなくなった分、いい意味で社員に任せる範囲が増えました」

ここも秒単位を争う緊張感漂う現場

ここも秒単位を争う緊張感漂う現場。

目指すのはあくまで人中心の酒づくり

ノウハウの伝承には積極的に最新のツールを使う。

「ただ誤解しないでほしいのは、うちは酒づくりにおいて自動化やIT化をするつもりはないんです。あくまで人間中心でありたい。人間の力を増幅するためのツールとして効果的に使っているだけで。むしろ人の感性のこもったモノづくりをしたい」

最後に山本さんに、おいしい酒とは、と問うてみた。

「いい音楽やいい絵が人によって違うように、おいしい日本酒っていろいろだと思うんです。しかし僕は“おいしい”といえるものは絶対的にあると信じている。それは人間が持っている感性、感情が表れつつもミスのない完璧なものじゃないかなと。つまり、洗練されていながらも、感情を揺さぶられるもの。それを具現化したいんです。決して天才が酒づくりをしているわけではなくて、お客さんと変わらない普通の人たちがうちでは懸命につくっている。要は酒づくりにどれだけ真剣になれるか。IWCでの“チャンピオン・サケ”受賞は、ここにいる社員全員で摑みとったもの。17年間続けてきたことが正しかったと証明されたんだと思います。そしてもっともっと世界で勝負したい」

平和酒造の看板商品

【IWC2020にて最優秀賞受賞! 『紀土(きっど) 無量山 純米吟醸』】平和酒造のフラッグシップ日本酒である無量山シリーズ。米はすべて特A地区の最高峰の山田錦を使用。代々仏寺であった山本家の無量山超願寺に由来。今や『紀土』は年間約20万本を出荷するロングセラーとなった。

蔵人たちから伝わる躍動感、そしてモノづくりを楽しむ熱量は、どうやらこの人を酒母として醸成されているようだ。

挑戦するためのマイルーティン

【挑戦するためのマイルーティン

「経営・経済学が好きで、経営者の人生を読むのがライフワーク。酒蔵を体系立てて説明するには、経営の勉強ができてないと説得力がないので。四六時中お酒のこと、面白いことはないか? を思考しています。とことんやらなきゃ気が済まない性格。趣味で始めた麻雀、マラソンやトライアスロンもつい本気に…。酒づくりはフルマラソンを走り終えた時の達成感に似ているんですよね」

同郷出身の予約困難店、すし職人が語る山本典正

同郷出身の予約困難店、すし職人が語る山本典正

「蔵元の方は、不思議とつくるお酒と同じ性格の人が多いんです。『紀土 無量山』は、香りは強くなくキレすぎない。食事に寄り添うようなお酒。地元の先輩である山本さんには多くのお客様をご招待いただいてますが、そのお連れの方の魅力を引きだし、寄り添う方です」とは今や予約困難店の、地元和歌山の魚や酢にこだわる「すし良月」若大将 前岩和則さん。

すし良月
住所:東京都渋谷区恵比寿2-37-8 グランデュオ広尾1F
営業時間:18:00~(日・祝17:00~)
休業日:不定休
詳細はこちら (予約受付)

山本典正の3つの信条

1. メーカーである以上「モノ」にこだわる

製造物をいかによくするかというのが、一番の柱だと思っています。それがあってこそお客様からの支持が得られる。酒蔵である以上はお酒の味には徹底的にこだわる。

2. モノづくりを支える「人」を活かす

優秀な人たちにきていただいて、その人たちの「個」を活かす組織づくりをする。面接の際に重要視しているのは日本酒業界をよくしたいというビジョンを共有できるか否か。

3. 業界に新風を吹きこむ存在でありたい

斜陽産業である日本酒業界に新機軸を打ちだしたい。成長曲線を描くためにも常に新しいチャレンジを続けること、また業界内のファーストペンギンであり続けること。

蔵元で3冊本を出しているのは僕だけ

「蔵元で3冊本を出しているのは僕だけ。社会に対する酒蔵経営論って面白いですよ」とは山本さん。近著に『個が立つ組織(日経BP)』。

History of HEIWA SHUZOU

1928年 室町時代から続く、無量山超願寺という寺を営んでいた山本家。その当時の鐘が残る。酒づくりを始めたのは曽祖父の酒好きによるもの。いい米いい水、適温と好条件な環境が揃っていた。

無量山超願寺

1952年 祖父が名づけた“平和な時代に酒づくりができる喜び”に由来する屋号。’60年代当時は大手メーカーの下請けとしてパック酒の大量生産が主だった。

“平和な時代に酒づくりができる喜び”

1978年 和歌山県海南市で山本典正が出生。小学生の時の夏祭りではカブトムシを捕まえて、会場で売りさばくなど商いに魅力を感じていた。日経新聞『私の履歴書』欄を愛読、経営者に強く憧れていた。

2004年 京都大学卒業後、人材系ベンチャー企業を経て26歳の時に実家の酒蔵に入社。’05年には自身初のヒット作となった『鶴梅』シリーズを販売開始。

2007年 若い蔵元を集めた日本酒試飲イベント「若手の夜明け」に第2回から参加。’11年〜’17年には実行委員会会長を務め、最盛期は3000人の来場者を集めるまでに成長させた。

日本酒試飲イベント「若手の夜明け」

2008年 高品質日本酒づくりを決意した第1弾は鳴かず飛ばず。背水の陣で挑んだのが『紀土-KID-』。今やヒット作だが、発売までに3年を費やし、売上げが1億円を超えるまで6年を擁した。

2012年 権威ある天満天神梅酒大会のリキュール部門で優勝。その後、「インターナショナル・ワイン・チャレンジ(IWC)」で『紀土 大吟醸』が’14年、’15年に連続リージョナルトロフィーに輝く。’16年にはテクノ界のトップスター、リッチー・ホゥティン氏と酒のコラボイベントに挑戦。

インターナショナル・ワイン・チャレンジ(IWC)

2018年 日本の伝統産業を世界に広める、中田英寿氏とのコラボ企画が実現。平和酒造の梅酒を用いた、お土産にも大人気の『キットカット 梅酒 鶴梅』をリリース

キットカット 梅酒 鶴梅

2019年 宇宙への民間ロケット打ち上げに成功したインターステラテクノロジズ社やそれをサポートする堀江貴文氏の情熱に共感し、応援酒『紀土-KID-純米大吟醸 宙へ!!』を発売。同年、通っていた京都大学経営管理大学院を修了し、平和酒造の代表取締役社長に就任する。

紀土-KID-純米大吟醸 宙へ!!

2020年 IWC2020「SAKE部門」の最高賞チャンピオン・サケを『紀土 無量山 純米吟醸』が受賞。1401銘柄のトップとなる。また、世界№1の日本酒酒蔵の称号を’19年の受賞に続いて2年連続受賞する快挙を遂げた。

IWC2020「SAKE部門」

 

Norimasa Yamamoto

Norimasa Yamamoto
1978年和歌山県生まれ。平和酒造代表取締役社長。京都大学経済学部卒業後、人材系ベンチャー企業を経て2004年、実家の酒蔵に入社。4代目として革新的な組織づくりとともに自社ブランド酒の開発・販売を手がける。’19年、京都大学経営管理大学院修了(MBA)。自他ともに認める食通で日本酒を愛でる。
2019年度の日本酒海外輸出額は約234億円。国内市場は約4000億。その一方でフランス1国だけでワインの輸出金額は約1兆2000億もある。「海外だけでなく、日本の方にも日本酒を知られてないこの現状を打破したい! 」と語る山本さん。海外展開を広げる一方で、今年は東京で新しいチャレンジ計画が進行中とのこと。

 

平和酒造

海南市に本拠を置く、創業94年目を迎える酒造会社。京都の大手メーカーの桶売り蔵として酒づくりを行っていたが、4代目の典正さんが17年前に事業改革を断行。高品質な自社ブランドの開発で、日本酒、梅酒、クラフトビールの蔵元として国際的な評価を得て、海外進出も果たす。

平和酒造
住所:和歌山県海南市溝ノ口119
詳細はこちら

 

平和酒店

南海電鉄・和歌山市駅に直結した初のアンテナショップ。平和酒造製品の販売はもとより、醸造家がバーテンダーを務める(交代制)バースペースを併設しており、蔵人との交流も楽しめる。

平和酒店
住所:和歌山県和歌山市東蔵前丁39 「キーノ和歌山」2F
TEL:073-431・-178
営業時間:11:00~20:00(飲食12:00~20:00)

TEXT=藤野太一

PHOTOGRAPH=岡村昌宏(CROSSOVER)

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