いま、日本のスイーツ業界で鎌倉を拠点とするチョコレートブランド『MAISON CACAO(メゾン カカオ)』が抜きんでた存在になりつつある。販売するのはチョコレートでありながら、その姿勢はライフスタイルブランドに近い。世界ブランドを目指す代表・石原紳伍さんに、ユニークな経歴と仕事論を聞いた。後編はチョコレート作りの秘密について。前編はこちらから。
世界一鳥の品種が多い国のカカオにこだわる
6年前、石原紳伍さんはコロンビアで目にした"チョコレートのある日常"に衝撃を受け、企業のビジョンを固めた。また、その時のカカオを巡る旅は、チョコレートが嫌いだった昔の自分を忘れさせる時間ともなった。そもそも、なぜチョコレートが苦手だったのだろう?
「偏頭痛もちで、それがチョコレートを食べた時によく起こっていたんです。だから苦手になってしまって、特に油脂と砂糖の塊みたいなチョコレートはほとんど食べられなかった。あ、でも唯一アポロンは好きでした(笑)」
そのような人がコロンビアに行った時は、すんなりチョコレートを食べることができて、心から“美味しい”と思えた。甘さよりも先に感じるのは、豊かな土壌を伝えるカカオのフレーバー。砂糖の強さではなく、むしろ新鮮な野菜を口にした時に似た滋味深さを感じられる。それは、コロンビアの特異な環境が育んだカカオの実こその味だった。
「コロンビアは鳥の種類が世界で一番多い国なんですよ。なぜかといえばシンプルな話で、生態系が豊かだからです。カカオはそういう亜熱帯の生物多様性エリアで作られるのが理想。ひとつのカカオの実を作るのに水を100ℓも使うので、水質も大事になってきます。それを考えると僕は高低差が鍵だと思っていて、トップが高いと山のミネラルをゆっくりと吸ったものが下に降りてきて、麓にあるカカオの木は養分の多い水を吸収し、実をつける。コロンビアがいいのはその高低差がすごくあるからです。養分が多いので虫もたくさんいて、だから鳥が多い。すべて循環しているんです」
川からでも雨でもなく、栄養豊富な山水で作られたカカオは香りが違う。
また、チョコレートの原料となるカカオは大きく分けて3品種あり、そのなかでコロンビアは市場占有率が低い2種をメインに栽培(残り1種が市場占有率80%以上)。その2種は国際機関が定めた基準を満たす“フレーバービーンズ”に分類され、風味が秀でている。
とはいえ、ペルーにもベネズエラにも素晴らしいカカオは存在して、世界最高峰のカカオをウリにする会社が他に存在するのも事実。市場でいいものを競り落とせば、品質にこだわることはできる。それより肝要なのは、石原さんがコロンビアに根付くチョコレート文化に惚れ込んだこと。机上のテイスティングではなく、体験を重視し、使うべき素材に行き着いた。
いいワイナリーのあり方にも似たチョコレートづくり
コロンビアと同じ体験を日本で提供するためには何が必要か。自ずと契約農家と現地パートナーを探し、畑を持つことに専念した。
「最初は小さい畑をレンタルしていました。当時、現地の人のなかには“どうせバレンタインの時だけ買って、その期間だけ農園ここにあるよと看板立ててブランディングに使うんだろ?”と言う人もいたりしました。でも、我々は年中通して売るチョコレートを目指していることや、夏でも使用量が落ちないことを話して、現地メンバーの信用を得ていきました。
通常、日本でチョコレート製品を作るには仕上がったチョコレートを溶かすことから始めますが、現地に畑があれば、商品ごとにカカオの品種や配合を調整できて、発酵やローストの仕方も合わせられる。栽培方法まで変えることもあります。例えばガトーショコラにはそれ用にビターチョコレートを作っていて、カカオに混ぜるのはコロンビア産のブラウンシュガー。焼くことでブラウンシュガーの香ばしさがカカオの華やかなフレーバーと重なって、めちゃくちゃいい香りが出てくるんです」
その小麦粉をいっさし使わない濃厚なガトーショコラは、人気商品のひとつ。ほか、「アロマ生チョコレート」も同じく看板商品であるが、ヒットの裏には口どけのよさが関係している。
「日本人は水分量が高いものが好き。だからコンビニの1段目のお菓子はみんな水分量が高いシュークリームやヨーグルトなど。パンにおいても水分量が高い食パンが人気。その理由をある生物学の教授に聞いたら、“他国と比べ日本人は唾液量が少ない”と。だから日本では唾液を出す酢をよく使う。実はチョコレートも唾液とすごく関係があって、脂を混ぜるので唾液と乳化させないと落ちていかない。なら、日本人の唾液量に合わせるために水分量を限界値まで上げようと思いました。
洋菓子で学ぶルセットだと生チョコレートを作る際に、この脂量に対してこの水分じゃないと乳化しないといった手順になるけど、僕はそれを習っていない。でも、そのおかげで他の方法で水分量を上げる方法を知るようになりました。カカオが発酵する温度帯と酵母菌の温度帯を合わせたら水分量が倍になるとか、カカオに含まれる酢酸菌は発酵が多くて水分量に関係するとか、化学的な反応を調べて製品に繋げていったんです」
レシピ以前に菌に着目。それは、現地で農園をもつ人だからこそのカカオへの好奇心だろう。そして、契約農家が作るカカオを現地で触っているから、決して酸化させたくないとも思う。だから船で3〜4ヵ月もかけてカカオを運び別の国で加工するのではなく、パートナーと連携しコロンビアでチョコレートを作るか、真空で空輸し日本で加工する。
プロセスを聞くと、チョコレート会社というより、ぶどうにこだわるワイナリーのワイン造りのようだ。いいワインのためにぶどうの個性を見極めるがごとく、畑ごとのカカオを知り、チョコレートを生み出している。
100年続く文化を作りたい
さらに商品開発と同時に進めたのが、コロンビアで学校を作るプロジェクトだ。ボランティアとしての意義も大きいが、実はチョコレートとも深く関係していた。
「コロンビアの治安の悪さは麻薬が原因。その麻薬の原料は、カカオが育つところで一番よく繁殖するんです。そういうエリアなので虐待を受けていたり言語障害をもっている子供も多い。でも、カカオの生産が増えれば雇用が生まれて子供たちの環境もよくなる。それに、この地を基盤に長く仕事をさせてもらううえで、地域の未来である子供たちがチャレンジできる土俵(学校)を作ることは必要不可欠でした。首都に出ないとチャンスがないのでは地域の産業は守れないので、そこを豊かにしないといけない」
そんな想いから作った学校は、最初は生徒30人の小さな規模だったが、今は500人まで増えた。学校の広がりとともに契約農家も2000軒に拡大し、農家の子供たちが『MAISON CACAO』が作った学校に通う。
前編、ラグビー部の話で「8軍が強くならないと1軍が強くならない」という言葉があったが、それに通ずるものがある。子供と親それぞれをサポートすることで、モチベーションが上がり相乗効果が生まれる。そして、彼らのおかげで私たちは日本で美味しいチョコレートを食べることができる。
「生産者たちは最高ですよ。みんな勤勉な人柄で、目がいいんですよ。手も握手するとそれだけで伝わってくるものがある。僕なんか薄っぺらい手だけど、みんな分厚くて格好いい」
相思相愛は形となり、2018年に『MAISON CACAO』は海外企業で初めてコロンビア政府公認の認定マーク(コロンビアの貿易や投資促進を担う企業としての認定)を得た。コロナ禍でもカカオをたくさん買い、チョコレートを生産し続け、現地の産業と日本人の在宅時間を潤す。距離ある2国を繋ぐ使命も感じながら、その目は遠い未来を向いている。
「僕らは100年続く文化を作ることがひとつの目標。コロンビアのみんなはおじいちゃんの時代から続く畑を守っている。それなら、こちらも100年続くものを作って、世代を超えて付き合っていきたい。美味しいチョコレートのある日常という文化を作りたい。そして、日本のウイスキーが日本人の舌を唸らせて海外でも認められたように、日本のクオリティを世界に発信していくブランドとなる。それが夢です」
すでにパリでも評価を得て、現地出店も計画中。何よりの手応えは、「パリの人たちが食べたあとにすごくいい顔をしてくれた」という消費者の表情だ。手土産、誕生日、何気ないおやつの時に喜びの表情が生まれることが、目指している文化作りに繋がる。
「チョコレートに関わる人たちが幸せになる。そんな魔法を秘めた食べ物だと思います」
起業の意思をもち始めた時、漠然と「世のため人のためになることをしたい」と思っていた石原さん。今その気持ちは、チョコレートという媒介を通し、コロンビアと日本で少しずつ具現化している。
Shingo Ishihara
1984年大阪府生まれ。帝京大学のラグビー部で活躍し、大学4時に初代学生コーチに就任。卒業後は日本通運に勤め、その後リクルートホールディングスへ転職。企画営業、ブランドクリエイティブ、社長秘書を経験。2015年に独立し、コロンビア産カカオによるチョコレートブランド『ca ca o』(現MAISON CACAO)を創設。カカオディレクターを務める。旅と飛行機好き。3児の父。
『MAISON CACAO』ニュウマン横浜店
住所:横浜市西区南幸1-1-1 ニュウマン横浜1階
TEL:045-548-6212
営業時間:11:00~20:00(平日)、11:00~19:00(土日祝)
maisoncacao.com