2009年から’15年の約6年半、のべ500日以上をかけて、47都道府県、2000近くの場所を訪れた中田英寿。世界に誇る日本の伝統・文化・農業・ものづくりに触れ、さまざまなものを学んだ中田が、再び旅に出た。今回の旅は2019年12月に訪れた東京。
日本刀の鑑定、研磨を行う人間国宝
東京都大田区の閑静な住宅街の一角に佇む和風の一軒家。特に看板が出ているわけでもないこの家のなかでは、室町時代から続く日本刀の鑑定、研磨が行われている。主の名は、本阿弥光洲(ほんあみ こうしゅう)。足利家に使えた本阿弥家の流れをつぐ人間国宝(重要無形文化財保持者)だ。
「鎌倉時代は馬の上で戦うために長い太刀が主流でしたが室町時代、地上戦で短い刀が使われるようになりました。当時は新しい刀を作るのではなく、長い刀の刀匠が入った部分を切って短くしていたので、誰が作ったものか分からなくなったことから、鑑定という仕事が必要になったようです。当時、刀は武士の位を示すものでしたから、どんな刀を持っているかということがとても重要だったんです」(本阿弥光洲さん)
本阿弥家は鑑定士であり、日本刀のプロデューサー役。日本刀は多くの職人の分業で作られるが、その手配をするのが本阿弥家だという。本阿弥といえば、江戸時代に書家、陶芸家などとして活躍した本阿弥光悦を思い浮かべる人も多いだろう。その光悦の本職もこの刀剣の鑑定や研磨だったのだ。
「明治時代の廃刀令によって本家は途絶えました。私は分家(光意系本阿弥)の十八代目になります」(本阿弥光洲さん)
板張りで北窓になった研磨作業のための部屋は、静謐で神聖な空気に包まれている。2人の息子とともに作業をすすめるが、響くのはシュッシュッという音のみ。中田英寿もじっとその様子を眺めている。全国の美術館や収集家が持つ名刀が集まり、ここで研磨されている。
「本阿弥家ならではの研ぎ方があるんですか?」(中田)
「代々伝えられているのは、『地鉄は秋の澄んだ空のように青黒くしなさい。刃文は松に積もった雪のようにふんわりと研ぎなさい』ということ。技術自体はずっと変わっていません。いわゆる秘伝の技のようなことはいくつかありますが、大切なのはもともとその刀が持っているいいところをいかに引き出すかだと思っています」(本阿弥光洲さん)
自然の光で刃文を確認し、天然の砥石だけを使って刃を研ぐ。彼らがいるからこそ、私たちは数百年前の日本刀づくりの技術を知り、そこに宿る武士の魂を感じることができるのだ。
「に・ほ・ん・も・の」とは
中田英寿が全国を旅して出会った、日本の本物とその作り手を紹介し、多くの人に知ってもらうきっかけをつくるメディア。食・宿・伝統など日本の誇れる文化を、日本語と英語で世界中に発信している。2018年には書籍化され、この本も英語・繁体語に翻訳。さらに簡体語・タイ語版も出版される予定だ。
https://nihonmono.jp/
中田英寿
1977年生まれ。日本、ヨーロッパでサッカー選手として活躍。W杯は3大会続出場。2006年に現役引退後は、国内外の旅を続ける。2016年、日本文化のPRを手がける「JAPAN CRAFT SAKE COMPANY」を設立。