2009年から’15年の約6年半、のべ500日以上をかけて、47都道府県、2000近くの場所を訪れた中田英寿。世界に誇る日本の伝統・文化・農業・ものづくりに触れ、さまざまなものを学んだ中田が、再び旅に出た。
中田英寿、竹工芸に挑戦
格子戸を抜けると小さな中庭がある。敷石が並ぶ通路の左にあるガラス張りの部屋が工房だ。作務衣を着た四代目田辺竹雲斎さんと3人の若者が黙々と作業をしている。BGMはなく、竹を削るシュッシュッという音だけがリズムよく響いている。
竹工芸作家・四代目田辺竹雲斎さんの作品は、大阪府堺市にあるこの小さな工房で生まれ、世界に旅立っていく。彼の作品は、大英博物館やボストン美術館、フィラデルフィア美術館に収蔵されている。玄関やリビングには、そんな彼や歴代竹雲斎の作品が飾られていた。細く削られた無数の竹を編んでつくられた花器やオブジェ。竹ならではの曲面には、繊細でありながら独特の緊張感がある。竹工芸を愛し、かつて竹をテーマにしたガラを開催したこともある中田英寿もそういった作品を興味深げに眺める。
「子どものころから竹工芸とともに生きてきました。家の中で祖父と父が作業をしていて、僕も見様見真似でやっていました。茶道とか華道、書道も教わっていましたが、それらがいまになって役立っています。東京で過ごした美大生時代は他の道に進みたいと思ったこともありましたが、結局DNAに埋め込まれていたのか、実家に帰り竹雲斎を継ぐことになりました」
彼の作品は、もはや竹工芸の枠を超えている。世界各地で行われる展示会やインスタレーションでは、広い空間を竹細工で埋め尽くすような作品を発表する。写真でしか見ることができなかったが、高さ5メートル以上、1万本以上の竹ひごをつかった巨大なオブジェはぜひ一度実物を見たいと思わせる迫力に満ちていた。
「竹ひごとともに移動して、その空間を見て感覚的に組んでいきます。展示期間が終わったら解体してまた移動。そうやって何度でも再生可能なのも竹ならではといえるのかもしれません」
海外ではアートとして注目を集めている日本の竹工芸。彼の作品もほとんどが海外のコレクターが購入しているのだという。
「ビジネスだけを考えたら全部海外に売ったほうがいい。でもそれでは日本に竹工芸の作品が残らないことになってしまいます。だから2割程度は、国内で買ってもらって、少しでも竹工芸の魅力を伝えていきたいと思っています」
竹を編むだけでなく、伝統を受け継ぐ人材を育てるのも「アートの一部」だと竹雲斎さんは語る。10年間で8人の弟子を受け入れ、次世代の育成に力を入れる。
「僕が父のもとで修行したときは、休みなしで24時間竹と向き合うような感じでした。でもいまの時代にそんなことをやっていたら誰もついてこない。作品も修行の方法も時代とともに変えなければならない。竹工芸の本質さえ伝えられれば、システムはどんどん変わっていいと思っています」
工房に用意されていたのは、竹ひごと花器の見本。中田もさっそくチャレンジしてみる。
「この見本は小学生が作ったものです。中田さんも自由にやってみてください」
小学生の作品とはいえ、傍目にもなかなか立派。中田にさりげなくプレッシャーを与える。
「僕は人にディレクションするのは得意なんですが、自分でやるのはちょっと……」
竹雲斎さんに言われたままに竹を編むことはできるが、自由創作となったとたん悩みはじめる。それでも竹ひごを曲げ、その先を隙間に差し込むだけでどんどん形が変わるのは、竹工芸の面白さ。中田も集中して作業を続ける。なんとか出来上がった作品に竹雲斎さんが花をいけると、"それなり"に見える。
「僕は最高の仕事をしていると思っています。自分の作品をつくりながら弟子を育て、海外にいけばいろいろな人と出あうこともでき、そこからまた新しい可能性が広がる。竹工芸は夢のある仕事です。だからなるべくたくさんの人にその魅力を伝えていきたいと思っています。竹工芸の作家が、みんなが憧れるような仕事になることがいまの目標です」
大きくまっすぐに育った竹が細い竹ひごになり、それが作家の手で美しい曲面に変わり、世界の人に驚きや感動を与える。自然と人が一体となった竹工芸には、確かに大きな可能性がある。まずは竹雲斎さんの巨大なオブジェをこの目で見てみたいと強く思った。実物を見れば、きっと竹工芸のイメージが根本から変わるだろう。
「に・ほ・ん・も・の」とは
2009年に沖縄をスタートし、2016年に北海道でゴールするまで6年半、延べ500日以上、走行距離は20万km近くに及んだ日本文化再発見プロジェクト。"にほん"の"ほんもの"を多くの人に知ってもらうきっかけをつくり、新たな価値を見出すことにより、文化の継承・発展を促すことを目的とする。中田英寿が出会った日本の文化・伝統・農業・ものづくりはウェブサイトに記録。現在は英語化され、世界にも発信されている。2018年には書籍化。この本も英語、中国語、タイ語などに翻訳される予定だ。
https://nihonmono.jp/
中田英寿
1977年生まれ。日本、ヨーロッパでサッカー選手として活躍。W杯は3大会続出場。2006年に現役引退後は、国内外の旅を続ける。2016年、日本文化のPRを手がける「JAPAN CRAFT SAKE COMPANY」を設立。