今、チェックしておきたい音楽をゲーテ編集部が紹介。今回は、坂本龍一の『12』。
鍵盤の1音1音ににじむ、ひとりの音楽家の命の滴
ある時は風の囁(ささや)きのように、ある時は雲間からさす光のように。別の日には、感情の揺らぎにも聴こえる作品集。聴き手のマインドやフィジカルのコンディションによって、異なる音楽に感じられる。
坂本龍一の約6年ぶりのオリジナルアルバム『12』は、ピアノやシンセサイザーだけで録音されている。坂本の10本の指で奏でられる澄み切ったサウンド。あらゆる装飾を排し、作者の心に描かれたシンプルなスケッチが音になっていく。
そして、鍵盤の1音1音に音楽家の命の滴(しずく)がにじんでいる。
2020年初夏、坂本はがんを再発した。2021年以降は入退院をくり返している。病院から住まいに戻り、体力が回復すると鍵盤に向かい日記を綴(つづ)るように音を紡いできたそうだ。
「20210310」「20211130」など、タイトルは各曲が生まれた日付になっている。ラストテイクは「20220304」。割れた陶器のかけらが、ぶつかり合うサウンドが美しい。
ピアノが特に切なく儚(はかな)く響くのは「20220302-sarabande」。タッチに哀愁を感じる。坂本はどんな思いで弾いたのか――。この日の東京は晴れのち曇り。瞳を閉じ、曇天のもとピアノに向かう坂本の姿を思い浮べた。
Kazunori Kodate
音楽ライター。『新書で入門 ジャズの鉄板50枚+α』『音楽ライターが、書けなかった話』(ともに新潮新書)、『25人の偉大なジャズメンが語る名言・名盤・名演奏』(幻冬舎新書)など著書多数。