幼少期に兄から「ジブリを見るな」といわれた漫画家・宮川サトシは、40歳にしてなお、頑なにジブリ童貞を貫き通してきた。ジブリを見ていないというだけで会話についていくことができず、飲み会の席で笑い者にされることもしばしば。そんな漫画家にも娘が生まれ、「自分のような苦労をさせたくない」と心境の変化が……。ついにジブリ童貞を卒業することを決意した漫画家が、数々のジブリ作品を鑑賞後、その感想を漫画とエッセイで綴る。 今回は特別編
「高畑勲展〜日本のアニメーションに遺したもの〜」レビュー
先日、竹橋にある東京国立近代美術館まで高畑監督の展示にお邪魔してしてきました。
「お邪魔してきました」って書くと関係者みたいな感じがしますが、普通にローソンチケットで買ったピンク色のチケット片手に一人で勝手に行ってきただけの話です。編集部から「ここ行ってレポート書いてきて」みたいなことを言われたわけでもなんでもないです、完全なるただの趣味。お婆ちゃんが五円玉を紐でくくって亀とか作って玄関に飾ったりするじゃないですか、あれと全く同じ行為です。
…ただ、ですよ。確かに趣味ではあるんですが、会場に向かう電車の中で「これ以上のジブり行為ってある?」とも思ったわけです。高畑監督の作品を観ているうち、その創作の根っこの部分に触れたくなり、今私は自分の意志でジブりに向かっている。40年間ジブリ作品を観ることなく生きてきたこのジブリ童貞包茎男が、です。(誰が包茎じゃ!…包茎だけど)
なので今月はジブリ童貞のジブリレビュー初の特別編、「高畑勲展〜日本のアニメーションに遺したもの〜」についてのレビューを書いてみようと思います。館内は(一部を除いて)全面撮影禁止だったので、私のつたない思い出ジブリスケッチとともにどうぞ。
注)高畑勲展自体は10月6日まで開催されているので、これから勲る(いさおる)って人のために一応ネタバレ注意としておきますね、でもたぶん読んでもそんな問題ないとは思います。読んでから行ってよかった! と言ってもらえるようなレビューを書きたいと思っております。
あんまり展示とか行かない田舎者だから正直緊張した
実際、私のような皮っかむりのジブリ童貞がジブリの巨大砦とも言える「高畑勲展」に行くなんてのは、言ってみれば、割り箸で作ったゴム鉄砲持ってヤクザの事務所にカチコミに行くようなもの。かなり勇気のいる行為でした。
それに東京国立近代美術館って初めて行ったんですが、なんていうかセレブしか吸っちゃいけないお洒落な空気が建物全体からドクドクドクドク流れて出てるというか…正直に私には敷居が高かったです。ジブリとお洒落の二重苦。
ヤダなヤダな〜場違いなところに来ちゃったな〜…とウロウロしていると、こんな人たちがいました。
ジブリ映えする写真を撮りたくなる気持ち。…なんだ、ジブリセレブもジブリ童貞も想いは同じなんだな…。ちょっとだけ安心できた私は、ローソンチケットを取り出して美術館の中に入ることにしました。
会場にはジブリ私服警官が潜伏している可能性も
言い訳みたいなことを書きますが、そもそもこの展示自体、開催されていることは知っていました。ですが、少なくとも高畑監督のジブリ作品だけは全て観て(「火垂るの墓」は小学生の頃に学校で観賞済み)、朝ドラの「なつぞら」もある程度鑑賞して、どうやってアニメが作られているか外枠だけでも把握してからと決めていましたので、こんな開催期間ギリギリになってしまったというわけです。
荷物を預けようとロッカーを探していたら、ロッカー前で二人のおばさんによるこんなやりとりを見かけました。
…あっぶな! ジブリレビューしてて本当に良かったと思いました。この会場にいるお客さん、全員がジブリ私服警官だと思った方が良さそうです。
気を引き締めていよいよ展示会場へ。
音声ガイドはマスト
入り口のところに音声ガイダンスが聞けるヘッドフォンを勧めてくるお姉さんがいました。
ヘッドフォンをするとすぐ耳が痛くなる私は一瞬考えましたが、お姉さんが配っていたチラシによると、音声ガイドの声の主が「なつぞら」で高畑監督をモデルにした人物・坂場一久(いっきゅうさん)を演じている中川大志さんだというではありませんか。
これは聞かないわけにはいかないなと、550円支払いました。この時「550個のどんぐりで支払う」という渾身のジブリジョークを思いつきましたが、550個もどんぐりの持ち合わせがなかったのでやめときました。
…で、この音声ガイドが本当に良かった! 中川大志さんの優しく落ち着いた語りが近代美術館の中にキーンと張り詰めていた空気をマイルドにしてくれますし、後半に詳しく書きますが、20箇所ある音声再生ポイントのラスト、20箇所目の音声ガイドを聞いてジブリ泣きしてしまいました。もちろんヘッドフォンで耳が痛かったからではありません。
各作品に携わったスタッフさんたちによる当時の裏話、各作品の主題歌も流れたりしてかなりの深度で没入できるので、音声ガイドはマスト中のマストです。女房を質に入れてでも550円は払うべき。(女房やすっ)
高畑監督の背広姿はやっぱりカッコいい
入場してすぐ、二面の壁に渡ってジブリ以前からの高畑監督が関わった作品を記した巨大な略年表が張り出されているのが見えました。平日なのにすごいお客さんの数で、年表のある空間は常に人の匂いがしていました。
細かいところまで年表を見ようと人の肩と肩の間から覗き込もうとした時に、後ろの柱の高いところから視線を感じました。…高畑監督の等身大の全身写真でした。優しい表情だけど圧力を感じる写真。
改めて高畑監督って全然アニメに関わってきた感じがしない風貌だなと思いました。ちょっと俳優の渥美清さんにも似てて、「男はつらいよ」の監督って言われた方がしっくりくるというか。
他の写真も、ジャケットとか背広姿のものが多かったのですが、そのアニメ関係者らしからぬ風貌と作品のギャップがカッコ良いんですよね…。前にも書いたかもですが、ラグビーとかサッカーの監督が選手たちと同じユニフォームは着ずに、スーツ姿で腕組みしてるときの格好良さ。
私が高畑監督だったらもう一段階ギャップを狙って、腕にタトゥーを入れてシャツの袖からチラッと見せたりしてしまいそうです。そんなタトゥーを安易に入れないところも、高畑監督の魅力の一つなのかもしれません。(最後のタトゥーのくだり、中川大志さんの声で脳内再生すると不思議と良いこと言ってる感じがするのでやってみてください)
高畑監督の手書きの文字は正直ちっちゃくて読みづらいが可愛くもある
展示の仕方について説明すると、まず超巨大な、ウルトラマンぐらいの高畑監督を想像してみてください。その超巨大監督に飲み込まれて食道から胃を通り、腸へと進んでいくその途中途中の内壁に、時系列に沿って高畑監督が関わった作品に関する棒大な資料が並べられている…といった感じの展示でした。超巨大な高畑監督に飲み込まれるイメージ、そんな必要なかったですね…。
各作品のブースには、高畑監督の手描きの企画書や絵コンテ、メモ書きがガラスケースに入って展示してありました。このガラスケースの高さが絶妙に中腰姿勢を必要とする高さでして、なかなか腰にクるものがありました。
あと監督の手書きの文字が小さくチョモチョモしてて(可愛いんだけど)正直読みづらく、そのせいなのか他のお客さんの回転も悪く、場所取りもなかなか大変。途中グイグイ割り込んでくるグイグイおじさんがいたので、腕組みして読んでるフリをしながらただ踏ん張ってただけってことも何度かありました。何やってんでしょうね…。
強く印象に残っている資料で、わりと最初の方にあったのですが、「ドラえもん」のアニメ化に関する企画書。高畑監督関わってたんかい! と驚いたのもあるんですが、ドラえもんという作品、原作漫画の魅力の本質を一発で射抜くような無駄のない文章で、グイグイおじさんの圧迫にも負けず、つい読み込んでしまいました。
あと、高畑監督の書き損じた部分の修正の仕方が、ずっとクルクル塗りつぶして消すスタイルを通してたのもなんか頑固な感じがして良かったです。
「子供の心の解放」をテーマにした「アルプスの少女ハイジ」のジオラマ(ここだけ撮影可)。
これを一生懸命40過ぎのおっさんが一人で撮影している姿を想像してみてください。
このジオラマの後「火垂るの墓」に続いていくのですが、ハイジや節子を見ていると無性に自分の娘に会いたくなってきて、一瞬だけ家に帰りたくなったりしました…。
終盤に感じたちょっとした恐怖
「ハイジ」や「赤毛のアン」で海外の風景に向いていた監督の興味が、次第に「じゃりんこチエ」や「平成たぬき合戦ぽんぽこ」のような、国内の日常の生活様式に焦点がシフトしていく。それがさらには古い絵巻物へと向かい、余計な物を省いたシンプルな線を動かすことに集結して最終的に「かぐや姫の物語」に辿り着きます。
その変遷の様子がとてもわかりやすい展示で、まさに超巨大高畑監督の体内にある記憶の中を旅してるような感覚が味わえて「来てよかった〜!」なんて思ってたんですが、ふとこれまで歩き見てきた作品展示の数を見て、それが多いのか少ないのか、アニメ1作品にかかる時間は相当なものだとは思うのですが(特に高畑監督は時間をかける監督の印象)、それが具体的に数字となって見えてくると、なんともセンチメンタルな気持ちにもなりました。
めちゃめちゃ当たり前の話なんですが、人が作れる物の数というのは限られていて、改めて人生の短さみたいなものも感じてしまって少しだけ怖くなりました。
高畑監督のやってきた仕事と並べることではないのだけど、自分はあといくつマンガの企画や単行本を残せるだろう…とか、3時間近く中腰で牛みたいな速度で歩いてたからそういう思考になったのかもしれません、忘れてください…。
結論:あの凄さは一緒に働かないと伝わらないかもしれない…でも泣いてしまう展示だった
クリエイターの凄さを伝えるにはやっぱり「絵」なんでしょうね…。高畑監督は絵を描かない監督なので、その演出技法みたいなものが詰まったイメージチャートや手描きの演出メモ、凄まじいその量を見てもあの凄さってなかなか伝わらないような気もしました。
実際大きくスペースが割かれていた(またそれが圧巻でもあった)のは、たぬき合戦や火垂るの墓のために描かれた棒大な作画背景だったりするんですよね。自分みたいな素人からしたら「わ〜っ!(絵だ〜!)」ってなもんですよ。やっぱり一緒に働かないと伝わらない凄みみたいなものも当然あるだろうなと。
ちなみに余談ですが、私が原作を担当している「宇宙戦艦ティラミス」という漫画が今年ありがたいことに文化庁から漫画部門優秀賞をいただきまして、その時にお台場で作品資料や原画を展示していただいたことがあったのですが、その時に提出した私がちゃんとイラストも描いた原作ネーム(マンガの設計図)は、なぜか1枚も飾られていませんでした…チックショー!!(小梅太夫)
遺作となった「かぐや姫の物語」のブースで聴くことができる音声ガイドの中で、こんな感じの語りが入ります。
「この作品は見るに値するものだと断言できる、これはスタッフたち全員の技術の到達点である」
「かぐや姫」を作った後に言い残して高畑監督はこの世を去るんですよね。生きてれば次もまた表現を突き詰めたのでしょうけど、こんなやりきった感のあるコメントを残せる人生って…なんなんでしょうね、実際にあるんですね。
音声ガイドの後ろでは二階堂和美さんの「いのちの記憶」が流れていて、思わず泣いてしまいました。
…と、いろいろありましたが、「高畑勲展」は自分の人生観に影響を与えてくれるほどの素晴らしい展示でした。行ってよかった〜!!