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ART

2022.12.27

杉本博司の名作がコレクティブルなポスターになっている。見つけたら買うべき――アートというお買い物

ざっくり言ってしまえば、写真の歴史というのは200年ほどだ。その歴史の中でも傑出した仕事をした一人。それが杉本博司である。写真を収集する美術館ならば、杉本の作品は必ず持っていなければならないとされるくらい重要な作家だ。彼の本作、銀塩写真はA3判ほどの大きさで数万ドルするのだが、高精細度印刷のポスターなら1万円以下で買える。ただし運が良ければ。連載「アートというお買い物」とは……

Cinerama Dome, Hollywood, 1993

Cinerama Dome, Hollywood, 1993

本人お墨付きの印刷クオリティ。プレミア価格になるものも

運が良ければ、というのは杉本博司のポスターは基本的に展覧会のショップなどで販売される。毎回、数に限りがあり、売り切れたらそれで終了。増刷されることはない。つまり、ポスターが欲しければ、展覧会に早めに行って、ショップで買うしかない。それ以外ではこれまで、高級セレクトショップの催事や美術書を扱う書店のフェアなどで展示販売することがあったが、その場合は数量がごく少なく、また価格もプレミアがついていた。

さて、これまでに販売されたポスターの中からいくつかを見ていこう。どれも杉本の御眼鏡にかなった印刷のクオリティである。

U.A. Playhouse, New York, 1978

U.A. Playhouse, New York, 1978

杉本の「劇場」シリーズだ。スクリーンに正体して大判カメラを向け、映画を上映している間にシャッターを開放しておく。上映中はスクリーンだけが明るく、さまざまな画面が現れ消えていく。映画が仮に1秒間24コマで作られるとすると、1時間半の映画なら、24(コマ)×60(秒)×60(分)×1.5(時間)=129,600(コマ)。12万9,600コマの絵が光になって、フィルムを感光させたことになる。

写真には真っ白なスクリーンが残り、その照り返しが映画館のインテリアを浮かび上がらせる。1970年代、杉本は歴史的な映画館を調査し、交渉し、撮影していった。このシリーズは近年では、廃墟となった映画館にスクリーンを張って撮影したり、イタリアのオペラハウスに映画を上映して縦位置で撮影したものなども発表されている。

映画1本分の光、そこに現れる場面を写真に収める。もともと写真が発展して誕生したのが映画だが、先祖返りするかのように映画を写真が取り込む。言い換えれば、時間モデルの芸術である映画を非時間モデルの写真が引き受けるということ。時間の観念を大きなテーマとする杉本らしい作品である。

このU.A. Playhouseは美しいアールデコの映画館だ。杉本の展覧会で美しいプリントを見たことがある。「劇場」シリーズの中でもしばしば展覧会や作品集、雑誌などに取り上げられる作品。このページのトップに掲げた額装ずみのポスター、Cinerama Dome, Hollywoodはハリウッドのシネラマドームで撮影されたもの。このときの上映映画は『これがシネラマだ』(原題“This is Cinerama” 1952年製作/116分/アメリカ)と杉本の記録にある。特殊な上映のできる映画館で146度の弧状のスクリーンを35mm、のちに70mmの映写機3台で投影し、観客を包み込もうという考え方。

このポスターは20年近く前にアートブックストアで売られたものだった。それを額装している。筆者私物。

さて次は杉本の代表作の一つ、「海景」シリーズである。画面の上半分は空、下半分は海。他には何も写っていない。これは杉本の脳裏をよぎった一つの疑問が元になっている。「古代の人々と現代に生きる我々に共通して同じものを見ることができるだろうか。それは何か」ということである。そして杉本が出した答えがこれである。空と海だけの風景。船も飛行機も見えない。イルカやクジラもいない。杉本は当初このシリーズを仮に「空海」と名づけていたこともある。

その古代人と現代人の共通というテーマともう一つ、杉本には「水を撮りたい」という思いがあったという。華厳の滝を撮影した作品があるがそれも、水を撮るというテーマからのものと思われる。

このシリーズの第1号がカリブ海のジャマイカで撮影されたこれである。

Caribbean Sea, Jamaica, 1980

Caribbean Sea, Jamaica, 1980

その後、世界各地の海を同じ構図で撮影する杉本だが、この雲一つないジャマイカの海(この地域では晴れれば積乱雲が出るのが普通だ)が撮れたとき、これは自分の代表作シリーズになるという予感があったことだろう。水平線が切り立ったようなコントラストを作る。日本の海も何カ所かで撮影するが、日本の湿潤な気候から水平線は少し煙っている。

「海景」は海ばかりではなく、大きな湖でも撮影されてきた。たとえばドイツ、オーストリア、スイスの国境に位置するボーデン湖も。杉本はこの湖畔の街、Bregenz(ブレゲンツ)で展覧会を開催したことがある。さらに言うなら、このUttwil(ウットヴィル)の隣町、Konstanz(コンスタンツ)はドイツの哲学者マルティン・ハイデッガーが高校時代を過ごした街である。「時間」を大きなテーマとして作品を制作する杉本のことだから、これを撮影したときハイデッガーの『存在と時間』のことを考えただろう。

Boden Sea, Uttwil, 1993

Boden Sea, Uttwil, 1993

薄く霞がかかった空に日の出前の光が満ちつつあり、その反射が湖面に美しい円を描いている。後年、この写真はアイルランドのロックバンド・U2のアルバム『No Line on the Horizon』のジャケットに使われた。

杉本のポスターは正方形の紙に余白を作ってデザインされているが、この白い部分にはエンボス加工で杉本の名前などが記されている。それを大胆にカットして、額装する方法もある。

Boden Sea, Uttwil, 1993(額装例)

Boden Sea, Uttwil, 1993(額装例)

杉本博司初期三部作というと、制作順からいうと、「ジオラマ」「劇場」「海景」である。「ジオラマ」は博物館のジオラマ(再現模型)をあたかもホンモノの風景のような写真に仕立てたシリーズである。あるとき、杉本はニューヨークのアメリカ自然史博物館のジオラマを見ていた。それは小さな部屋のようなケースの中に、剥製や植物で自然を再現し、背景は絵で描かれていた。それを眺めていたが、次に片目で見てみた。すると、遠近感は消えるものの、逆にリアリティが立ち上がってきた。

モノクロームの写真にすることで、リアリティは一層増した。さまざまなジオラマ、たとえば、アフリカのサバンナから北極まで現実があるかのようだった。

Gemsbok, 1980

Gemsbok, 1980

これはレイヨウとかカモシカの種類と思われる。何の予備知識もなく、この写真を見たら、どう思うだろう。こんな至近距離で野生動物を撮影している…きっとクルマの中から望遠レンズで狙っている…と。動物全員の視線がこちらに注がれているのが怖い。

現代美術作家であり、建築家でもある杉本だが、歴史上の名建築を独自の手法で撮影した「建築」シリーズもある。たとえば、ル・コルビュジエ作の住宅「サヴォワ邸」を写したものがこれだ。

Villa Savoye, 1998

Villa Savoye, 1998

なぜかボケボケの写真である。もちろんあえて焦点を外してあるのだが。建築全体を撮影するときは大抵、レンズの距離計は無限遠に設定するが、そこで杉本は、大判カメラが無限遠で焦点を結んだところから、さらにレンズボードを移動し、レンズとフィルムの距離を無限遠よりもさらに先に(無限遠の先ということは理論上ありえないのだが、大判カメラのレンズボードは動かせる)設定した。

当然、ピントは合わず、このようなピンボケ写真が出来上がる。シャープさを捨てたことで得られることがあると杉本は言う。まず、無駄なものが消え失せる。たとえば無粋な電柱や電線が背景に溶けてしまう。貼り紙の類も見えなくなるだろう。しかもモノクロームである。それでも存在感のある建築物はますます画面の中で見栄えがしてくる。

また、杉本によれば、この朧げになった建築物は、設計した建築家が当初、頭の中に浮かんだ建築物の姿に重なり合うというのだ。ぼんやりとこんな建物をと建築家が思ったときの脳内映像を写すことができるなら、それはこうだったのではないかというのである。面白い。

「建築」シリーズをもう1点。安藤忠雄の設計による「光の教会」だ。室内から十字架の壁を撮影している。十字架のスリットの下方、中心から少し右側で光っているのは聖書だ。

Church of the Light, 1997

Church of the Light, 1997

杉本作品はほとんどがモノクロームなのだが、カラー作品もある。太陽光を大きなプリズムで分光し、生じる色彩をとらえたシリーズだ。

Polarized Colours 037, 2010

Polarized Color 037, 2010

Polarized Color=偏光色というタイトルもあるが、この方式で制作され、大判プリントに仕上げられたシリーズはOpticks=光学と名づけられている。このPolarized Color 037はこのシリーズ初期の1点だと思われるが、「海景」それも夜の海を連想させる。

さて、ここまで読んでくれて感謝する。
現在、販売されているポスター情報を書いておく。
以下の2点はベネッセアートサイト直島で販売中である。

2022年、ベネッセハウス パークの中に「杉本博司ギャラリー 時の回廊」がオープンし、いくつかのシリーズの杉本の写真作品、立体作品が展示され、ラウンジの横にはヴェネツィアやヴェルサイユで展示された《硝子の茶室「聞鳥庵(もんどりあん)」》が設置された。また、ラウンジのテーブルや椅子は杉本が建築家の榊田倫之と共同で主催する新素材研究所の手によるものだ。

そのベネッセハウスのショップでは2種類のポスターが販売されている(2022年12月現在)。一つは杉本の初期の作品、ジオラマシリーズからの1点《Hyena-Jackal-Vulture》(ハイエナ、ジャッカル、ハゲワシ)である。

ニューヨークのアメリカ自然史博物館のジオラマの一つを撮影したもので、ある動物がライオンに襲われ犠牲になり、ライオンのカップルはすでに食べ終え、遠くに去っていて(画面の左端にいて、オスはこちらを振り返っている)、今まさにハゲワシの群れが犠牲者をつついている。傍らには自分の順番を待つようにハイエナが行儀良くその光景を見つめている。

このジオラマ自体、ライオン=過去、ハゲワシ=現在、ハイエナ=未来と、一つのシーンで食べる順番と時間の流れを収めていて、杉本作品としての親和性が高いと言える。

Hyena - Jackal - Vulture, 1976

Hyena-Jackal-Vulture, 1976

もう一つのポスターはこちら、「Past Presence」シリーズからアルベルト・ジャコメッティの作品の大きな女性を建築と同じ手法、いわゆる“無限遠の2倍”の焦点で撮影したもの。

杉本は、ニューヨーク近代美術館やスイスのバーゼル近郊のバイエラー財団で展示されている20世紀美術のマスターピースをこの手法で撮影した。ジャコメッティはじめ、コンスタンティン・ブランクーシ、パブロ・ピカソ、ルネ・マグリット、アンディ・ウォーホルらの立体作品や絵画をである。焦点をボカされ、モノクロームで撮影された名作たちは、ピントの合ったあたりまえの画像以上に真に迫ってくるのだという逆説的な提案を杉本はしたかったようである。

Past Presence 070, 2016 [Grande Femme III, Alberto Giacometti, 1960

Past Presence 070, 2016 [Grande Femme III, Alberto Giacometti, 1960]

これらのポスターは1枚あたり、8,800円。生産数非公開の数量限定商品で、無くなり次第、販売終了となる。直島のショップでのみ販売されていて、ひとりにつき各1枚、購入可能だ。ショップから配送してくれるし、持ち帰ることも可能だが、ポスターのサイズが70cm角もあり、梱包用段ボールがそれより大きくなることを考えると、送ってもらうのが現実的と思われる。実際、持ち帰った客は今までに2〜3人のみとのこと。

重ねて書いておくが、あくまでも直島でだけの販売なので、通販の問い合わせなどしないように。むしろ、「杉本のポスターを買いに直島に行ってきます」という理由であの島に出かけることをお薦めしておきたい。

Yoshio Suzuki
編集者/美術ジャーナリスト。雑誌、書籍、ウェブへの美術関連記事の執筆や編集、展覧会の企画や広報を手がける。また、美術を軸にした企業戦略のコンサルティングなども。前職はマガジンハウスにて、ポパイ、アンアン、リラックス編集部勤務ののち、ブルータス副編集長を10年間務めた。国内外、多くの美術館を取材。アーティストインタビュー多数。明治学院大学、愛知県立芸術大学非常勤講師。東京都庭園美術館外部評価委員。

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TEXT=鈴木芳雄

PHOTOGRAPH=古谷利幸

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