アスリート、文化人、経営者ら各界のトップランナーによる新感覚オンラインライブイベント「Climbers(クライマーズ)」。その第5弾が、11月14日から6日間にわたって開催され、ビジネスパーソンを大いに熱狂させた。今回、国民民主党代表 衆議院議員の玉木雄一郎さんによる特別講義を一部抜粋して掲載。すべての講義を聴くことができるアーカイブ配信はこちら。※'22年11月20日〜11月30日18時までの無料限定公開。申し込みは画面内右上もしくは下の「視聴登録はこちら」より
継続は力なり
2005年、36歳の時に衆議院選挙に香川2区から立候補し落選。次の選挙を目指し、4年間の“浪人生活”が始まりました。私の地元は香川県の寒川町。現在は市町村合併によりさぬき市になりましたが、小さな町ですから街頭演説を行ってもほとんど人が集まりません。1回目の選挙に落選した後、選挙区内の駅前や道路脇で演説を続けましたが、「そんなことをやって意味があるの?」と言われることもありました。
それでも街頭演説はやめませんでした。ある日、地元の高校生が20人くらい来て、私の話に耳を傾けてくれました。選挙権のない高校生。でも、私はひとりでも聞いてくれたらテンションが上がるタイプなので、いつもと同じく「魂をちぎって渡そう」という熱い気持ちで語り続けました。
時は流れ、その時の高校生の一人が社会人になり、私を訪ねに来てくれました。「玉木さんの所で働きたい」と。彼は今、私の公設第一秘書になりました。真心こめて向き合っていたら、無駄なものは何もない。改めて、そう実感しました。
4年前に、YouTubeで「たまきチャンネル」を始めました。当初は“クソリプ”だらけ。「政治家がYouTubeをやるなんて何事か」といった声も聞かれました。でも、私の言葉に耳を傾けてくれる人が少しでもいるなら、コツコツ続けていこうと。現在、「たまきチャンネル」のチャンネル登録者数は約14万人になりました。
人の話を聞く大切さ
若い頃の私は“上から目線”の人間でした。東京大学卒業後、大蔵省に入省。エリート官僚の道を進んでいたこともあって、常に自分の意見が正しく、「他者の言うことを論破しよう」と考えているところがあったんです。
そんな私に「聞く力」の大切さを教えてくれたのは、大蔵省時代に経験したハーバード大学ケネディ・スクールへの留学。ハーバード大学には世界中から留学生が訪れますが、なかでも途上国から勉強に来ている学生の熱量がすごかった。国を背負っているという意識が高く、気合いと目の輝きが全然違う。彼らは何でも吸収しようと、熱心に人の話に耳を傾けます。正直、このままでは彼らに負けると思いましたね。
今、私が実践しているのは、「6秒黙って人の話を聞く」こと。相手に反論したくなっても、発言を遮ることなく6秒間だけは聞き続けます。それから自分の意見を述べるようにしています。時間をおくことで、相手の発言への理解度が深まるし、自分の感情を整理することもできると感じています。
加えて、自分が間違っていたと感じたら、すぐに謝ること。言い訳は絶対しない。嘘も絶対につかない。特にインターネット上では、どんなに小さな嘘も通用しません。過去のコメントはすべて残されていますから。
私は政治家で、今は国民民主党の党首という立場ですから、毎日のように難しい決断に迫られます。賛成50%、反対50%の状況だが、どちらかを選択しなければいけないというような。結果として、いい方向に進むこともあれば、間違っていたと感じることもあります。でも、自分が決断したわけですから、そこから生じる責任を負わなければならない。誤った判断を認め、言い逃れだけは絶対にしない。そう決めています。
誠心誠意を尽くし、コツコツと真面目にやる。これさえ守り続ければ、必ず成果は出ると信じています。
玉木雄一郎さんの講義全文を動画でチェック。※2022年11月20日〜11月30日18時までの無料限定公開。申し込みは画面内右上もしくは下の「視聴登録はこちら」より
Yuichiro Tamaki
1969年5月1日香川県大川郡寒川町(現さぬき市)生まれ。県立高松高校、東京大学法学部卒。大学では陸上部で十種競技に打ち込んだ。
’93年 大蔵省入省。'97年 米国ハーバード大学大学院(ケネディースクール)修了。外務省出向時代は中近東を担当、内閣府で規制改革担当大臣のスタッフを務めたことも。2005年衆議院解散の日に財務省を退職、第44回衆院選に立候補。70,177票を得るも自民党現職に敗れる。その後、4年間の浪人生活を経て、'09年の第45回衆院選で109,863票を得て初当選。以来、昨年の第49回衆院選まで小選挙区で連続5期当選。'18年希望の党を経て旧国民民主党を大塚耕平議員とともに結党、代表に就任。'20年立憲民主党に合流しなかった15人で新国民民主党を設立。’21年の衆院選、’22年の参院選で何とか党として生き残り、現在に至る。