今、岩手県の安比高原が話題を呼んでいる。ホテルやインターナショナルスクールなどが次々とオープン。さらに夏場は閑散とするスキー場にも観光客が集まるなど、新たなスキーリゾートへと生まれ変わろうとしている。そのなかで、アルペンスキー日本代表として4大会連続冬季五輪に出場した皆川賢太郎が安比高原のリブランディングに挑んでいた――。
「安比は海外のスキーリゾートに負けないポテンシャルを持っている」
岩手北東部に広がる安比高原。アイヌ語の「安住の地」を意味するというこの場所は、人気の高いスキー場として知られていた。しかし日本のスキー人口は、1990年代前半を最盛期としてその後激減。かつて約900あったというスキー場は、現在約370まで減少。しかもそのほとんどが苦しい経営状況にあるという。かつては年間150万人のスキー客でにぎわった安比もまた、そんな大きな波にのみ込まれつつあるスキー場のひとつだった。
だが、最近になってそんな安比高原から興味深いニュースが届くようになった。「スキー場のゴンドラが蜷川実花の写真でラッピングされている」「イギリスの名門、ハロウスクールが安比にインターナショナルスクールを作った」。そんな安比から発信されているニュースのキーマンが1998年の長野から2010年のバンクーバーまで4大会連続でオリンピック出場を果たした元アルペンスキー選手の皆川賢太郎さんだ。彼は2021年11月から、安比高原スキー場のスキー事業統括本部統括として、このスキー場のリブランディングに取り組んでいる。
「残念ながらどんなスキー場でも再建できるわけではありません。かつてスキーブームとバブル景気が重なったことで、日本中にスキー場が作られました。でもスキー人口に対してスキー場の数が多すぎたんです。そういう意味では、現在の状況は必然といえるのかもしれません。ただ、私は世界中1800以上のスキー場、スキーリゾートを見てきましたが、日本のスキー場のなかには、ヨーロッパのスキーリゾートに負けないポテンシャルを持っているところもあると感じていました」
2014年、37歳で選手生活を終えた皆川さんは、各地のスキー場のリブランディングなどを手がけてきた。その後、全日本スキー連盟の理事などを5年間務め、あらためて手がけることになったのが安比のリブランディングだった。
「安比のリブランディングを手がけるにあたって2年以上前から何度も足を運んで、安比の可能性を探っていました。スキー場のリブランディングは、土地の権利やファイナンシャルの問題、開発における規制、ルールの問題、グローバルな資本への理解度など、複雑な要素がたくさんあります。でも安比ならそういう問題をクリアできそうだった。そしてなによりスキー場としての本質、雪質が抜群によかった。これなら世界中のスキーヤーが喜んでやってくるだろうと思えました」
雪質のよさを求めて世界からスキーヤーが集まる――それを機に町が再生したといえば、北海道のニセコがよく知られている。実は皆川さんは、ニセコのリゾート開発にもかかわっていたという。とはいえ、安比はひとつ大きな問題を抱えている。それは首都圏からのアクセスの悪さだ。安比を訪れる客の多くは、盛岡駅まで新幹線で来て、そこからレンタカーなどで安比高原を目指す。盛岡駅からは1時間弱。首都圏から移動することを考えると、時間もコストもかかる。
「そこは正直厳しいと思いました。でも自分で何度か通っているうちに、このアプローチも大きな魅力だと気づいたんです。盛岡からクルマで来ると、原生林を抜けるように走るんですが、その林を抜けた時、目の前に突然別世界のような安比高原のリゾートが広がるんです。秘密の入り口じゃないですけど(笑)、この瞬間の興奮、気持ちよさは他のスキーリゾートにはないもの。日常から完全に切り離されたような感覚になります。昭和の時代からここを開発してきた先人たちが、ここに理想のスキーリゾートを作ろうと頑張った思いが伝わってくるんです」
こうして始まった皆川さんの安比再生計画。彼が最初に手がけたのは、「雪のない時期にどうやって人を呼ぶか」というスキーリゾートが抱える根本的な問題だった。
Kentaro Minagawa
1977年新潟県生まれ。アルペンスキー日本代表として4大会連続冬季五輪(長野、ソルトレイク、トリノ、バンクーバーオリンピック)に出場。トリノオリンピックでは4位に入賞し、50年ぶりの日本人入賞という快挙を果たす。現在はプロスキーヤーの活動のほか、スキー文化の活性化と後世の育成に力を注いでいる。