今、チケットが最もとれないピアニストと称される反田恭平。ショパン国際ピアノコンクール2位入賞の世界的ピアニストにして、指揮者、プロデューサー、経営者としての顔も持つ。
圧倒的熱量を持って"クラシック界初"に挑む
2016年の初リサイタル以降、「チケットが最もとれないピアニスト」と称されている反田恭平。’21年開催の「第18回ショパン国際ピアノコンクール」で、51年ぶりに日本人最高位の2位に入賞し、現在は、ワルシャワのF・ショパン国立音楽大学に在籍しながら、ウィーンで指揮を学ぶなど、その活動はワールドワイドだ。
「でも、’14年にチャイコフスキー記念国立モスクワ音楽院に留学する際は、担当教授に大反対されたんですよ。『君みたいな人間を世界に出して、日本人はダメだと思われたくない』って。その頃は、金髪にビーチサンダルで、教授に対しても、『ウィ~ッス』って挨拶していましたからね(笑)。もちろん最後は、快く送りだしてくれましたが」
"異端ぶり"は、活動にも見てとれる。’18年、23歳の時に自身のマネジメント会社を設立し、’19年には、イープラスとの共同事業として、レーベル、「NOVA Record」をスタート。若手音楽家とファンをつなぐオンラインサロン「Solistiade」を主宰し、コロナ禍の’20年4月、いち早くオンラインコンサートを開くなど、「クラシック界初」と称される試みに、次々と挑戦しているのだ。
「こうした活動に否定的な人もいますが、ダメならダメで方向転換すればいいし、そこから学べることが必ずあるはず。
賞を獲ったのに、仕事がこないと嘆く音楽家もいるようですが、それなら、自分で動けばいい。ベートヴェンもモーツァルトも自分で曲をつくり、パトロンを探して、演奏する場を設けて収入を得ていた。今は、SNSなど便利なツールがたくさんあります。音楽家が自ら発信し、収入を得る方法はより身近になっているはず」
ショパンコンクールの参加も、「デビュー後、わずかではあるが、築いてきたものがあるにも関わらず、敢えて音楽に点数をつけるリスクを自ら望まなくても」と、反対の声も多かった。それでも挑戦したのは、「世界を舞台に活躍する」を目的に、自らが立ち上げたジャパン・ナショナル・オーケストラ(JNO)のメンバーの期待に応えたいという気持ちが強かったから。
「JNOは、’21年5月に、株式会社として設立しました。コンサートなどで得た収益を、社員として雇用するメンバーに給与として還元することで、生活の不安なく、音楽に取り組んでほしいと思ったからです」
音楽家の地位や日本のクラシック音楽界の底上げという目標に向かって、緻密に戦略を練り、周囲を上手に巻きこみながら実現する。実業家としても長けているが、武器のひとつになっているのが、俯瞰力だ。
「音楽家にとって、俯瞰は大切な資質。自分の耳をとって、ホールの奥に投げ、その耳で、自分の演奏を聴く。つまり、この打点でこの音を弾くと、会場の奥にいる聴衆にはどう聴こえるかといった想像力、アンテナを張ることが大切なんです」
ショパンコンクールも、また然り。審査員、そしてワルシャワの聴衆を魅了すべく選曲を練り、作品を深く読みこんで臨んだ。理想の音を出すために肉体改造を行うというストイックな面もあれば、ヨーロッパの聴衆に印象づけるべく、髪を後ろでひとつに結んだサムライヘアにするなど、自己プロデュースも徹底している。反田はゴールに最短で到達する術を自ら切り拓く、稀有な音楽家なのだろう。
「JNOは奈良県が拠点ですが、いずれここに、海外から留学生が来るような音楽の専門学校をつくりたいと思っています。突拍子のない夢に聞こえるかもしれませんが、たぶん実現できます。僕は願ったこと、だいたいかなえていますから(笑)」
やりたいことが多すぎて、人生100年で足りるかどうかと、笑う反田。この先も、まだまだ旋風を巻き起こしそうだ。