かつて一大ブームを巻き起こしたものの人気が下火に。そのK-1が見事に復活し、ここ数年注目を集めている。立役者は、2014年にK-1実行委員長に就任した矢吹満。今回、これまでいっさいメディアに登場しなかった男が初めてベールを脱いだ。一緒に語り合うのは、新生K-1をネットテレビABEMAで配信する藤田晋。ふたりが描く未来の格闘技、未来のテレビとは──。前編はこちら
テレビの見方が今、大きく変わろうとしている
矢吹 私のほうの事情をお話しすると、新生K-1を立ち上げた時に、私は地上波では放送しないほうがいいという考え方だったんです。
藤田 なぜですか?
矢吹 やるんだったらインターネット、配信だろうと思ったからです。K-1を引き継いだ8年前は、スタッフもまだみんな地上波だって言っていました。地上波が背骨だと。だけど地上波だと海外に行けない。ネットなら世界中に送れる。将来を考えたら、どこと組むべきなのかは明らかでした。かつてのK-1の人気を測るバロメーターはテレビ視聴率。私はこれを無力化したかったんです。新生K-1をやっていくなかで、過去のK-1の視聴率には100%勝てません。環境が違うから。でも地上波でやっている限り視聴率で比較される。過去のK-1は視聴率40%、今のK-1は8%だなどと必ず言われます。時代がこんなに変化しているのに、過去と比べられる。それは避けなきゃいけないので、過去の指標を無力化するために新しい指標をつくらなきゃいけないと考えていました。ABEMAもネット配信も昔は存在しないから、ペイパービュー(PPV)の課金数とか、そこでつくられる記録が、これからの指標になるわけです。
藤田 かなり戦略的な選択でもあったわけですね。
矢吹 過去のK-1の、例えば2003年大晦日の曙とボブ・サップの試合は視聴率48%を取っているんです。でも、今年の6月の試合は、絶対そういう数字と比べられる。環境がこんなに違っているのに。だけど、PPVの課金数は過去にはない。そこで記録を出したいんですよ。私は過去の記録や数字はもう関係ないと思っています。でも、多くの人は過去の成功体験の連続で考えるでしょう。だから壁にぶつかって、なかなかうまくいかなくなる。
藤田 その基準でいっても、視聴率20%とか40%の会話ができるのって、今やサッカーのワールドカップと格闘技くらいですよ。とにかく熱狂の具合がものすごい。コンテンツとしてのポテンシャルが大きい。これからの時代、その潜在力を発揮させることができるのはネットテレビだと。
矢吹 PPVの時代って桁違いですから。54歳のマイク・タイソンとロイ・ジョーンズ・ジュニアのエキシビションマッチで100億円集まる時代です。メイウェザーとマクレガーがボクシングの試合で600億円稼いだ時代ですよ。PPVのパワーは半端ない。
藤田 世界がマーケットですからね。まあパッキャオとかもそうですよね。日本もきっとそういう時代になるでしょう。これはK-1ではないけど、秋山成勲と青木真也の試合もシンガポールからABEMAでライブ配信して日本でPPVとして売ったんですが、多分世界でも売れる。でも、従来のテレビはそういうところにアジャストするのが難しい。だから、これからの格闘技はネットテレビだという考えはとってもわかるんです。なんか人ごとみたいに話すのはおかしいんですけど(笑)。
矢吹 間違いありませんね。
藤田 ただ、戦っている選手たちが地上波でやりたい気持ちもわかる。彼らは過去の全盛期のK-1などの試合をテレビで見て、格闘技の世界を目指したわけですから。そういう力が今の地上波にあるかどうかは、また別の問題として。
矢吹 要は、私はK-1を100年後の世界まで存続させたいんです。
藤田 100年ですか。
選手にとってはスポーツ。見るほうにとってはエンタメ
矢吹 5年、10年華々しく盛り上がって、桜のように散るみたいにはしたくないんです。格闘技って、命をかけている人がたくさんいる世界なんです、選手もコーチもスタッフも。いつか格闘家になることを夢見て頑張っている少年少女もたくさんいる。5年後にその舞台がなくなったらみんな困る。だけど何も考えずにやっていたら、間違いなくうまくいかなくなる。K-1を引き継いだからには、そうならないように、私がなんとかしないといけない。正直、派手なことをするのは難しくありません。でも、それよりも100年続くK-1にしようと。そのためにはきちんと産業化しなきゃいけない。ただ、これが結構大変で、そのためには、複雑な話を簡単に言うと、嫌われ役がいる。僕が嫌われ役をやろうと思ってやっているんです。
藤田 100年という話は、今日初めて矢吹さんから聞きました。でも長期的にK-1を存続させるためにあらゆる尽力をしているのはわかります。すべての行動が一致しています。K-1はABEMAの格闘技チャンネルのなかでも圧倒的に人気があります。毎日試合しているわけじゃないのに、やる日になると一気に人が集まってくる。毎回ドラマがあって、毎回面白くて、毎回盛り上がる。考え抜かれた競技になっていますよね。
矢吹 選手にとってK-1はスポーツ競技だけど、見る人からすればちゃんとしたエンタテインメントになってなきゃいけない。1回だけすごい試合を組んで、その時だけ盛り上がっても、あとの試合が続かなければ、選手がいくら頑張っても誰も見てくれなくなる。サッカーや野球ならいいんです。1万人の一流選手がその世界にいれば、自然にドラマは生まれる。でもK-1はまだその段階に達してない。今は土台をしっかりつくって地道に育てる時期なんです。
大人の事情はない。ただルールだけがある
藤田 矢吹さんはそのための行動が一貫していますよね。ランキング制を導入しないとか、コミッションをつくらないとか。理由を聞きましたけど、どれも理にかなっている。見る側のためにはエンタテインメントとしての高い質を保ちながら、選手のためにはフェアなスポーツとして戦う場を維持するという、簡単なようで、実はかなり難しいことを緻密にやっていますよね。そのためには嫌われ役も敢えて厭わないという。矢吹さんだからできることです。
矢吹 その話、詳しくされると企業秘密に触れるので(笑)。ランキング制にしてもコミッションにしても、10年後なら導入していいと思うんです。競技人口が増えていればですね。そこまで続くK-1を育てるのが、僕の使命です。
藤田 僕も経営者なんで、長く続けることが最も大切で、それがいかに難しいかは痛感しています。 派手に花火を打ち上げる経営者は多いですけど、必ずといっていいくらい、そのうちいなくなりますから。そういう意味ではK-1を守るために、矢吹さんは今までいろいろと意見されてきたんだなと。6月の武尊選手の試合の話ですけど、我々メディアの側は、積極的にやりましょうって言ってきました。
矢吹 ルールに基づいて戦うべきだっていうのが僕の考え方なんです。大人の事情も子供の事情もない。ただルールだけがある。同じルールで戦うのがスポーツ。その枠を超えちゃうと、競技として成立しない。そして競技として成立しなければ、100年後の未来はない。僕がずっと言い続けているのは花火を打ち上げるのは簡単だけど、そのあとのことを誰かが考えていないといけないということ。だけど、K-1が100年続いていく歴史のなかで、たまにはこういう起爆剤があってもいいだろうと。ここでテレビの新しい見方を普及させる。そういう視点から、今回、K-1サイドとしては武尊選手の試合にGOを出したんです。
藤田 その結果、どっちが勝つかを見たいという世の中の期待が高まりに高まって、すごいカードになりました。今やちょっとした国民的行事にまでなっています。
矢吹 あくまで例外です。
藤田 矢吹さんを見ていて思うのは、私利私欲がないということですね。矢吹さんは選手に食事を奢ったり、言うことを聞かないと試合に出場させないとか(笑)、そういう普通のトップがやりそうなことを絶対にやらないですよね。
矢吹 選手と一対一でご飯を食べたことはないですね。それをやった時点で、マネジメントが崩壊すると思っています。僕は武尊選手の電話番号もLINEも知らない。
藤田 なんなら僕は知っていますけど(笑)。K-1存続のためにひとりで嫌われ役に徹して、名誉欲もない。今日は珍しく出てくれましたけど、基本、表に出ないという。その根底にあるのは、やっぱり格闘技愛なのかなあと。
矢吹 愛ではないと思うんですが。ただ私にしかできないことだから。他の人がやったら、たぶんうまくいかない。自分ができることだからやっているだけなんです。
藤田 人はそれを愛と呼ぶ、みたいですよ(笑)。
前編はこちら
THE MATCH 2022 全試合をABEMA PPV ONLINE LIVEで完全生中継!
ABEMA PPV ONLINE LIVEでは、アーティストのライブ、イベント、スポーツ興行、ファッションショー、舞台などのオンラインライブを1コンテンツごとにABEMAコインで購入し視聴可能。スマートフォンやPC、タブレット、テレビデバイスに対応しており、いつでもどこでもさまざまなシチュエーションで楽しめる。6月19日に東京ドームで開催する「THE MATCH 2022」では、世紀の一戦と呼ばれる、メインカードの那須川天心vs武尊戦を含む全試合を完全生中継する。
MITSURU YABUKI(右)
1969年大阪府生まれ。外食業、投資業、不動産業を営みながら、2012年に日本最大規模のファッションの祭典、東京ガールズコレクションの実行委員長に。また’14年にはK-1実行委員長にも就任。1990年代後期に全盛期を迎え、その後衰退していたK-1を見事に復活させた。
SUSUMU FUJITA(左)
1973年福井県生まれ。青山学院大学を卒業後、インテリジェンスを経て’98年にサイバーエージェントを設立。2000年には当時史上最年少での上場を果たした。’16年にインターネットテレビABEMAを開始。’21年にはサイバーエージェントの時価総額が1兆円を突破した。