夕方のニュース番組『Nスタ』の顔である井上貴博アナウンサーは、この春、ラジオでのメインパーソナリティも務めることが決まった。異なるジャンルで喋りの力を見せることになるこの男、実はTBS内でも有数の熱血漢だった! その現場にゲーテが密着。テレビだけではわからない仕事人の素顔に迫る。前編はこちら
予定調和でない“汚い生放送”がいい
『Nスタ』では爽やかで温和に見える井上だが、自身のことを「『Nスタ』スタッフには面倒くさいやつだと思われている」と断言する。その理由は、番組を進行表どおりに進めないというスタイルにある。
「台本どおり、きっちりキレイに進む生放送の報道番組は他にたくさんあります。そのなかで一番をとりたいなら、同じようにやっていてはダメ。進行表で次に行くパートであっても出演者が盛り上がっているならば、それを最大限生かす。どこか僕がアンコントローラブルな存在で、スタッフとの間に緊張感がある状態がいいと思っています。スタッフがギリギリまで取材してVTRが間に合わなくたっていい。そういうのは大歓迎です。今はネットニュースのほうが情報が速い。わざわざテレビを見てもらうためには、どこかひっかかりのある、汚い生放送のほうがいいと思っています」
さらに井上は、ニュース原稿を下読みしない。下読みとは、原稿を放送前に声に出して読み、どこで息をするのか、読めない文字はないか、何秒かかるのかをシミュレーションする作業だ。
「馬鹿みたいなこだわりですけど、一度声に出してしまうと、みずみずしさが失われる気がして。大袈裟な話、読みながらそのニュースの内容に驚いたっていい。そのほうが視聴者と近いし、伝わる。とにかく予定調和にやりたくないんですよ。それにプロだったら初見で原稿がスムーズに読めるのは当たり前。褒められない手法ですが、なるべく下読みはしないようにしています。そんな信念のようなものが少しずつ増えてきて、その思いを書き留めた『伝わるチカラ』という本を5月に出版することになりました(笑)」
このスタイルの原型は、井上が2010年から出演した情報番組『みのもんたの朝ズバッ!』の、みのもんたにあった。みのは、事前にいっさい台本を読まず、けれど扱う題材はしっかり頭に入れたうえで、作られたものでなく、生の反応を届けようとしていたのだ。
「僕は当時『俺にメインをやらせてください』とみのさんにくってかかったりして、本当に生意気でした。でもみのさんはそれを面白がってくれて、いろんなことを教えてくれました」
みのから言われて、今も仕事仲間との関係性において指標としている言葉がある。井上はそれを諳(そら)んじてみせた。
「周りから、『いいね』と言われているうちは、まだまだ。『ちょっと手に負えないな』『やりすぎでは』と身内から言われるくらいになってからが、本当のスタート。そこでようやく井上君の色が出始めたってこと。孤独なものだよ。戦えよ」
この『朝ズバッ!』は井上に大きなチャンスと挫折を与えた番組でもある。2013年にみのが降板、その後任として初めて井上がメインキャスターとなったのだ。
「チャンスがやっと来た、局アナでもできるんだって見せてやる! そんな気持ちでした」
しかしその2ヵ月後にあっけなく番組終了が決まり、結局メインを務めたのはわずかに4ヵ月ほどだった。悔しさのあまり、最終回の放送ではカメラも憚らずボロボロに泣いた。
「みのさんと同じ土俵で戦うつもりでいたのに、結局自分だけではなく、コメンテーターの方の力も番組で示すことができなかった。申し訳なくて、あの悔しさは忘れません」
放送後、「局アナで取り返す。局アナなめんじゃねぇ!」と泣く井上を遠くから見ていたのが、後に井上を『Nスタ』に抜擢したプロデューサーだった。
取材をした人の思いと体温まで伝える
こうしてメインキャスターとして返り咲いた井上は前述のような台本どおりでないスタイルで挑むように。しかし一方でその日のトピックスや、その関連事項について、放送前に誰よりも徹底的にリサーチすることを心がけている。毎日放送ギリギリまで、そのトピックスを取材した記者やスタッフのデスクを回り、取材内容だけではなく、担当者が何を感じたかまでじっくりと聞きだしていた。
「実際に取材をしてきた人が感じたこと、その思いを吸い上げてその温度まで伝える。そうしてやっとニュースとして意義のあるものになる。VTRを編集した人がどんな思いだったのか、そこまで伝えられるのって、局にいる局アナだけですから」
パンデミックに突入してからのコロナ関連のニュースは、特に言葉に注意したという。
「2年間、多くの時間をこのニュースに費やしてきました。伝え方について痛烈に反省している点もあります。そのなかで、とにかく3つ、自分にルールを設けました。絶対に煽らない。データを提示する際はひとつではなく複数提示する。絶対に主観を言わない。僕がひと言『怖いですね』と言ってしまったら、すべてがそこに引っ張られてしまう。いろんなデータ、情報を提示して視聴者が最終的にどう感じるかが、このニュースに関しては大切だと思っています」
有事の際の報道がどうあるべきか、そして井上の報道、ひいては仕事そのものへの考え方の根幹になったのは『朝ズバッ!』時代の、3・11東日本大震災の取材経験だ。
「とにかく現場に行かないといけない、そう思って3月11日にスタッフとタクシーを拾って『行けるだけ北に行ってください』とお願いした。運転手さんは徹夜で運転してくれましたよ。そうやって迷惑をかけて行った現場、僕はカメラの前に立って何ひとつ言葉が出なかった。現場が一番だ、現場に行かないと!って、ずっとやってきたが、それはエゴだと思い知らされました。被害が大きすぎて情報は何もなく、伝えられることも断片的なものばかりでした。ひとつの情報だけでは何も報道できない。真実だと思っている情報や、正しいと思ってやっている仕事も常に疑っていかないといけない。そう思うようになった大きなきっかけでした」
自分の仕事を疑う。そして時には否定する。それが今の井上の仕事のベースになっている。
「自分を疑っていかないと成長はない。そもそも僕、テレビ嫌いなんですよ(笑)。煽ったり誇張したり、古い体質もある。でもそういう嫌いな業界にいたほうが、成長できると思うんです。そしてその業界にいるからには、嫌いだなと思う表現を少しずつでも変えていきたい。落日の太陽と言われるテレビを盛り返したいんです。そのためには、生意気と言われようが、扱いにくいと思われようが、どんどん主張していく。そして局アナだからこそ伝えられる丁寧で謙虚な言葉で、でも図々しくテレビを変えていきたい。“局アナなめんじゃねぇ”ですよ(笑)」
井上貴博の人生のTURNING POINT
3歳 ライバルは10歳年上
「12歳年上の姉と、9歳年上の兄。末っ子ながら年上のふたりに勝ちたかった。今も仕事をする上で意識するのは、10歳年上の世代です」
17歳 自身のエラーで負ける
「高2で出た野球部の夏の大会。僕のエラーで敗退し先輩は引退。中3の夏の大会も僕のエラーで敗退し、心の奥底に残る消えない傷に」
20歳 学生コーチとして甲子園へ
「コーチをしていた後輩野球部が甲子園へ。ずっと甲子園にこだわってきたので報われた気がした。その時の土は今も飾ってあります」
24歳 『朝ズバッ!』との出会い
「『みのもんたの朝ズバッ!』で鍛えられ、その後『朝ズバッ!』でメインをやったことはアナウンサー人生の原点です」
33歳 『Nスタ』就任
「メインでやれるとは青天の霹靂でした。しかも報道番組。後輩にバトンを繋いでいくためにも、局アナでできることを証明したかった」
ラジオ番組 『井上貴博 土曜日の「あ」』 3つのポイント
1. 日常に溢れる「あっ!」に着目
「何かに気がついた時、発見した時、人って『あっ』って言いますよね。そんな発見をリスナーの皆さんと共有したい。分からないことを分からないと言える空間を創りたいです」
2. 「あ」たらしい趣味を見つける
「新しいことは若い人の文化から生まれる。僕が37歳、10代、20代を巻きこんでゼロから吸収したい。僕は無趣味なので、ここで出会ったことから趣味を見つけたいです」
3. タイトル「あ」の本当の由来
「『あいうえお』と縦に書くと、『い』の上は『あ』でしょう。「いの上」……「井上」……今、『あ〜』って感じて下さったあなた。その『あ』を一緒に探しに行く番組です!」