エントランスを抜けると、目の前に広がるスペーシーでハイパーな空間。ここは、今までに国内外で数々の話題のレストランを手がけ、時代のトレンドをつくってきた男が新たにプロデュースしたクリニック。仲間から“イナケン”と呼ばれる稲本健一が目指すものとは──。【後編はこちら】
これからはアンチではなくリバースエイジング
東京・西麻布。交通量の多い六本木通りから路地を入った閑静な住宅街に、最先端医療を駆使したクリニックが誕生した。
血管再生、肌再生、脂肪再生など、細胞のレベルで再生医療を行う「AZACLI」だ。
例えば血管再生は、エクソソームを血管に点滴で投与する。エクソソームとは、細胞から分泌される、ナノレベルの顆粒状の物質。抗炎症・抗酸化作用があり、血管が弾力性を取り戻すことが期待でき、心身の健康を維持できるようになる。
例えば肌再生は、血液のなかの血小板を濃縮して肌の奥までしみこませ、組織を蘇らせて肌をターンオーバーさせていく。
美容整形ではない。もちろんメイクではない。医療技術によって、アンチエイジングを図る技術がここで行われている。
このAZACLIをプロデュースするのは稲本健一。1990年代にゼットンを設立し、デザイン性の高い個性的なレストランを手がけて外食産業を牽引。2000年代後半からは大好きなハワイにもいくつものレストランを出店し成功させた。またトライアスロンやサウナのブームの仕かけ人でもあり、現在は自らの会社のほかにホテル業など8社の社外取締役や顧問、アドバイザーを務めている。
そんな稲本が、今なぜこれまで経験のない医療のフィールドに進出したのだろうか。
ビジネスのきっかけは自分のアキレス腱の再生
「再生医療に強い興味を持つようになったのは6年前です。この時、僕はちょっと無茶をしまして。東京マラソンを走った1週間後にフィリピンでハーフディスタンスのアイアンマンレースに出場。さらに、1週間後に横浜マラソンを走り、3週間で3つのレースをクリア。ただ、やはり無理がたたり、アキレス腱に違和感があって」
その後しばらく経ち、ドイツに渡ってアイアンマンレースに出場。スイムを終え、バイクを終え、強い痛みを感じながらもランに入った時。
「アキレス腱を見ると、倍以上の太さに腫れ上がっていて。ドクターチェックを受け、そのままこのレースはリタイアせざるを得ませんでした」
帰国してさまざまな治療をしても改善する手ごたえは得られない。いよいよ腱を手術するしかないか―と覚悟し、現在のAZACLIのメディカルプロデューサー、山川雅之医師に相談した。すると、こともなげに山川が再生医療を勧めたのだ。
「うちでPRP打てばいいじゃない」
PRP療法とは、血液のなかの血小板が持つ修復能力を活かした再生医療。自分の血液から血小板を採取し患部に注射する。2000年代に入ってから、特にアスリートの間でその成果と安全性が注目され発展している。ニューヨーク・ヤンキース在籍時の田中将大投手が右肘靱帯を部分断絶した際にこの療法を行った。
「注射は麻酔を使わず、タオルを噛んで耐えるほどの痛みがありました。でもアキレス腱は見事に再生し、その後はトライアスロン大会への出場も再開しています」
その体験を機に、稲本は日進月歩で進化する再生医療を強く意識するようになった。
「山川先生はトライアスロン仲間。最初に出会った時はお互いにあまりいいイメージがなくてね。違うフィールドで仕事をしていたので、警戒し合っていたのかもしれません」
しかし、徐々に心の距離が近づいていく。
「同じ競技で苦しさをともにすると、信頼感が増していきます。しかも、トライアスロンはものすごく過酷。その体験を何年も共有したことは大きいですね。それでも、仕事の話をしたのは今回が初めてでしたけど」
コロナ禍のʼ21年、稲本は山川から細胞再生クリニックのAZACLI設立を提案される。
「未来のエイジング治療のスタンダードをどこよりも早く実現する」
というクリニックだ。具体的な治療は、血管再生、肌再生、脳再生、脂肪再生、全身細胞再生、運動機能再生など──。
さらに幹細胞培養のセントラルキッチンのような役割も担う。その部門は、山川が役員を務めるバイオベンチャー企業、セルソースとも提携する。
一緒にやらないか、と言われ稲本は迷った。果たして自分にできるのだろうか、と。
「子供の頃、僕は喧嘩をしてあまり負けたことはありません。でもそれは、自分より強い相手とは喧嘩をしなかったからだけなんです。負ける喧嘩は避けてきた。こいつにはかなわない、と判断したら、その相手とは仲間になってきました。ビジネスでも同じ。勝算のある戦いだけに臨むことを心がけ、結果を出してきました」
そんな稲本の背中を山川の言葉が押した。
【後編はこちら】
時代を彩ったレストラン&ホテル
稲本はデザイン会社を経て、1993年、名古屋で期間限定のビアガーデンをプロデュース。その成功を機に、’95年にゼットンを設立し、飲食ビジネスの世界へ。時代をキャッチした店舗はいずれも話題に。これまで100軒以上のレストランを日本とハワイで手がけてきた。
ZETTON/名古屋(1995年OPEN)
1号店は屋根裏つきの日本家屋を改装。テラスやバーカウンター、個室があり、当時としては斬新なデザインで話題に。駅から遠い倉庫街が人気エリアとなり、街の様子を変えた。
BAR imoarai/六本木(2003年OPEN)
隠れ家ブームをつくったバー。六本木のとあるマンション、トビラを開けると森田恭通デザインの煌びやかな空間が。セレブリティが夜な夜な集い、東京の夜を華麗に彩った。
PARIS.HAWAII/ワイキキ(2018年OPEN)
ハワイの食材を使ったファインダイニング。モダンフレンチとロコ感が絶妙に融合し、圧倒的な人気を博した。移転のため閉店。同じ場所に現在は「natuRe waikiki」が営業している。
8HOTEL CHIGASAKI/藤沢(2020年OPEN)
1週間が8日だったら、をコンセプトにした湘南のライフスタイルホテル。屋外プールの側にサウナを設置し、プールを水風呂として活用。サウナの新しいスタイルを提案した。