Passionable(常熱体質)とは、Passionとableを組み合わせた造語。仕事や遊びなど、あらゆることに対して常に情熱・熱狂を保ち続けられる=”常熱体質”な人を脳科学者である中野信子さんが、日本の歴史上の人物のなかからピックアップした連載のまとめて振り返る。「常熱体質であり続けるために必要なこととは何か?」。その秘密を脳科学の視点から解き明かす。
オキシトシンと改易の関係/Key person:最上義光
同じ釜の飯を食べた仲という言葉がありますが、人間関係の強化に食事が有効なのは、オキシトシンの作用だという説があります。別名「愛情ホルモン」。皮膚と皮膚の接触によって分泌が促進され、人を幸せな気分にさせることがわかっています。握手もハグも、つまりオキシトシンの分泌を促して仲間意識や愛着を形成する行為なわけです。
解剖学的には皮膚も消化管も同じ上皮細胞。食物が喉を通るときも皮膚接触と同様にオキシトシンが分泌される……というのはまだ仮説ですが、かなりありそうな話です。早い話がビジネス上の立て前のような会議を何回も繰り返すより、ひと晩一緒に飲んだ方が遙かに早く話が進むのも、この愛情ホルモンの作用なのかもしれません。
抜け目の無い戦国武将が、食べ物のそういう効果を見逃すはずはありません。彼らは戦をするのと同じくらい真剣に、接待や贈答に取り組みました。一回の接待のために、新しく道を普請したり、橋を架けたりすることもありました。もてなしの失敗が、場合によっては戦に発展することもあったわけですからそれも当然でしょう。本能寺の変の引き金は、安土城に家康を招いた信長が、饗応役を命じた明智光秀の落ち度に腹を立てたことだという説もあるくらいです。
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清正の城はなぜ美しいのか?/Key person:加藤清正
私邸ではありませんが、戦国時代の豪邸といえば、やはり城でしょう。一国一城の主が男子の本懐という時代、全国の津々浦々に城が造られました。その城造りの名人と謳われたのが加藤清正です。
彼は生涯に十数の城を造りました。天下普請といわれた名古屋城や江戸城の築城でも重要な役割を果たし、文禄慶長の役では朝鮮半島に3つも城を築いています。
清正の天才的築城技術を今に伝えるのが、15年の歳月をかけ完成させた熊本城です。壮大なスケールもさることながら、胸を打たれるのはその優美さ。清正流石組と呼ばれる石垣の描く曲線は、まさに筆舌に尽くせぬ美しさです。とはいえ、美しさを追求したわけではないはずです。熊本城の縄張が始まったのは1590年代初頭、関ヶ原の戦いの10年前のこと。清正が目指したのは、籠城戦にも耐える堅牢な城です。難攻不落の城を造ったら、結果的にその城は美しかったという話なのです。
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直江兼続と究極の自己投資/Key person:直江兼続
戦国武将にとっての「自己投資」の筆頭は、やはりなんと言っても学問でしょう。一廉の武将の子弟ともなれば、幼少期に禅僧のもとに通って学問を修めるのが常でしたが、成人後まで学問を続ける武将は流石にまれでした。
全国各地に割拠した武装勢力が夜討ち朝駆けで戦に明け暮れた時代ですから、それも無理からぬことではありますが。その稀有な例外のひとりが、直江兼続でした。
豊臣政権の五大老、上杉景勝を支えた名家老にして、関ヶ原の合戦の発端ともなった「直江状」を書いた人物として歴史に名を残しています。「愛」の一文字を入れた兜の前立てでも有名です。彼は学問熱心なことで当時からよく知られていました。天下人となった家康を叱りつけたという逸話もある儒者の藤原惺窩(林羅山の師)が認めていたくらいですから、相当なものです。
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中野信子
脳科学者。1975年東京都生まれ。東京大学大学院医学系研究科脳神経医学専攻博士課程修了。フランス国立研究所にて博士研究員として勤務後、帰国。現在は、東日本国際大学特任教授。脳や心理学をテーマに、研究や執筆を精力的に行う。著書に『サイコパス』、『脳内麻薬』など。『シャーデンフロイデ』(幻冬舎新書)が好評発売中。新刊『戦国武将の精神分析』(宝島社)が話題になっている。